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新しい「当り前」が「あえて」の価値を高めるのかもしれない。

平成の時代も終わり、新しい「令和」の時代が始まりました。
長い長い10連休も終わりましたが、同時に始まったのが「クールビズ」。

ビジネスシーンにおける服装の軽装を推進し、夏の冷房設備の温度を抑えて節電することで二酸化炭素の排出量を抑えていこうという取り組みです。

ちょうど衣替えの季節に合わせて始まってはいますが、ちょっと肌寒い感じもしますし、季節的に軽装はちょっと早いかな?と思うこともありますよね。

開始当初は様々な意見が飛び交う中で行われてきたようですが、すっかり通例になっている取り組みです。

たしかに近年の夏の暑さはとてつもないと感じますし、年中クールビズを推す声もあります。

一方で、ネクタイを取り扱う業界からは悲鳴さえ聞こえてきています。
業界の人という意味では私もその一人です。

その中で、「クールビズ反対」と声をあげている方々もいらっしゃるようですが、世の中の当り前はすでに変わり、その価値観は定着してきています。

新たな価値の創造や提案をしていくことは重要ではありますが、単に反対していくだけで、何にも取り組もうとしないのは違うと強く思っています。

この「クールビズ」に関しての考え方や捉え方は人それぞれです。
いろんなコメントや意見を拝見していると、

・そもそも意味のないものだ
・気候に合わせた服装であるべき
・ネクタイを廃除

といった声がある一方、

・取り組み自体は反対じゃないが、右ならえで一斉にやっている感覚が嫌だ
・一定のマナーや礼節の中にあるべきだ
・服装の一部としてあるべきだ

そういった声もあります。

それも踏まえて、私の感じていることを少し書かせていただきます。

確かに夏は暑い。

マナーを重んじてネクタイをする。という考え方は嫌いではないし、むしろそうした気持ちは好きです。
ですが、ネクタイを締めて汗だくになって客先に行って不衛生感を出す方が良くないのではないか?という考えも十二分に理解できます。

ネクタイをすることで生産性が向上するものではないし、むしろ苦しい。時代に沿ったものではない。

その声も否定できません。

私自身も、一日ネクタイをして仕事をした後、
外した時の解放感を感じるのは正直なところです。

開放感を感じるということは、一定の苦しさを感じているということにほかなりません。

仕事柄というのもありますが、それでもネクタイをしています。

それはなぜか?

そう
ネクタイをしている姿が

ただただカッコイイ

ネクタイをせずとも素敵な服装をしている人もいますし、ネクタイをすることが必ずしも正解ではないかもしれません。

しかし、ただネクタイを外しただけになってしまっている人も多いのではないでしょうか?

多様な服装が認められていく中にあっても、
学生の制服と同じで、男性のビジネススタイルテンプレートとして最も重要なのがスーツスタイルです。

テンプレートから一つのものをとるだけで、一気に難易度も上がるし配慮も必要です。

そういった意味では、一定の必要性と価値をもって存在するべきものであると考えています。

加えて、この時期には皆さんネクタイをしないことが当たり前になっています。

そう。みんなしていないんです。

昔は一律強制的に着用する必須アイテムでしたが今は違います。

ですが、周りがしていない時にこそ、

自分自身のにこだわりを持って「あえて結ぶ」

ということに、今まで以上の価値が生まれるという側面もあるかと思うのです。

ネクタイに限ったことではありません。

・スマホ時代にあえてのガラケー。
・飛行機や新幹線の方が早いけど、あえての鈍行電車旅。
・メールの時代に会えての手書きの手紙。
(考えればもっと出てきそう・・・・・)

新しい当り前や価値が生まれる中で、
今まであったものの価値を高められる瞬間や機会が生まれてくる。

ただ無くしていくこと。
変わっていくことに拒否していくだけ。

その一辺倒になってしまうと、自分自身の意識も気持ちも小さく縮こまってしまって、広く考えられなくなりませんか?そうなると何も生み出せなくなります。

いろんなところで色んな変化ぎ起きている中で、変化を楽しむ感覚は持っていて損はないかと僕は思うんです。



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