第10話 田辺敏雄氏へ、知多郎よりの反論

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 田辺氏は、産経の『正論』への寄稿を通して、中帰連洗脳説を流布した人物であるが、著作はさほど多くはない。そもそも、田辺氏が戦争の調査に乗り出したきっかけは、個人的な利害である。
 朝日新聞本多勝一著『中国の旅』にて、「平頂山事件」(満州撫順虐殺事件)の首謀者として妻の父が批判されていたため、彼が不在のときに事件が起きたことを証明しようと調査を始めたのである。(田辺敏雄氏著『追跡平頂山事件』)
 その調査の過程で姫田光義, 陳平著『もうひとつの三光作戦』が中国共産党の主張をそのまま認めたものと判断し、中帰連洗脳説を唱えるようになったようだ。
 上記のことについては、また、別の機会に解説しようと思う。

 彼は、「日本が、中国の鉱山において、多くの労働者を過酷な強制労働で死なせ、その死体を捨てた所謂「万人坑」が各地にあった」というのは、中国共産党のデマであり、それを流布した本多勝一氏を批判している。
 知多郎は、その指摘は正しく、批判に真摯に答えなかった本多氏と朝日新聞の罪を重いと考える。
 一方で、日本軍が中国で蛮行を行わなかった訳ではなく、各地で無辜の市民が虐殺されたのも事実であると考える。
 田辺氏の情報源は主に、戦友会のようだが、ぜひ、戦友会の皆様に質問して欲しいことがある。

「1 貴方の師団では、捕虜を殺しましたか?
 2 初任兵訓練である捕虜刺殺訓練の存在を知っていますか?
 3 自身の部隊において、捕虜刺殺訓練は行われていましたか?
 4 自身は捕虜刺殺訓練をしましたか?
 5 捕虜刺殺訓練を拒否する者を見たことがありますか?
 6 自分は捕虜刺殺訓練を拒否しましたか?
(5’ もし、捕虜刺殺訓練を命じられていないとしたら、自身はそれを拒否したと思いますか?)
 7 貴方の師団員が、中国の女性を強姦しましたか?
 8 7の女性は殺されましたか?
 9 貴方は中国の女性を強姦しましたか?
 10 9の後、女性を殺しましたか?
 11 あなたは、中国人民を何人殺しましたか?
 12 11の内、民間人は何人ですか?
 13 日本軍は中国を侵略したと思いますか?」
 14 貴殿は「南京事件まぼろし説」を信じていますか?
 15  14が愚論だと論破した笠原十九司著『南京事件論争史』を読みましたか?

 ぜひ、全戦友会に上記の質問をして、その割合を報告して本にしていただきたい。(おそらく、できはしないだろう。質問文を読んだ時点で、回答を拒まれるのは目に見えている。私も、青春時代もなく、国家の暴走のために鬼にならざるをえなかった元兵士に、上記のような質問をするほどKYではない。彼らの悲惨な歴史の上に、戦後の日本の繁栄があるのである。私達現代人が、気楽に元兵士の蛮行を批判する資格はない。)

 万が一、全戦友会(もうほとんど鬼籍に入り解散しているであろうが)が回答し、もし、1で、捕虜を殺さないまともな師団ばかりなら、知多郎は戦友会の汚名を晴らすことにも留意しなければならない。また、15で紹介した本を読んだ上で「南京事件まぼろし論」を主張できるというのなら、検証は必要であろう。しかし、答えは否である。一兵士が、中国全土で行われた日本軍の蛮行の全てを知っているはずないのであるから。

 日本軍には、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」という戦陣訓が存在し、負けたときには捕虜になるのではなく、潔く死ぬことが求められていた。これが、沖縄戦においての住民を巻き込んだ「玉砕」や「集団自決」の強制となった。
 自分の命さえ軽視するものが、敵捕虜の命を重視するはずはなく、「生きて恥を晒す者」とその捕虜を軽蔑し、初年兵の刺殺訓練の的にしたのである。

 もう一つ、捕虜を虐殺した理由は、兵站(補給)が不十分であったからである。南京攻略戦がその典型であり、上海を陥落させた勢いをかって、首都南京も一機果敢に陥落させれば、戦争は早期決着すると安易に判断したのである。
 そのため、兵站も確保できぬまま、大軍を進軍させ、現地にて食糧を獲得せよと命じた。何と無責任な命令であろうか?
 上海戦では、憲兵が兵40人に対して一人だったが、南京攻略戦では、兵200人に対して一人しかいなかった。平時の学級でも崩壊は必死。それが、地獄の戦場である。どのような蛮行が横行したのかは自明である。
 その過程で、経路の街が次々と略奪されたばかりではなく、残虐行為が横行したのであろう。村を通過する師団が一度だった訳ではない。いくつもの師団が通過した。ある師団が何も略奪しせず通過したとして、その後の師団が略奪も虐殺も行わなかった証拠とはなりえない。結果として、南京虐殺と呼ばれる日本軍の残虐行為が歴史に刻まれることになったのである。
 南京事件の死者数については、様々な説があるが、笠原十九司著『南京事件論争史』をお読みいただければ、「虚構派・まぼろし派」がいかにデマにまみれた愚論なのかおわかりいただける。残念ながら、そのデマ情報ばかりがgoogle上位に表示されているのだが(トホホ)
 どちらかと言えばネトウヨ寄りの秦郁彦著『南京事件-虐殺の構造』でさえ「不法殺害は四万?」と記述している。
 これに対して、笠原氏は、前述の本で以下の問題点を指摘している。
(引用開始)
 同書で秦は「不法殺害は四万?」といういい方をして、約四万という被害者数は「あくまでも中間的な数字にすぎない」として「新資料の出現で動くこともある」と柔軟な姿勢を見せていたが、その後、小野賢二らによって第十三師団山田支隊だけで、一万5500人から二万の捕虜集団虐殺をおこなったという新資料が発掘されても四万人という数字を変えず、むしろ「中間派」としての存在を示すためにこの数字を固定してしまった。
 秦は、南京事件の犠牲者数を一般人一万2000人、捕らえられてから殺害された兵士3万人、計三万八千人~四万二千人と推計するが、前掲のいわゆる「大量虐殺派」の約20万人と大きく違うのは、戦闘意欲をまったく失っている「敗残兵」や「投降兵」の殺害を「戦闘の延長と見られる要素もある」として、虐殺とは見ないこと、また軍服を脱ぎ捨てて民間人の服装に着替えて難民区に逃げ込んだ兵士「便衣兵」とみなして、その殺害を「処刑」と考えたことである。
(引用終了)

 秦氏と笠原氏のどちらの意見が正しいかは自明である。
 捕虜の虐殺は国際法違反の蛮行である。それを恐れて便衣兵になり、結果として民間人を巻き込んだとしても、その全責任は日本軍の蛮行が招いたものであり、何の言い訳にもならない。(ネトウヨは言い訳の根拠にしているが。)
 日本は、捕虜を虐殺する国である。例えば、初任兵の刺殺訓練などに利用した野蛮な軍隊である。南京攻略戦は、戦う前から日本軍の武力が圧倒していた。更に、海軍が揚子江を制圧し、中国兵が逃げないように兎狩りのように包囲して行われたのである。敵司令部は兵をおいたまま事前逃亡し、本格的な戦闘は行われなかった。そこで中国軍人は、捕虜として殺されないために、民間人のふりをして延命を計ったのである。仕方のないことだろう。で、日本軍はどうしたか?民間人に便衣兵が紛れているかもしれないと、民間人を含めて虐殺を行ったのである。支給する食糧がないという事情もあった。
 これのどこが正義だろうか?
 正義ではない。
 だから、「南京事件はなかった」などの暴論に逃げるしかないのである。

 学術的には「南京事件はあった」と既に決着がついており、残るは「犠牲者数が何人なのか」ということなのだ。

 南京事件がないことを証明するために、戦友会が支持母体である偕行社が、一般に証言を募ったことがある。ところが、目的とは裏腹に、日本軍の蛮行が多数報告され、南京事件が事実だと認めざるを得なかったのである。
 出典 笠原十九司著『南京事件論争史』P154

 という訳で、まともな人間が上記の本を読めば、「南京事件まぼろし説」など、〇鹿達の戯言だとわかるのであるが、馬〇達が未だに戯言を拡散し続けている。 

 特に、日本会議重鎮・新しい歴史教科書をつくる会創設者・生長の家過激派である高橋史郎氏や、トンデモの東中野修道氏などが、悪質な拡散者である。それを鵜呑みにしているネトウヨは救いようのない情報弱者で〇鹿である。

 ということで、それを妄信している名古屋市長も〇〇なのだが、残念ながら、同様に「南京事件はあったんですか?」などと疑念を抱いている一般市民が多いのも事実である。
 こうして、戦争の記憶は風化し、そして、また戦争が始まるのだ。

 「戦争は、忘れた頃にやってくる」(by 知多郎)