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化粧して「化物(バケモノ)」になりたいの?

以前、こんなツイートをしました。


私の意図としては
・化粧なんかしたところで『綺麗』になるわけじゃない
・すっぴんの顔が一番素敵やん
という2つの意味を込めたツイートでした。

ただ、全ての方に意図が伝わったわけじゃなく。
「私は化粧しないと古田新太になるんだよ!」とお叱りも受けてしまいました。

140字じゃダメですね。
今日はちゃんと自分の主張を誤解を与えないようにお伝えします。


まず、化粧の起源からお話ししましょう。
かつて平安時代に「化粧」は存在しました。
今から1000年以上も前のことです。

その頃は化粧という名の、お面、粘土細工に近いものだったんだとか。
いわゆる「オカメ」ですよね。

こういうヤツ。
当時はみんな顔の上に白い粘土のようなものを塗りたくって、元の顔なんて何かわからなくなるぐらい化粧をしていたそうです。

要するに、全く別の顔を作るのが化粧だったんです。
それゆえに「容姿」に関する差は当時無く、ブスでもモテる時代でした。

今はどうでしょうか?
顔に粘土を塗りたくって、カッチカチのお面みたいな別の顔を作って「化粧ノリがいいわぁ」と言ってる女子を見たことがありますか?

無いでしょう。

今は『ちょっと綺麗になる』ために化粧をしています。
自分の顔はそのままに、それを美しく引き立たせるのが化粧。

そう思って、皆さんは化粧をしているのだと思います。

でも、目に黒いライン引いて「美しい」のか?
顔に粉ふって、色つけて「美しい」のか?
唇を真っ赤、紫、ピンクに色付けして「美しい」のか?

私はこう思います。
まったく美しくありません。

彼女に対しても同じことを言います。
「朝のメイクばっちりで行く時より、帰ってきて化粧が落ちた顔の方が好き」だと。

基本的にムッとされます。
でもこれが本心であり、素直な感情なのだから仕方がない。

ファッションもそうです。
「美しさ」は誰かが勝手に定義して、大多数のマジョリティが受け入れれば決まってしまうものなのです。

首長族は、首が長ければ長いほど美しいと感じるんだとか。
日本に首を一生懸命伸ばそうと、鉄棒に首をかけて限界まで首に体重をかける女子高生がいますか?いませんよね?

多くの女子は足を細く、胸を大きく、顔を小さく。
そういう価値観に躍起になっているわけです。

「美しさ」に絶対はありません。
化粧をして「綺麗になる」なんてのも、実態のない幻想です。

本質は見ている人がどう思うか?でしょう。
私は「化粧をしない顔が美しい」と思います。

化粧なんてしても「化物(バケモノ)」になるだけ。
全員で一斉にやめればいいんです。

最初の1〜2週間は「やだあ」「ブス〜」ってなるでしょう。
でもそれは一つの時代が終わっただけです。

平成が終わるタイミングがいいですね。
今年は「素顔(スッピン)元年」にしましょう。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。