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みんなちがって、どうでもいい。

「あなたムカつくんですよ」

昨日、仕事終わりに行ったイタリアンのお店で彼女から言われた一言です。
正面のテーブルに座った彼女は悪びれるそぶりもなく、ただ真摯に渡された重大な事件の原稿を読み上げる報道番組のアナウンサーみたく滑らかに言ってのけました。あまりに淡々としているので、まるで違和感がなく「でしょうね」と一言返し、そのあとの発言を彼女に任せて次の言葉を待ちます。

どうやら彼女は私を「言い負かしたい」らしい。
しかし、それが上手くいかずモヤモヤするそうです。

「でも、言い返せないってことは俺が正しいんでしょ?」
「そういうとこ」
「たしかに」

おそらく私は「小賢しい(こざかしい)」という言葉がお似合いなんです。理屈っぽくて、妙な説得力があって、でも心底納得はできない、でも言い負かせない。簡単に言えば典型的な女子から嫌われる男子

例えば先日2人で宇治に行った時、彼女がどうしても宇治上神社に行きたいというのでついていきましたが、私は「拝む理由がない」と言って手を清めることも、本宮の前で手を合わせることもしませんでした。「なんで?なんで??」と苛立ちと困惑が入り混じった表情で詰め寄る彼女。

私としては、別に自分が拝まなくても1人で拝めばいいし、「拝む理由がない」なんて言ってる信仰心の低いやつから頼まれる案件なんて神様も引き受けたくないと思うので、無理する方が失礼だとさえ思います。私はとても紳士的、礼儀正しいジェントルマンだとさえ思います。

「日本人として拝みなさいよ」
「日本人で一括りにするのはどうなん?キリシタンも仏教徒もいるでしょ」

「せっかく来たんだから」
「だから神社の風景楽しんでるよ、拝むだけが全てじゃない」

自分は何度も「せっかく来たんやし拝みたいなら遠慮せずやって」と賽銭箱から5mのところで待っていましたが、彼女は「なんなん?」と解せない様子で終始不機嫌でした。

確かに、冷静に俯瞰してみると「ムカつく」ですよね。
一見すると論理にスキがなく、正しいことを言っているようですが、なんかその憮然とした感じというか、頑として動かざること山の如しな風態が腹立たしい。

そんなことを昨日指摘されたのです。

どうして自分は小賢しいのでしょうか。
心当たりは、あります。

私は常に「説明責任」を負って生きているのです。

何か行動するにしても、必ず自分の中にいる他人からの批判や追求に耐えうる論理を構築してからでないと行動ができません。それはひとえに他者に「説明する必要がある」「納得させなければならない」という責任を負っているから。

このブログを書いていることだって「言語化の訓練」だとか「思考の整理」「いつか話せるエピソードのストック」などと幾重にも張り巡らされた論理を土台に成り立っています。
会社の社長をいじるような記事も、自分の性癖を晒すだけの記事も、「なんでそんなの書いてるの?」と聞かれたら答えられるだけの材料を持った上で書いています。

そんな「説明責任」を果たしてくれる論理の中で、最も使い勝手が良い屁理屈があります。それは「人それぞれ」です。
よくビッグダディが「俺はそういう人間だ」という論理の一点張りで元嫁をなだめようとしているシーンがありましたが、あの論理に立脚すると大抵のことに説明がついてしまいます。

「だって俺はそう思ってるんだから」
「俺の感情を否定することがあなたにできるの?」

そう言われると、反論はむずかしくなります。
ただし、チームプレイの場合を除いて。

これがこと「会社」の話や「恋人」との話になってくると、自分の一存だけでは決められない問題となってしまいます。だからこそ、私は基本的に他人に干渉することを避け、「これは個人の問題だ」と片付けるようにしています。だから私は人にアドバイスなんてしませんし、求めることもありません。

それが「恋人関係」というチームである「彼女」という立場の人には見過ごせないのでしょう。故に長続きしないのかもしれません。(基本的に3ヶ月)

ただ、今の彼女は少し過去の元カノとは違うようで、「あなたと話してると頭使うから楽しい」とのこと。これからも私を言い負かすために励むとのことです。これは新たなチームの形が生まれるのでしょうか。楽しみですね。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。