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逃げたいときに

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逃げたいときに

最近の記事

自身にとっての良い選択ができているみたいで、柄にもなく安心してしまった。自分なりの「生」を全うして欲しい。 目にとまらなかったらそれまでだけど、昔繋がりがあった者の思うところ。

    • 褒められると死にたくなる理由を考えてみた

      僕は決して、天邪鬼でもなければ、逆行することがかっこいいと思って疑わない思春期真っ盛りの中学二年生でもないのだけれど、それになってしまったかのような出来事を今まさに、経験している。 他人から称賛されたり、愛情を受けたりすると世界中のどの国のどんな人間であろうと、喜怒哀楽の喜と楽に近い感情を抱くのは頭の悪い僕でも想像ができるし、明白な事実だ。勿論、思春期という時期はそのようなものに気恥ずかしさを感じることもあるが、僕のように「死にたい」と思うことはそうそうないんじゃないだろう

      • 嘲笑

        秋季にしては生暖かい風が、半開きの窓の手前で閉められた網戸の隙間を縫って侵入してきた。田舎独特の土と草のにおい、むわりとした空気に頬を撫でられて、男は堪らず網戸に手をかけ横にひくと同時に、素早くガラス張りの窓を乱暴に閉めた。魘されて、汗だくで起き上がったことを笑われた気がして、堪らず灯を求めて室内に侵入しようとした蛾を悪人の表情で嘲笑した。ただでさえ、自尊心が崩壊して、見せかけのテープで修復していたのだ。男にとってはそれでさえ、心のテープを引き剥がされたことと同義のようなもの

        • 新型コロナウイルスの本質

          最近、マスクのみならずあらゆる紙類までもが、不足していることを知った。家族、バイト先、学校、はたまた街中でも、その類の会話が耳に入ってくるようになったし、最近はSNSでもその話題で持ち切りなので、自然と耳の中を通過させて、受け流すことが出来るようになった。(新たな情報も流してしまう危険性があるのでビクビクしているが) 「新型コロナウイルス」というあやふやな名前や、初期の明文化されていない症状の説明によって、最初は警戒心を持つことを放棄していたし、「割とどうでもいいこと」とい

        自身にとっての良い選択ができているみたいで、柄にもなく安心してしまった。自分なりの「生」を全うして欲しい。 目にとまらなかったらそれまでだけど、昔繋がりがあった者の思うところ。

          忘れてから思い出す

          あの頃は楽しかったと感じることは人生のうちに幾度となくあるだろう。僕自身そう感じることがここ最近多くなってきた。まだ20にもなっていないのに、自分の中にある月日の流れの感覚は非常にはっきりとしておらずモヤがかかっている。ところどころ、記憶が抜け落ちている箇所が存在している。だが昨日のことのようにはっきりと覚えていることも少なからずあることは確かだ。 その男子との出会いは小学校5年の頃だったと思う。鈴木というその男子は転勤族として同じクラスに転校して来た。黒縁の眼鏡をかけ、若

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          自殺に対して思うこと

          自殺を行うことは悪いことなのか? この問いに対して僕は答えがはっきりとは出ておらず、今まで曖昧な言葉で濁してきたが、最近思うことがあったので書き留めておこうと思う。 まず僕は自殺に対して肯定も否定もするつもりはない。 肯定することがないのは単純に、自分が相手に対して自殺を肯定するようなことを言って、自殺されたら悲しいから。これに尽きる。 何故否定しないのか。そこが言葉に具現化するのが難しかった。 自殺するという選択が自分の中にある状態っていうのは、それなりに苦しみ、

          自殺に対して思うこと

          180度違う考え方を知ったとき

          急に降り出した雨に頬を打たれながら急ぎ足で自転車を漕ぐ、梅雨に入ってすぐの休日だった。 「俺の妹死んでからさ、お母さんも親父も忙しそうにしてて、こっちまで疲れてくるよ」 「え、」 耳を疑った。言葉が喉から出てこようとしなかったので一息着いてから半開きになった口から低い声を出す他なかった。 「お前の妹、その、死んでたの?」 「初耳なんだけど」 すると友人は数秒前の僕と同じような顔になったあと 「え、まじで?言わなかったっけ?皆に言ったつもりだったんだけど」 と返

          180度違う考え方を知ったとき

          表面張力

          「あ、これはもう来ないやつだ。って思ったねあのときは」 週末のバイト終わり、ロッカーの前で先輩が微かな苦笑いを浮かべながら口を開けた。 「あれ、電車でも止まってるのかな?って思ったんだけど、電話も来ないままその日は現れなくて。その次の日も同じシフトだったんだけど同じように来なくてね。」 僕はと言えば、先輩の顔に目を向けず適当に相槌をうっていたのだが、ふと気になって先輩にこう返した。 「随分と失礼ですね。その人、前からそんな感じだったんですか?」 すると先輩は少し考え

          表面張力

          死にたいというより「生きているのが面倒くさい」

          死にたいと思っていると錯覚していたのかもしれない。 今のご時世はわりといろんなところで死にたいとか、生きていたくないとかそんな類の言葉が目に入ってくる。 そのせいで死にたいっていう言葉の安売り感を無意識のうちに感じていたのかもしれない。 それで自分でも死にたいと思うようになったのだと思う。 死にたいと思うことが多くなった時期、僕はいろんなことで苛ついて、もどかしさを感じていた。その度に死にたいなあと頭の中だけで呟いていた。 もとから、なんで生きてるのかわからない状態

          死にたいというより「生きているのが面倒くさい」

          不覚にも満員電車に変えられたこと

          今朝、駅に着き改札を抜け、僕が利用している側のホームを見た瞬間、嫌な予感がした。 人が溢れかえるほど渋滞していたのだ。まるで掃き溜めのように。 そして今一番聞きたくない声が聞こえてくる。 「2番線に到着予定の〇〇駅行きの電車ですが、現在隣の△△駅に停車しております。」 最悪だ。これでこれからの予定も泡として消える。晴れて遅刻だ。 絶望感に苛まれる。 ふざけるなと叫びたくなる声を喉の奥に押し込んで、ドミノ倒しの人間バージョンでもやるかのようにならんだ人の列に平然を装い

          不覚にも満員電車に変えられたこと

          夏の終わり

          夏は一瞬で終わる。 そんなこと毎年同じこの時期に言っている気がする。もはや恒例行事だ。 8月31日と9月1日には大きな溝があると思う。 9月1日はどれだけ暑かろうがどれだけ日が照っていようが「秋の始め」というイメージがある。 8月31日までは普通に流れている川が9月1日になると同時に滝つぼに落ちていく滝に早変わりする。そしてあっという間に急加速、一瞬で「秋真っ盛り」という滝つぼに落ちる。こんな感じだろうか。 8月の終わりはあまりにも早い。儚くちってしまう。まるで線香花

          夏の終わり

          何が僕を動かすのか

          日々生活している中、学校などで生きている理由について考えることが時々ある。 人は誰しも根本的に、何かしらの理由を持って生きていると思っている。 それは家族のためだったり、将来のため、はたまた自分の趣味や好きなことのため、大きなことから他人からしたらどうでもいいくらい小さなことだったり様々だ。 ただ、これらは共通してその人間の原動力になっている。 そんなことを考えるとき、決まって僕は自分を動かしているものの答えにたどり着けない。 日々流れに身を任せて、怠惰に過ごしてい

          何が僕を動かすのか