世界一尊敬する人

現在75歳
ポジティブシンキングの人で、悪口や愚痴など一切言わない
あたし達(2人姉妹あたしが妹)が子供の頃はとても苦労した人

うちは自営業だった。収入は思っているより少なく、決して裕福な暮らしをしてきたわけじゃない。しかもパパ(父)は遊び人だった。スマートでカッコいい人だったから随分モテたらしい…出掛ける時、行き先も言わず外泊することもあった。が、あたし達にいつもキーホルダーのお土産を買ってきた。地名入りの…
それでもお母さんは、パパのことを悪くいう事は一度もなく、休みの日になるとあたし達をいろんな行楽地に連れて行ってくれた
でも、とっても怖い人だった。叱られる原因は殆どが姉妹喧嘩だったけど、大泣きして謝ったことを今でも覚えている

お母さんの有り難みを本当に感じられるようになったのは高校に入ってから…。それまではわがままで自己中で悪い子だった

作ってくれたお弁当に「ありがとう」を言い、重い荷物は率先して持つ。少しでもお母さんに楽をさせてあげたい…といつも思っていた

あたしが社会人になった頃から、お酒を飲むとお母さんとパパは口喧嘩をするようになり、仲が悪くなってきた
お母さんが離婚を考えるようになった頃、パパは病気になった。下咽頭ガンだった
お母さんは献身的に看病した。離婚を考えていたとは思えないほど…後から聞くと、離婚届はお守りだったらしい。そしてパパもお母さんに感謝するようになった
入退院を繰り返し、もう退院出来ない…という状態になった頃、お母さんと毎日一緒に病院へ行った。ガンの痛みや常に窒息するように苦しさの中、殆ど会話ができなくても(喋れない)孫の事を気に掛けていて「早く帰れ」ってあたしを手で追い払った(善意で)
身の回りのお世話をすると、手で「ありがとう」と言った

時折、お母さんは頑張りすぎている…と思う時があった。少しは看護師さん達にお願いしても良いと思うと伝え、自分の身体の事も考えるように諭した事もある
亡くなる数日前、パパはお母さんに「ありがとう」と言ったらしい…昏睡状態だったから殆ど奇跡に近いと思う。その一言でお母さんがどんなに救われたか…

結局お母さんとパパは良い夫婦だった
今でもお母さんとパパの話をよくする…それだけじゃなく、あたしの悩みや相談も聞いてくれる。性格も料理も敵わない、お母さんは本当に凄いと思う
世界一尊敬する女性