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誰も何にも悪くないのが



久しぶりに余裕のある朝だった。いぬに合わせて体を起こしたらいつもより目覚めが良かった。朝ごはん用に買っておいたミスドを優雅に座って食べる。おろしたてのトレーナーに腕を通す。フロントにプリントされた写真が可愛くて、ゆったりとしたサイズ感が楽ちんで良い。いつもよりちゃんとヘアセットができた。髪色も落ちて好みの感じに淡くなってきた。そういえばそろそろ生理も明ける。骨盤矯正のおかげで肩こりや頭痛が和らいで楽になった。外に出ると季節外れの暖かさで、絵に描いたようなぽかぽか陽気が体に嬉しい。昨日は休日を満喫したし、来週は楽しみな予定がいっぱいある。






これだけの好条件が揃っていようとも、
「ダメ」は所構わずやってきてしまう。







昔、なんでなんでと無闇矢鱈に聞き続ける児童に対して「なんでも!」と叱りつける大人を見て、その言い方じゃ納得しないだろうと考えていたのを思い出す。あれとはまた少し違うけれど、今の私は、なんで?もなにも、とにかく何でもダメなのだ。なんかダメなときは、何がなんでもダメなのだ。誰が悪いとか何がいけなかったとかあれが間違ってたとか、そういうのじゃなく。というかむしろ私が聞きたい。一体何がダメだったんですか?



人生にはいいことも悪いこともあって、気分に波があるのは当たり前。そんなことは百も承知だが、こんなことが今後も死ぬまで続くのかと考えると、もう早々に見切りをつけたくなる。こんな面倒くさいもの付き合ってられない。とっとと辞めちまいたい。希死念慮というよりこれは、怠惰に近い。



極論、物事全てに理由なんてない。行きたいから行っただけ、なんとなく惹かれるから好きなだけ、なんか気分じゃないからやらないだけ、死んでないから生きてるだけ。ソースとかないし誰かに説明する必要も無い。だけど自分自身が納得しないと気が済まない性分のせいで、全てに理由や原因を求めてしまう。なんて難儀な生き方してんだ。


誰も何も悪くないのがいちばん困る。原因が明らかな方が気が楽だ。悪役がいてくれればそいつだけ恨めばいい。気圧のせい気温のせい体調のせい。だけどそんな白黒はっきり付くことなんて滅多にない。色んな要因が散り積もって、訳が分からないまま悪が顕現する。現になんの意味も脈絡もなくダメな気分になってるわけだし、原因が分からなければ対処のしようもない。だからこういうときは、手当り次第やってみるしかない。


食べたいものを際限なく食べて腹を満たす。
楽しみな予定を具体的に考える。
ひたすら作業に没頭する。
創作してみる。
本を読む。
音楽に耳を傾ける。
スマホカバーに入れてたステッカーを別のに変えてみる。
ゲームをする。
預金残高を見て安心する。
過去の栄光に縋ってみる。
わざと明るく振る舞う。
友達に連絡する。
暖房にあたる。
とにかくnoteに書き出してみる。



数多の対処法を数打ちゃ当たるでとにかくやってみて、当たればラッキー。原因が分からないんだったら我武者羅にやるしかない。

でもこんな風に動けるときはマシな方。下の上くらいの気分のときはまだそれが出来る。下の下の下の下の下の下、くらいダメな時はそれすらもできず、ただただボンヤリと横になってSNSを開いては閉じ開いては閉じを繰り返すのみ、なのがほとんど。



空打ちばかりで目的のない素振りは当然疲れる。そのうち集中力が切れて余計なミスをして、些細なそれが頭から離れなくなって、過去に吐かれた嫌な言葉が迫り上がってきて、自分の全部が否定されたみたいに思えて、振り出しに戻る。行き場をなくした負のベクトルたちは一直線に私の元へ降り注ぐ。


あー、何やっても上手くいかないけど誰も何も悪くないんなら、私が全部悪いんだよな、きっと。


こんなとき人間の皆さんはどうしてるんですか?と訊ねたい。まあそんな日もあるよね、で済ませられるようになるまでに私は一体いくつこの波を越えなければいけないんだろう。

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