ネクタイ外すより、ジャケット脱いだ方が涼しいってのが本質。

10月に入り、まだ暑い日が続きますが巷ではクールビズが終わりました。

Twitterなどの投稿を見ていると、

・11月までネクタイの着用はしない
・一生クールビズでいい
・ネクタイオワコン

なんてことが呟かれています。

しかし、現代は何を「価値基準」として判断し、どう本質を見極めるかが重要になってきます。

それは自分の尺度を持つということで、
ある意味個人の判断で自分は自分の信じた道を行くということでもあります。

とはいえ、社会で生活していく中で、
他人との関係性を無視したり、逸脱したことをする訳にはいきません。

だからこそ、本質を見極める力が必要なのです。

ネクタイを外してビジネススタイルの軽装化をはかったクールビズですが、現代社会においてある意味それは一種の「自由化」に近いものだと感じています。

一定の期間を設けて、軽装化キャンペーンみたいになっていますがらじたい、それは通年の「自由化」でも良いと感じる部分は否めませんし、なにより、一斉に付けたり外したりしている風潮はある意味不自然とも言えるのではないでしょうか。

それこそ周りとの調和を考えた自己判断で良い。
加えて、
クールビズ=ネクタイを外すと考えがちですが、普通に考えて、ジャケット脱いだ方が涼しい。
そう思うのは私だけではないはず。

体を覆う面積や、生地の厚みを考えたら当たり前のことだし、体感としても間違いなくそう。

涼しいジャケットなんかもあるようですが、じゃあ着るのと着ないのはどっちが涼しいかと言うと、間違いなく着ていない方が涼しい。

ネクタイを槍玉に上げて、フォーカスを当てすぎるのはどうなんだ?と思うのは、そこに関わる人間だから感じることでしょうか?

私はフォーカスを当てるところが間違っているとは言いませんが、ズレているのではないかと思うのです。

スーツスタイル=古い、悪い と、いう意識付け自体もズレているし、それは今後も男性の1つのテンプレートとして残すべきものだし、

自由化も止める必要はない。

ようするに、メリハリ何だと思います。

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