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ドキュメンタルは『侘び寂び』なのかもしれない。

ドキュメンタル season7が今日から解禁されました。
全国のお笑いファン、かつ私のようなフリーのターは全編視聴済みかと思います。残念なことにお天道様と同じ時間帯で真っ当な仕事をされている方はご覧になられていないでしょう。

ご安心ください。
ネタバレは一切しません。
うそ、少しするかもしれません。

そして、今回は少しばかり意識が高い内容になるやもしれません。
偉そうなことを言っているように聞こえるかもしれません。
ご容赦ください。

とにかく、ドキュメンタルが好きな人には意見が聞いてみたい。
率直に私の意見がどう思うか。あなたはどう思っているのか。

ドキュメンタル知らない人、観てない人には聞いてほしい。
この番組はただの下ネタ過激バライティーじゃない。
日本が誇る「侘び寂び」なんです。


そもそも、侘び寂びとは何か。
あまり詳しくは知りませんが、簡単に言うと『質素』で『静か』なものに対して持つ特定の美意識を指した言葉です。

遡れば戦国時代。

武将たちは何でもかんでも豪華絢爛にして自らの権力や財力を誇示していました。昔のガングロギャルが髪の毛を歌舞伎の「連獅子」を演じるかのごとくモリモリにしていたのと同じです。

それに違和感を持った男がおりました。
それが「千利休」です。

彼は禅の精神から「質素」で「静か」なものが美しいと捉え、狭い茶室を作ったり、そこに一輪だけ花を飾ったり、黒一色の茶碗を使ったりしました。すると、武将たちも「その方がかっけえ!」と徐々に言い出し、侘び寂びと言う美意識が日本中に根付いていったのです。
ガングロJKたちが、大人になって清楚な黒髪ロングとパステルカラーのワンピースを着こなし始めるのと同じです。

つまり、価値観を逆転させてしまったんですね。

同じことがドキュメンタルにも言えます。

昔、松本さんはプロフェッショナルのインタビューで「もしかすると、世界で一番面白い人っていうのは、世界で一番おもんない人かもしれない。そうすると、僕はどう頑張っても世界で二番目にしかなれないことになる。」と仰っていました。
今のお笑いってどうなのか。M-1にせよ、R-1にせよ、キングオブコントにせよ、バライティ番組にせよ、面白くて『腕があるヤツ』がヒエラルキーのトップに君臨しているわけです。その代表格が明石家さんまや、ダウンタウンなのでしょう。

しかし、ドキュメンタルの中では、そうとは限りません。確かに歴代の王者は野爆のクッキーやら小峠、ザコシショウなど面白い人たちばかりです。(あえて1人外しましたが)
しかし、プロの芸人が一番腹を抱えて笑っているのは『腕』に対してでしょうか?ノブや後藤の切れ味鋭いツッコミでも、ザコシのモノマネにも勝てないのは「ミス」です。

特に、今回のSeason7ではとあるダークホースが戦場をかき乱します。
何の計画もない浅はかな算段だけで仕掛けて行き、鬼のように変な空気を作っては、また別の仕掛けを放り込む。

もし普通のバライティでやってしまったら放送事故です。
おそらく殆どの司会者が嫌うタイプの出演者でしょう。

でも、そんな彼が空気を悪くすればするほどに、面白くなってしまうのです。おそらく観ている人の多数がムカついてしまうほどの空回りなんですが、その空回りが面白くなる。一歩俯瞰で見た途端に。

「え、ここまでやってオチないの…?」
「もう終わり…!?」
「こんな見切り発車ようやったな…」

そう思った途端に、面白くなってしまうんです。
マイナスにマイナスをかけた時みたく、一気にプラスに転じてしまう。

しかし、これは『面白い』と思う人が限られてしまう。
お笑いマニアか、お笑いのプロだけです。

なぜか。

お笑いとは、シンプルに言えば正しいものをズラす作業です。
みんなが正しい、当たり前と思っていることをあえてズラすから笑いが起きる。ヤフーと思ってたらヤホーだった、ポテトじゃなくてホタテだった、変なお寿司が3つ続けて登場したのに4つ目がイカ二貫だった。そんな風に。

すると、お笑いを普段から日常にしている人はどうなるか。
ズラすことが当たり前になって、『正しい』が増えてしまうんです。
でも、自分にとっては「正しい」でも、視聴者にとっては「ズレ」なこともあるので、プロの芸人さんはその塩梅を調整して笑いを生みます。

すると、素人レベルの「ズレ」には飽きてくるんです。「ズレ」だと本人は思ってないですから。だからもっとズラしたい、もっと変なもの、ワケが分からないものを観たい、そんな風に思ってしまう。

ドキュメンタルはそんなプロたちが一堂に集められ、プロ同士で笑わせ合いをさせるのです。本気で。だったら、視聴者の目線なんて気にしなくていいから、プロの目線感でズラしにかかるのです。
その最果てが「面白くないことをやり続ける」でした。

これは芸人にとって最大のタブーであり、絶対に侵してはならない領域ですよね。それを侵してしまう人は、何よりも「ズレ」た存在じゃないですか。
つまり「一番面白くない人」が「一番面白い人」になるのです。

これは価値観の逆転です。

面白いを追求するのではなく、あえて面白くないことを追求する、それが面白い。賛成の反対、反対の賛成みたいなことになってきますが、そんな地殻変動がドキュメタルで起きているのです。

かつて千利休が豪華絢爛に装飾をギラギラ付けることをよしとせず、あえて真逆の「質素」と「静か」に振り切って侘び寂びを説いたように。
松本人志は面白いものをたくさんくっ付けてモリモリにすることをよしとせず、あえて面白さが一切ないことに「面白さ」の美意識を見出したのかもしれません。

故に、ドキュメンタルは侘び寂びである。

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