屁ッセイタイトル2__38_

初めてのダンクシュートで気づくべきだった。

今日、大阪に帰ってきた。
そして久しぶりに見たものがある。

部活動だ。

横浜の家に居た時も周りには小学校なり中学校があったのだが、その時は気にもとめなかった。

しかし、見覚えのあるジャージ姿の少年たちが、見覚えのあるタイルの上を大汗かきながら走っている様を見るとなんともノスタルジックな気分になる。そして忘れていたことまで、思い出させてくる。

私は小学校4年生の頃からミニバスケットボールを始めた。
1年目の夏までは真面目に練習をしており皆勤賞だったのだが、ある日母に「あんた皆勤賞でも試合出られへんねんな」と言われたのを機に頑張らなくなった。高校まで、一切だ。

練習も朝練しか行かず、午後練には一切出ない。
土日の練習も半分は出ないでおばあちゃんの家に行っていた。

その結果、さほど上達もせず、試合にも出ることはほとんどない競技人生だった。今考えれば当然の結果なのだが、当時からへそ曲がりだった自分は「練習頑張ってしんどい思いしたら、試合にも出なあかんから更にしんどいやん」と考えていたので気にもとめていなかった。

そんな私だが、バスケは好きだった。
バスケを練習するのは死ぬほど嫌いなのだが、NBAの試合は毎週食い入るように観て、スター選手のシュートフォームを朝早くから形態模写していた。

そんな私に転機が訪れる。
中三になって急激に身長が伸びたのだ。

それまでクラスの後ろから5番目ぐらいだったのに、部活を引退してからみるみる成長し、180cm弱にまでなった。
余談だが下の身長はさほど伸びず、寝袋にすっぽりと入ったままだったのがとても残念だったと記憶している。

受験勉強も根を詰める時期。
気分転換に部活の友人たちと市民体育館へ行った。
久しぶりにボールに触り、シュートを放つ時間はとても楽しい。

すると、友人の一人が「ダンクしようぜ」と言い出した。
180cmあってもダンクなんて到底できない。
何を言っているんだこいつは。

しかし、彼が指差していたのは私たちがシュートを放っていたリングではなく、反対側のコートにある小学生用のリングだった。確かに、小学生用のリングは中学生のそれより45cmも低いので、優にリングを掴める位置だった。

よし、やってみよう。
そして友人たちとのプチ・ダンクコンテストが開催された。

ただし、そのコートでは10人もの小学生たちが熱心に5対5の練習をしているのだ、中学生がダンクし始めると萎縮してしまう。かわいそうだ。
そこで小学生たちが1セット終えたタイミングに1人ずつダンクしていくことにした。最大限の配慮だろう。

まず1人の友人が両手でなんとかダンクを決める。
しかし派手な「スラムダンク」と言うより、なんとかダンクしたと言う感じ。周りの小学生もチラッと見るだけで気にもとめない。

もう1人は片手でダンクをしようと試みるが大きく外れてしまう。
フォームが綺麗だっただけに残念だ。小学生たちはまたしても一瞥するだけである。

そして、3人の中で一番背の高い自分の番が回ってきた。
小学生たちも最後の一人で一番デカイやつがチャレンジするとあって、少し期待の混じった眼差しを向けている。

私の中では成功のイメージがあった。
当時NBAの最強センターだったドワイトハワードだ。

彼は両手を斧のように振りかぶってリングに叩きつけ、リングをコンマ数秒掴んだまま体を揺すって飛び降りると言う強烈なダンクを真骨頂としていた。

ハワードの身長は211cm。
自分は177cm程度だが、リングは45cmも下がっているんだ。

小学生たちが気を使ってコートを少し開けてくれている。
ゴールまで一直線のラインを10人の小学生が開けたその光景は、まるでスターだけが通ることを許されたレッドカーペットのようだった。

その場でドリブルを3回つき、一気に駆け出す。
ワンツーで踏み込んだステップは軽やかに体を持ち上げ、リングが人生で一番近い存在になる。

ボールをリングに叩きつける。
残念なことにボールはリングの淵に当たって大きく跳ねた。

しかし、私の手はハワードのようにしっかりとリングを掴んだままだった。目だけが跳ねたボールの行方を追うまま、躯体は勢い余ってブランコのように地面と水平まで持ち上がる。そしてあろうことか私は手を離した。

ご想像の通り、私は背中からコートに落ちた。
ビターンという音が体育館内にこだまし、周りを囲んでいた小学生たちが同心円状に広がる形で後ずさりした。

眼前には見下ろす10人の小学生が唖然とする表情。
そして無数の照明が規則正しく配置された体育館の天井が広がっていた。

爆笑しながら走り去っていく友人たち。
私もすぐさまボールを抱えて後を追った。半泣きで。

あの時に気づくべきだったのだ。
「カッコつけるの向いていない」と。

いつだって失敗し、痛い目を見るのは調子に乗ってカッコつけようとした時だ。何なら今でもそう。カッコつけちゃいけない星に生まれた人種なのだ。

でも、カッコつけてしまう。
カッコつけられないのにカッコつける星に生まれているのだろうか。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。