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New Rings

「成長」も「成熟」も過去を卑下する言葉だと思うのです。
現在や未来を肯定するために、過去なんかを「未熟」だと否定するような。

もちろん、過去から現在までを1つの物差しで二次元的に測ろうとした場合、そこには高低差だって生まれるし、その上で「成長」と捉えることもできるでしょう。でも、現実はもう少し多面的で複雑なんです。


先日、映画「人間失格」を観に行きました。
太宰治の名作「人間失格」を小栗旬主演で映画化した作品。

かつてイケメン文豪として浮き名を流した太宰治を小栗旬が演じ、彼と愛を育んだ3人の女性を宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみが演じます。
とても面白い映画でした。

マッチングアプリで出会ったマチ子さんと2人で観に行ったのですが、まだ3度目かそこらのデートにも関わらず開始5分で前戯が始まるという、なんともエロティシズムに満ち満ちた映画を選んでしまう自身のセンスに心のリストカットが止まりません。

映画の中盤では、なんとあの二階堂ふみさんがおっぱい丸出しで小栗旬に抱かれるという超過激なシーンまで。
「何もそこまでせんでも」と眉をしかめる天使と、「これだ、これが観たかったんだ」と目を見開く悪魔が左右で拮抗し、私の顔は笑顔と苦悶が半々に別れた能面のようでした。奇しくもマチ子さん側が悪魔です。

この映画を観終えたあと、私は考えました。
「二階堂ふみにとってこの出演は成長なのだろうか」と。

多くの場合、清純派女優として売り出していた女優が脱いで己の乳輪を披露すると、「堕ちた」という見方がされます。稀に「一皮向けた」という評価のされ方もありますが。

逆に吉高由里子のように、過去に乳輪を晒している人が、定時で帰る可愛らしいサラリーマンを演じて評価されることだってあります。「這い上がったな」と。

しかし、そのどちらも違う気がするのです。
これはボクシングで言う所の「階級」ではないでしょうか。

ボクシングの世界では「フライ級」「バンタム級」「フェザー級」そして最も重量の大きい「ヘビー級」と、体重によって階級が分けられています。

しかし、「ヘビー級王者が一番すごい」という考え方はありません。
それぞれが独立した価値を持つ称号であり、それらは並列の関係です。

それと同じように、今回の二階堂ふみも新しい階級にチャレンジしたということなのではないでしょうか。

そもそも乳輪を出す戦いと、乳輪を出さない戦いはまるで違うはずで、乳輪を出そうと思ったら新たなケアも必要になるのです。
ピンクな色素を注射するかもしれませんし、強めのブラで擦れてしまわぬよう配慮も必要になるでしょう。

まるで戦い方が異なる。
乳輪を出す戦いは、新たな戦場「New Ring」なのです。

だから、以前までの戦いと比べて「堕ちた」だの「一皮向けた」だのという批評はいたってナンセンスです。全く本質的ではありません。
我々が見ている「成長」や「衰退」というものも、場合によっては単なる「変化」の場合もあるということです。

今のあなたが感じている「成長」も「衰退」も、本当にその二次元的な軸だけで判断すべきものなのでしょうか?
まるで違う戦いに挑んではいませんか?

「これはNew Ringだ!」
そう唱えてみてはいかがでしょうか。

これは、ニューリンだ!

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誰からも気にかけられることのない、すかしっ屁のような「屁理屈」がある。それは誰も幸せにしないし、誰かの役に立つこともない、でもなんだか放っておけない。そんな思いから屁理屈エッセイ「屁ッセイ」は生まれました。少しニオいますが、嗅いでやってください。
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