屁ッセイタイトル2__35_

エヴァを全話観て「俺の性格が悪いのは東野幸治のせいだ」と思った。

かの有名な「エヴァンゲリヲン」を初めて観た。
映画はまだ観ていないが、とりあえずアニメの全26話。

前々から「最終回が謎すぎる」とか「庵野監督は制作途中で鬱になった」とか聞いていたので、リアルタイムに観ていた人ほどの驚きはなかったと思うが、そんな私でも相当狂った作品だと感じた。

最後3話ぐらいずーっと
『僕はいったい何のためにいるんだ』
『エヴァに乗るため』
『人の役に立ちたいからエヴァに乗るんだ』
『怖いから?』
『うるさい!人の役に立つのはいいことじゃないか!』
『違う、あなたは人に見捨てられるのが怖いからエヴァに乗るの』
『うるさいうるさい!』
『怖いからよ』
『そうだ、父さんに見捨てられたからだ…』
みたいな自問自答が続く。

そして後半『エヴァに乗っている有益な自分』と『それ以外では何もできない無益な自分』との葛藤を起こし、そこから『そんな自分も自分の心が作ったイメージ』であると気付き、最終的には『自分が嫌い』『自分を好きにならないと人を好きになれない』『僕は僕でしかない』『僕は僕を好きになれるかもしれない』『僕はここにいてもいいんだ!』

おめでとう
おめでとう
おめでとう
おめでとう
おめでとう
おめでとう
おめでとう
おめでとう
おめでとう
おめでとう

みたいな感じで終わる。
なんともカオスで哲学的なラストだ。

要するに全ては「自分の心」が決めていること言うこと。
自分を好きになるのも「自分の心」次第と言うこと。

「どんな奴が好きか」「どんな奴が嫌いか」は自分自身に対しても同じであり、嫌いな奴と同じものが自分の中にあると自分が嫌いになる。そして好きな奴と同じものを自分の中に見つけると自分が好きになる。
だから自分を好きになる方法は2つで、1つは「好きな自分を作る」こと、もう1つは「嫌いな自分を受け入れる」ことなのだろう。

じゃあその「心」って何で形成されるんだ?

何を好きだと思うか。
何を嫌いだと思うか。
その「心」が自分を構成して、行動を起こす起点。

だとしたらその「心」が他人との差異である。
自分のアイデンティティというべきものなのである。

私は人の悪口を言うのが好きだ。
人を面白おかしくイジって、ギリギリ不謹慎なラインを狙う。
8割の人がドン引きして、2割の人が大爆笑する絶妙なラインを狙う。

そして「性格が悪い」と罵られる。
「デリカシーを母胎に忘れて来てる」と揶揄される。

でも「そんな自分が好き」なのだ。
なぜ好きなのか?

東野幸治のせいだ。
東野幸治が悪いんだ。

私は小学校の頃から行列で東野幸治が好きになった。
「俺も売れっ子女優の尻にチリチリドリルがしたい」と思った。
彼の放送コードギリギリなサイコパシーは観客と母をヒヤヒヤさせていたが、その勇姿に私は感動を覚えていた。

多感な思春期でも同じ。私は高校の授業中、ガラケーのワンセグで録画した「旅猿」や「行列」「マルコポロリ」など東野幸治の出演する番組を観ていた。授業なんてロクに聞いていない。

そして高一の夏に悲劇が訪れた。
私はクラスのカースト上位女子軍団全員を敵に回して喧嘩したのだ。

きっかけは「シャニカマは女子を差別している」と言うこと。
もちろん可愛い子には優しくするし、ブサイクには厳しく接する。
クラスの女子を美人な順にTop5までランク付けしていたし、それを仲の良い女子にも話していた。

ある日、その仲の良い女子が体育の授業終わりに更衣室ではなく、自分たちのクラスで着替えをしていた。もちろん、男子は更衣室で着替えを済ませているにも関わらず、だ。

私は仲がよかった1人(ブサイク)を激しく非難した。
その後、別の女子(可愛い)にメールで優しく注意した。
その差が喧嘩の発端となった。

「シャニカマは女子を差別している」

私は一切の非を感じなかった。
ブサイクは終始喧嘩腰で話を聞いていたし、可愛い子はすぐに自らの非を認めてくれたからだ。ブサイクは性格までブサイクだったのである。

それを「差別している」だと?
当たり前じゃないか。
違う人間なんだから「差」は生まれるだろう。

その日の放課後にブサイクから誹謗中傷の数々が書かれたルーズリーフを渡された。謝罪を要求する内容だった。これを飲み込んで私が謝罪するなんてあり得ない。ポツダム宣言16回分の屈辱だ。

「差別」といえば非を認めると思うだなんて浅はかだ。
そんなことに屈するはずがない、私が全面的に正しい、真理だ。

そして私はルーズリーフを丸めて友人のカバンに放り込んだ。
クラスの8割はドン引きし、2割の男子が大爆笑していた。
私はその時に思った。

「俺は俺が好きだ!」

おめでとう
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おめでとう
おめでとう
おめでとう
おめでとう

おそらく、その時の非情な振る舞いをする自分と東野幸治を重ねていたのかもしれない。

つまり、全ては東野幸治が悪いんだ。
東野幸治が面白いからだ。
だから彼を好きになってしまった。

そして私は今でもそんな自分が好きだ。
東野幸治も大好きだ。
コウジが大好きだ。

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