見出し画像

好きだからこそ 群馬県前橋市 天台宗功叡山徳蔵寺 私の百寺巡礼237

群馬県の総鎮守である上野総社神社の隣にあるのが、ここ天台宗徳蔵寺だ。

上野総社神社の隣にあるお寺。かつては総社神社の別当寺であった。
室町時代(戦国時代)の文明三年(1471年)足利八代将軍義政公の祈祷所として建立され、開山は重海法印と伝えられている。往時には寺中七ケ院、末門十七ケ寺を擁し幕府から朱印十六石を下賜され、檀徒三百有余戸を有し、当地信仰の中心をなしていた。
江戸時代初期の慶長十二年(1607年)惣社(総社)領主の秋元越中守が惣社に惣社城を築くにあたって、一寺の建立を計ったが、当時新寺院の建立は幕府の禁ずるところであったため、時の名僧天海僧正の内意によって本寺ならびに寺中七ケ院のうち四ケ院を惣社に移しこれを光厳寺と称した。
爾来この地には寺がなくなったが、旧地の者は明治五年(1872年)檀徒相計り官にその再建を願い、またしばしば光厳寺と折衝して独立し、明治六年(1873年)に然海法印を住職として再建された。この間二百六十六年、この地には寺名のみ残していたことである。


山門から本堂まで行く道順が少し長い。こちらに♪の丁寧な案内だ。


観音菩薩の隣に咲く木蓮が艶やかだ。

住職一家、檀家さんが集うお堂までは道順が示されているのだが、この庭園が又素晴らしい。今の時期はやはりツツジだ。
都心部でもツツジを見かけるが、こんなにもツツジは美しかったのか・・・
都心部の喧騒を忘れてしまうのであった。

生憎、住職は1日出かけているとのことで、檀家さんたちが対応してくださった。定年退職をされたような年齢の方で、静岡県沼津市で出会ったように、このお寺が好きだからお掃除をしている。そんな方なのであった。
今お茶を飲んで休憩。午後も庭の手入れをするんだよ。
と、実に楽しそうにその男性は言われた。

ここで私は、己の普段の仕事ぶりを想う。今の仕事は好きじゃない。嫌いだ。お金の為にやっている。心なんかこもっていない。適当に手抜きをしている。
この美しい庭と比べて情けないのだが、イヤ、それは違う。
皆さん、自分の菩提寺が好きだから心がこめられるのだ。実際、菩提寺との付き合いは法事の時だけ、葬式仏教と言う人なんかわんさといる。
うちのように、義弟がお寺の年会費を払うのを任せていたら、菩提寺がない状態なんてえのもあるくらいで。
日本各地にある美しく整えられた寺院の多くは檀家さんの心が反映されたものなのかもしれない。

木蓮や 菩薩と共に 艶やかに

天台宗功叡山蓮華院徳蔵寺
群馬県前橋市元総社町1丁目31-38
JR上越線 新前橋駅から徒歩15分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?