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歌詞を鵜呑みにするな。疑え。

SNSは怖いものです。

国会議員の失言は議席数に大きく作用する。
遊び半分の動画は多額の賠償金を支払うハメになる。

彼らは今のSNS社会がキチンと理解できていない。
SNSは常に誰かが監視しているんです。

ちょっとした一言も見逃さない。
みんながみんなアラ探しをしている。
誰かを血祭りに上げるため、彼らは常にクラウチングスタートなのです。

まるでアマゾンの奥地に住む過激な原住民。
「イーネイーネ」と飛び跳ねながらあなたは取り囲まれる。
首まで土に埋められたら最後、カラスの栄養分にされてしまいます。

恐ろしい。

しかも、それはSNSに限りません。
テレビでも、雑誌でも血祭りの対象になります。

彼らはどこにでもいて、あなたを見ているのです。
逃げ場はありません。


しかし。
そんな中、唯一叩かれていない場所があります。

「歌詞」です。

ツイートほどじゃないにしろ、曲だってかなりの数があります。
2018年で12,919枚ものCDがリリースされたそうですよ。

おそらくこの数字はメジャーだけでしょう。
インディーズも合わせるともっと多いかもしれません。
ボカロなど二次創作も含めるともっともっと多いはず。

でも、歌詞で叩かれた人って少なくないですか?
結構前にミスチルの「抱きしめたい」をもろパクリして叩かれたバアさんがいたぐらい。


おそらく、歌手の社会的地位がまだまだ高いんです。
アーティストっていうぐらいですから、芸術家として羨望の眼差しを受け、彼らは一般人からすれば「憧れ」そのものです。

川谷絵音さんが不倫しても、未成年と飲酒しても第一線で活躍しているのはそのためです。


これはこれで「危険な状態」です。

かつて歌詞に感化されて卒業式をボイコットしたり、校舎の窓ガラスを割って回った人がいると聞きます。
そのうち「夫婦を超えてゆけ」とか言って心中する人や、「U.S.A.」と叫びながら米軍基地に乗り込む輩も現れかねない。

何が正しい、何が間違っている。
その判断は「歌詞」でもちゃんとすべきです。

かつて「ギリギリで生きてたい」と言った人達が、最後どうなったかはご存知でしょう?
ギリギリじゃダメなんです、危険なんです。

ちゃんと将来設計とか、積立とかすべきなんです。
男前だからって、中身もいいとは限りません。

どうぞ、歌詞も疑ってかかってください。
信じるも、信じないも、あなた次第なんですから。


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