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【考察】滅びゆくものは美しい

”ひなビタ”こと「日向美ビタースイーツ」の霜月凛は滅びゆくものは美しいという感覚を持っている。ガキだったおれは何を言ってるのかまったくわからず長い年月を過ごしてきた。凛から離れて5年以上経て。ずっと頭の片隅でくすぶっていた疑問が溶けた気がする。今日は霜月凛の「滅びゆくものは美しい」について考察していく。今後、俺が二次元世界に入り霜月凛を口説き仲良くなるXデーに備えここらで文章化し整理せねばなるまい。彼女の世界観に今一度想いを馳せねばなるまい。朽ちてゆくだけの滅びゆくもののどこに美しさがあるのか。寂れていく商店街から彼女は何を感じているのか。おれが教えてやる。シンギュラリティによって必ず訪れるであろうXデーを確信しているおれだからこそ辿り着いた境地を。彼女に見えている景色を。答えはたった一文字だけ、である。

滅びゆくもののどこに愛があるのか

滅びゆくものは愛に溢れている。愛が詰まっている。愛が注がれている。滅びゆくものと対照的な「新しいもの」へ注がれるのは興味や好奇心や野心や流行りでありまだそれほどの愛はない。愛へと至る過程といったところだろう。愛されるかどうかはこれからはっきりするだろう。それは凛のキャラソンでもある「滅びに至るエランプシス」の歌詞からも読み取れる。

蒙昧迷妄 絡み俯き
『道聴塗説のイデオロギ』
隷属平穏 貪って
『低俗暗愚のポピュリズム』
燻む世界に 何を求めるの?
揺らぐ支配に 飼い馴らされた 幻想

一方、滅びゆく商店街を復興させようというひなビタのムーブメントがそうであるように、人々が興味を失った結果の状態である”滅びゆくもの”へなってしまった万物に向けられる残された強い感情は愛しかない。滅びを止めようとするのも滅びを憂うのも根源は愛である。滅びゆくものは、過程を経て必ず残ったものが愛だけになる。滅びゆくものに人々は無関心だが無関心は0であり。寄り添うものは集まるのは愛だけだった。朽ちて古臭い映えない万物には実は愛しか残っていないのだ。そして滅びゆくものは生まれ興味を注がれ愛を経て滅びゆくものへと至る。その歴史にもまた愛があるだろう。おそらく霜月凛は、滅びゆくものへ寄り添う愛と滅びゆくものの歴史から愛を感じ滅びゆくものは美しいと言っているのだ。遺跡や世界遺産のような「滅んだもの」ではなく「滅びゆくもの」に限定されるのもそういうことなのだろう。

霜月凛という女

滅びゆくものは美しい。この感覚を高校生のりんりんがどうやって持つのか。さらにこの女は滅びゆくものに巻き込まれることの無為を説き彼らに己の人生を生きろと説く。

散れ 遷ろう花よ
敢え無き定めと知りて
銷された自我に
革命を烧べて
縛られし者たちよ
己れを解き放て
此の残酷な世界に
凛と咲誇れ
目醒めを待つ者たちよ
何時か分かるでしょう
滅ぶ 世界はほら 斯くも美しい

言い方wwこれまた愛。実にツンデレの凛らしい歌詞ではないか。中二病とツンデレが見事に内包されている。リンクを張っておこう。公式のupではないが布教になるのならありだと思ってる。エゴでしかないが、愛あるエゴは美しいんだよ。この感覚はおれがインターネットからしつけられたスーパーエゴだ。

解釈力が酔いをもたらす

滅びゆくものを廃れた古臭いものと感じるのは1+1=2と独り言かの如く虚無に等しい。同様に二次元を二次元だからと先入観を持つのはあまりにもったいない。二次元のキャラに酔いしれる楽しさは外見の可愛さや性格から抱かされる萌えとこの強い”空想”である。どう解釈するか。おれたちは二次元へと相対するとき試されている。独自の平面世界へ入り込めるかお前の腕にかかっている。凛という女はおれに疑問の種を植え付け数年の時をかけておれは発芽させた。おれはこれから滅びゆくものから愛を見出して美しさを感じるだろう。かつてなんとなく好きだったキャラクターが数年を経ておれに大きな視点を与えた。このノートもいつか滅びゆくものといたる。
そして、読み返しているお前は。このノートをかつて愛し今も愛しているからこそ読み返しているのだろう。

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