今こそメディアになろう。2019年冬 イスラエルにて

この記事は2020年に書いたのですがしばらく下書きのまま放置していました。2019年12月のイスラエルの話なのでコロナはまだありませんでした。いま2022年になって状況は大きく変化しているだろうと思います。医療資源にちゃんと繋がれているだろうか。あのおっちゃんは元気かと心配しています。

多少読みにくさもありますが、イスラエルを訪れてから割と早めの時間に書きしるしたものなので、その時の憤りを含めてそのままにして公開しておきます。同じ話をTwitterで連投したことがありますが、より文字数や情報が多目になっています。


これから私は、私の目でみたパレスチナ自治区と、そこに暮らすガイドの声を、イスラエル兵士達の言葉を、嘆きの壁のシスター兼ガイドの言葉を書く。

できればあなたにも、読んで、知って、考えて欲しい。私たちの世界は、私たちの興味関心、思想で出来ている。あなたから変われば、世界は変わる。


重苦しい国だった。

①パレスチナ自治区にある生活

2019年12月私はパレスチナ自治区に居た。そこは、イスラエル兵の占領区であり、パレスチナ人の難民キャンプだ。

黄色い液体の入ったペットボトルが、あの悪名高き壁の壁際にある墓地に散乱していた。変色した古いものもあったが、新しいものも少なく無かった。パレスチナ人ガイドが私たちに向かって解説する。

「これが何かわかるかい?イスラエル兵の尿だよ。
ここは私たちの墓地。そこへ兵士が壁の上から尿をかける。でもそれだと遠くへ届かないからペットボトルに入れて投げるんだ。触りたくもないが、俺は定期的にこれを片付けている。今日は少ないね。」

黄色い液体の入ったペットボトルをもう一度見る。周囲にはゴミ、そして異臭。聖なる墓から異臭がする。この侮辱。キャンプの人は黙って掃除を行う。だけど、墓の内側までは宗教上の理由で手を入れられない。たまにボランティアが来て片付けてくれる。「君たちみたいな観光客だよ。僕らは感謝しきれない。」ガイドは言う。「天使だよ。」

墓地には他につい2週間前に兵士に「剪定」された大切に育てた木があった。棒切れのようになって立つ姿は無残だ。墓の監視のため、見晴らしが悪いので切られたのだという。「前触れもなくやってきてめちゃくちゃにするんだ」

パレスチナ難民キャンプの街の道には、ただ集まって話しただけ、で撃たれて殺された子供たちの名前。写真。その立て看板に残る、ゴム弾の傷痕。
イスラエルは「人道的な配慮のため」実弾でなくゴム弾が使われていると喧伝しているが、その中には鉛玉が仕込まれている。目に当たれば失明。怪我もする。悪ければ死だ。実弾と何が違うのか。

ゴム弾や催涙缶はアメリカから無料支給されている。
トランプが就任して壁の建設のスピードが早まった。武器の供給も多くなった。

サッカー場は檻のように金属の網で囲まれている。学校には窓がない。壁の上から兵士が子供を撃つからだ。

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分断の壁にはスカンクスプレーと呼ばれる装置が付いていて、一般人に発射される。臭いのは勿論、めまいや視覚異常を引き起こす。ある日の早朝、ガイドが門の近くを歩いていると突然噴射されたと言う。
ガイド曰く一日動けなくなったと。鼻がしばらく使えなくなった。

「理由なんかない。ただ歩いていただけだ。何もしていない。」

早朝なのは人通りが少ないからだ。イスラエル兵は人の目を隠れてパレスチナ人をいじめる。あまり観光客なんかに見られるとうるさいから。昼間はおとなしくしてることが多いんだ、と、ガイドは言った。


案内された難民キャンプはコンクリート造りの街になっている。
彼らが難民になってもう70年過ぎた。
その長い年月を頼りないテントで暮らすのはもう耐えられなかった。
一時的な避難と信じて家の鍵を持って出た。だからこそテントの暮らしに耐えた。でも、子供達をテントで暮らさせたくない。30年ほど前、国連の支援で一軒の家がたった。それが今は町になり、商店も学校もある。公民館では歌や踊りの催し物が開かれ、笑顔の写真が飾られている。

教育には力を入れている。小学校も中学校も高校もこの中にある。大学にだっていけるように支援している。学ぶことは希望だと彼らはいう。パレスチナ人は勤勉だ。それが現状への打開策になりえると信じているからだ。

この町の治安は悪いようには感じなかった。行き交う人の顔は明るくも無かったが、暗くもない。
普通に見える町。テルアビブなんかより、ずっとずっと安全に見える。それなのにこの静かな町にあるのが、鉄の網で囲まれたサッカー場、窓のない学校。臭く、ゴミだらけの8Mの壁、スカンクスプレー、尿入りのペットボトル。
だから余計に恐ろしい。日常に虐待があり、死がある。こんな異常が「普通」になっている。

②若いイスラエル兵たち

壁の外へのゲートにたどり着いた。
私たちの前にはアラブ系の男性。金属探知のアラームはならない。
しかし何度もそのゲートの下をを通らせる。飛行機の搭乗前にある検査があるだろう。あれを思い出してくれればいい。

「もう一回だ!もう一回!まだダメだ。ほら、くぐれよ。」

ぞんざいに命令しながらアラブ系男性のバックの中を漁る。ニヤつく若いイスラエル兵士。

私の後ろに並んだ人が、「あいつらはクソだ」と呟いた。

 「right.」私たちも力強く頷く。憤りはあっても、何かしてやることはできない。そして、そのゲートを私たちは少しも引っかかることなく通り抜けた。イスラエル兵士がにこやかに笑う。気分は最悪だ。

空港の出入国も若いイスラエル兵が担当している。入国はすんなりと通ったが、出国の手続きが長い。ムスリムの国に入国した履歴があると、わざわざ脇に連れて行かれて尋問だ。
「アラブ系に友人がいるのか。イスラム教は?過激な思想を持った人に会いに来てはいないか。
何のために行った。何のために来た。
どの場所を訪れた。何の目的でイスラエルに来たのか。」
担当者は兵役に服している若い大学生くらいの子。念入りなチェックだった。

イスラエル兵士には、兵役に服す10代から二十代前半のの子供たちが多い。特に、パレスチナ自治区ではよく若者を見かけた。門周辺などで警備をしている。大きな銃を持ちあたりを警戒していた。かれらは毎日「業務」の後支援者が無料で提供するカフェにいく。そこでは称賛とお菓子が、パレスチナ自治区を「保安する」彼らを待っている。我々を守ってくれている、と喜ばれる。無料で物を貰える。「感謝されて嬉しかった。」元兵士は言う。

夕方、部活帰りのような気軽さで、10代のイスラエル兵士がエルサレムのスーパーマーケットを訪れていた。
マーケットでは、兵役の子供たちへの割引サービスがある。皆楽しそうに歓談している。
手にはカラフルな色のお菓子。身体に似合わぬ大きな散弾銃を背負う。このコントラストが苦しい。少女が親切にトイレの場所を教えてくれた。素敵な笑顔だったが、彼女もイスラエル兵だ。

兵役のしあげは、ローマ兵によって攻められ、籠城して全ての人が自殺、全滅したという丘の上にある街を使って演習を行うそうだ。勿論、兵役中もホロコーストの記念館に行かせられ、「独立戦争」の犠牲と勇猛さを教えられ、ユダヤ人迫害の歴史を叩き込まれる。その恐怖があの国を支える。たしかに、彼らは歴史の被害者だった。

しかし、それはパレスチナ人への虐待を正当化しうるだろうか。未成年の兵役も?

国を挙げてイスラエルはパレスチナを虐待する。その方法は狡猾で残酷だ。
少しずつ自治区内部に入植、入植者警護を理由に兵士を配置。侵食される自治区。勝手に壁をつくり、住人を分断し、土地を奪う。

そこに若者を配置し、パレスチナ人に嫌がらせをさせる。それは洗脳だろう。加担させ、逃げられなくする。人は自らの行動を正当化したい生き物だ。

「考えないようにしていました。考えたくなかったんだ」(元兵士)

パレスチナへの虐待に加担させられ、トラウマになった兵士も多い。
breaking the silenceという団体がある。元イスラエル兵で構成されており、ヘブロンへのツアーを開催している。ツアーで彼らは苦しそうな顔で自らの兵役時代を語り、破壊された町をガイドする。
咽び泣く参加者。前は賑やかな街だったが、破壊され沈黙した街。子供が銃撃された場所。元イスラエル兵の苦い苦い眼差し。

守るべきはずのユダヤ人の心をも壊す兵役と占領政策。いったい誰を幸せにしているのか。

イスラエルという国、ユダヤ人たちの想い

ちなみに、イスラエルの憲法には、国民のための国ではなく、ユダヤ人のための国と書いてある。わざわざ改定したのだ。

首都テルアビブにはユダヤ人には見えない浮浪者が闊歩する。多くが有色人種。エリアによるが治安は悪い。彼らへの福祉は…と考えると気が重い。この国がユダヤ人のためのものなら彼らは含まれていないかもしれない。

夜コンビニに行くと、不審者がいる。買いもしない客がうろんな表情で歩き回っている。それも一人じゃない。店員は不機嫌に座り、風呂に入っていないのか、異臭を放っていた。明らかに不健康。社会の不満を体現している。それでも、街の浮浪者よりマシなのだ。

街中で、泣きそうな表情の男性が私の手を掴んだ。朝のバス停、私がバスに乗りこむ直前のことだった。言葉はわからない。助けて欲しい、と言っているのはわかる。服は汚れている。目だけがじわりと濡れて光っている。バスに乗る大勢の乗客の中で私の手を掴んだ理由はわからない。私には彼を助ける手立てがなかった。そっと振り払ってバスに乗り込む。ずっと頭が混乱しっぱなしだった。なんだよこれは。

この国が幸せには、私には到底見えない。こんな場所が世界でも人気の観光地だと言われるとめまいがする。聖地エルサレム?あの場所だって聖なる地だとはとても思えなかった。

ユダヤ人といえば、パレスチナ自治区へのユダヤ人入植者の中にはリビアなどアフリカ諸国から来た移民が多く含まれる。
パレスチナ人を追い出し、その家を破壊して作った入植地は破格で提供されている。安くなければ、危険を犯して自治区内部に住みたくないのだ。恨まれるのは彼らも理解しているだろう。だから富めるユダヤ人はこんなところには来ない。その上、あそこにいる多くの植民者はユダヤ教信者でさえない。それでも、敷地にはイスラエルの国旗が高々と掲げられ、風を受けてはためいている。

土地を収奪するためには手段を選ばないイスラエル。

しかし、折角壊した街は何年も放置されているようにみえるものも多かった。いっかな整備も入植も進んでいない。もしかしてジリ貧なのか。ホテル、街、ショッピングモール、全体に設備にガタがきていて埃臭い。エアコンからは変な臭いが。国防費ばかりに金を注いだ結果なのか。


それでも教育には力を入れているらしい。
イスラエルの博物館の展示物は驚くほど充実している。
ユダヤのアイデンティティを定着させるために財は惜しまない姿勢を感じる。
宗教関係の展示も充実。死海文書には専用の棟までつけて民族の誇りを強調する。外には大きな古代イスラエルの街の模型。コンビニ2軒分くらいの広さ。わざわざこんなものを作ってアピールしたいくらい彼らは必死だ。古代イスラエルなくしては今のイスラエルはありえない。これこそ大義名分の柱だ。

そして、その古代イスラエルの証拠とも言える嘆きの壁は歓喜にむせび祈る人で溢れている。
あそこは嘆きの壁じゃない。喜びの壁だ。奪還の喜び、古代への畏敬。何十分も揺れながら祈りを捧げる。泣く人も珍しくない。ここには世界中からユダヤ人が集まっている。

嘆きの壁の女性用スペースは狭く、常に密だ。男尊女卑の精神はこの宗教でも根深い。原理主義者の男性はユダヤ教のおしえの研究のために働かなくてもよいが、その妻は生活のために働きにゆかなければならない。長いもみあげにタクシード、厳しい戒律を守って生活しており、独特な雰囲気を醸し出している。イスラエルにとっても大事にしなければならない根幹の思想に生きる集団であり、生活保護まで出して保護している。

しかし、イスラエル上層部と、このもみあげ男たち、もとい、ユダヤ原理主義者の仲は蜜月ではないようだ。意外にももみあげ男たちはパレスチナ占領に反対している。曰く、

「イスラエルの奪還は神の手によって為されればならない。故に、パレスチナの占領政策はすべきではない」

ということらしい。宗教を持たない私にはない発想である。残念ながら本人たちの口から話を聞いたわけではないが、エルサレムにはパレスチナ占領に反対する横断幕も下がっている。ならば、イスラエルのパレスチナ占領とはなんだろう、誰の望みだろうか、と考えずにはいられない。イスラエルは決して一枚岩ではない。

願い事が書かれた紙が嘆きの壁の石に挟まっている。石の表面は手の届く限り祈りの手でまろく磨き上げられていて、冷たく硬い石に柔らかな感触を与えている。

嘆きの壁ツアーもある。喜びに身を浸して語るガイドは、オスマントルコ帝国がエルサレムを占領した説明の時だけ、表情が一変する。エルサレムの街を形だった模型台があるのだが、その模型台の上にイスラム教のモスクの模型を置く時の力の入れようが怖い。音を立て、台に投げつける。憤懣やるかたないという様子。模型が壊れやしないかとこちらが心配するのだが、その目は座っている。一方で嘆きの壁については話しても話しても足りないと言った様子、歴史への憧れ、ロマンを陶酔しきった目で語ってた。(私は吐きそうになった)

参加者にはユダヤ人が多い。8割は海外から来たユダヤ人で、20人ほどの団体ツアーだった。

「あなたはアメリカから、あなたはオーストラリアから来たのですね!ユダヤ人?素晴らしい。ええ!だってここは私たちの聖地ですから。私もカナダからきてここに住み、シスターをしながらガイドをしています。よくみていってね。私たちのルーツです!誇らしい場所ですよ」

この壁周辺にはかつてイスラム系住民の家が所狭しと並んでいたがイスラエルの占領後、「整備」され更地になり、今はユダヤ人のための祈りの広場になっている。

⑤終わりに

「あなたたちにメディアになって欲しいんだ。」


難民キャンプのパレスチナ人ガイドは言った。


「よく見て欲しい。
この墓を、学校を、ゴム弾を、生活を。
そして伝えて欲しい。あなたたちは国際社会の人間、同じ世界に住むひと。あなた達は大事な友人だ。
この場所に来てくれた。この場所に興味をもってくれた。私たちのことを知ってくれた。
私はここから出られない。だけどあなたは出られる。世論を作って欲しい。一人一人がメディアになって欲しい。友人、家族、誰にでもいい。SNSを使ってくれたら嬉しい。広めて欲しい。話してほしいんだ。それが、私たちを救う力になる。絶対になる。
私の娘にこんな世界を引き継がせたくないんだ。国際社会の監視の目が必要なんだ」


私たちはこの声に耳を傾けるべきじゃないだろうか。パレスチナの声に、イスラエル兵たちの声に。

いま、イスラエルとアラブ首長国連邦の国交正常化が話題だ。
しかし、これはますますパレスチナを孤立させる動きでもある。まして、これにノーベル平和賞なんて話さえ出てきた。

本当にこれでいいのか。

いま、コロナもあって、アラブの動きもあって、パレスチナは窮地に立たされている。

私たちは、あるいは日本は当事者ではないのだから、関わるべきではないと言う人もいる。

あえて言おう。

殺人を前にして何もしないなら貴方は共犯者ではないのか。

弱者と強者がいて、強者が弱者を蹂躙するとき、何もしないなら、あなたは強者に手を貸しているにすぎない。

大それたことはしなくてもいい。あなたにはあなたの生活があり、生活空間がある。私もできない。

自分にできることをすれば良い。

少額でも募金、知ろうとすること、
メディアになること。広めること。
監視の目があることを伝えること。
不買運動でもいい。

やれることはあるはずだ。
思考停止せず、無視せず、関わり続けること。


私はあんなものが許される世界に生きたくない。

パレスチナの瞳を思い出す。彼の語る子供への眼差しを思い出す。遠い未来への希望と悲しみを思い出す。元イスラエル兵の悲しみに満ちた瞳を、私は忘れられない。

だからあなたに伝えたい。

この文章はあなたのメディアになれただろうか。

メディアとは媒介である。

あなたがイスラエルのことパレスチナのことを考えるための媒介に、私がなれたなら、これほどの喜びはない。

どうか、何か少しでも行動に移して欲しい。パレスチナの嘆きを広めてください。


元イスラエル兵たちの告発団体↓ breaking the silence

パレスチナガザ人道支援日本プラットフォーム↓

https://www.japanplatform.org/programs/gaza2014/

※現地の人の言葉は全部英語でした。私はそんなに英語が得意ではないので、聞き取れた分と、記憶や意訳で書いています。


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