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コミュ障と言われて熱が出た。

今日、突然コミュ障と言われた。

「誰に言われるでもなく、
私があなたをコミュ障だと思ってるから」
と、はっきり言われた。

最初はあまり状況が飲み込めなくて、
ぽかーんとしてしまったのだが、
だんだんと腑に落ちない、
どうにもならない悲しいような悔しい気持ちが
湧き上がってきた。

コミュ障と言われたことに
とても深い悲しみを、
私は覚えている。

つまり、
私はコミュニケーションというものを
本当に愛しているし、憎んでいるんだと思う。

そんなはずない!と、怒っている時点で
図星であり、
そう思っているのは自分一人で十分なのに
他人にそういう判を押されることは
ひどくつらく。悲しい。

そんなことないよ、コミュ障じゃないよ。
と、世界中の人にどんなに言われても、
たった一人にとって私はコミュ障という
解釈は変わらない。

一人に言われるだけでこの打撃だし、
大切な価値観が眠っているということ
なんだと思う。

全ての人に受け入れられる、
認められるなんて無理な話なのは
頭で分かっているのに心が受け入れていない。

誰にでもあるネガティブな要素、
それが明るみに出て自分や誰かを
傷つけるのが嫌だから
私はずっと誰ともある一定の距離を取ってきた。

ネガティブな人ほど、ポジティブだし、
強いと本当に思ってきた。

ネガティブな状態に、
私の心と身体はあまりに弱くて、
すぐに悲鳴をあげて
ポジティブを探し惑う。

他の能力がどんなにダメ出しされようとも、
コミュニケーション能力だけは
全人類に完璧に称賛されたいのか…

この事実を受け入れて、
柔軟になることもできよう。

しかしここを平たく伸ばしてしまったら、
私は私でなくても良くなる。

このエネルギーを必ず、
上昇するものに変える。変えてやる。

「ただ一つ、この事実があったからこそ
今の私がある」と思う日がくることが悔しい。

だけどもなお、そうだとしても
こんなネガティブな状態からすぐにでも
這い上がりたい。(寝よう。)

私はコミュ障なのではない。
コミュ愛なのだ。

兎にも角にも、
やはり私の情熱はここにある。

コミュ障と言われた直後から
どんどん喉が痛くなって、
熱が出て、筋肉が痛くなってきた。

インフルエンザ用の漢方を
もらって、代行で帰ってきた。

帰宅して、薬飲んで
コンビニで買った
鍋焼きうどんをあっためて食べ始めたら
ワンワン泣けてきて、
涙が止まらなかった。

あぁ弱い、弱いなぁ。

こんなにも弱い。

お豆腐メンタルなんだから勘弁してよ。もう。

みなさんもどうか、
自分の心の急所を変な人に見せないよう
お気をつけください。

今日だけは皆さんの暖かい心に
甘えさせてください。

うわぁぁぁん

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