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食事に行こう

会社の上司から食事に行こうと誘われました。

というか、何回も誘われているのですが、まだ一緒に食事に行ったことはありません。

なぜか?そうです。理由は単純です。一緒に行く理由がないからです。

悪い方ではありません。食事に誘われているということは自分のことを悪いようには思ってない、ということでもあります。それはすごくありがたい。

だけど、相手に大して思っている感情は、それほどでもない。

その方は奥さんが出産前で、実家に帰っているので、最近食事の誘いが多いです「今日何食べるの?ってかさ、こう言ってるってことは俺がどうしたいかわかるよね?」

うん、わかってるんだけどさ。言いたくないよね。と、悪い自分が出てしまう。

一回、その方の家での食事会に誘われたことがあって、一回くらい行くかぁとお邪魔してきたのですが、なんか自慢話ばかりで全くおもしろくない。遊びに来ている人たちをどうやったら楽しんでもらえるか、よりも自分の話を家に呼んでしたいだけ、のように感じたのです。本当はそうじゃないかもしれないですよ?でも自分がそう感じてしまったので、それでいいんです。

この前も誘われて「体調わりっす」って断ったら

「嫁に電話しちゃったよね。お前が俺のこと嫌いなんじゃないかって。そしたらさ、そうなんじゃない?とか言うわけよ」

「はぁ」

「でも嫁にさ、呪いをお願いしといたから、不幸が起きるようお前の名前10回書いとくってw」

なにそれ、と思いました。人間性のかけらもない。くそつまらん夫婦だなと思ってしまった。

そうか、自分は呪われるのかぁとしみじみ思った。呪われるくらいのことをしたのは人生で初めてかもしれないな、とも思った。そんな形の脅しがあるかよ、とも。

それを周りの人間に言っているわけです。でもそういう人間だってみんな知っているから「またなんか言ってるよ」と後で声をかけられる。

「なんか俺、呪われるそうです」

「そうなの?大丈夫、自分に返ってくるから」

「そういうもんなんすか?」

「そうよ」

そう言って同僚のおばちゃんは颯爽と帰宅して行きました。

別にそう言われることがとても嫌だというわけではありません。そういうことを言って周りから「そういう人間なんだ」と思われることのほうが不幸だと思ってしまうのです。

こういう人は、いざ何かがあったとき、周りから助けてもらえません。「俺のような素晴らしい人間は助けてもらえるのが当然」と思っているから余計です。

似た者夫婦という言葉がありますが、これは本当だなと思った。

たぶん、飯行くこと、一生ないだろうな。

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