オナラことわざ辞典__10_

【オナワザ】#29 老いも若きも人の口から

「ねえ、いくつからオバサンなわけ〜?」

社会人になってから約2年、女性からこの手の議題を持ちかけられることが多々あります。
大抵はその場の空気を速読した者の粋な計らい(と言う名の社交辞令)で、聞いてきた女性より5〜10個は上の数字を言い、その場が「渡る世間は鬼ばかり」の幸楽よろしく円満に解決します。

ですが、こういった「円満解決」を繰り返している限り、この不毛な議論は全国各地で繰り広げられます
すると国民が過ごす無駄な時間が増え、生産性が減り、日本のGNPが下がり、大国との競争に負け、国連の常任理事国も剥奪となり、経済発展を遂げたインドの植民地になり、毎晩ポソポソのインドカレーを食べて暮らすことになります。


私は比較的日本のカレーが好きです。基本的に白米、時にはもち米も食べたいし、(まだいませんが)娘が初潮を迎えた日には赤飯を炊いてやりたい。

故に、この「いくつからオバサンなのか問題」にケリをつけなければならないのです。


そしてひとつの答えを導き出しました。
それはそれはシンプルな答えです。

「オバサンだと思われたらオバサン」


ね、いたってシンプルではありませんか。
つまり「いくつ?」とか言う問題ではなく、その人の風貌・風格・品格・思考などトータルで含めた上で、判断は完全に相手へ依存するのです。

要はA・B・Cの三人がいたとして、A・Cは「オバサンだ」と言っても、Bが「オバサンではない、おばあさんだ」と言うことも成り立つと言うことです。

考えてもみてください、例えばオバサンの定義を「38歳」と決めた場合、かの竹内結子さんも「オバサン」に含まれるわけです。どう考えても大阪の河内長野でサンバイザー&自転車のハンドルに日焼けカバーな38歳と竹内結子さんとでは尊さが違いますよね。
「いや、竹内結子はオバサンでしょ」などとのたまう戦後最大級の非国民もいるかと思いますが、彼には38歳を迎えるまで無条件に禁固刑を言い渡すとして話を進めます。


逆に明確な基準として『35歳からオバサンです』と安倍内閣が閣議決定したとして、「この人オバサンだなあ」と思われてしまった相手に対し「私はまだ34なのでオバサンには該当しません」と言ったところで何になると言うのでしょう。その人の中で「オバサン」から「めんどくさいオバサン」にスケールアップするだけです。

もちろんこれは、女性に限らず男性の「いつからオジサンか問題」とも同じですね。
男性だろうが、女性だろうが、老いも若きも決めるのは国でも宗教でもなく、各個人の主観的判断に依存するのです。


ただ、ここで考え直していただきたいのは「オバサン」ってそんなに悪いものなのか?という部分です。

確かに「オバサン」というものは「若さ」を剥奪された女性に対して用いられる言葉ですが、その代わりに一種の『免罪符』のようなものを獲得したと考えられます。
関東の「オバサン」も関西の「オバちゃん」も、どちらもあらゆる地域で主役になっていると思いませんか。カフェに入れば一番楽しそうに談笑しているのはオバサンであり、ファミレスに入れば昼間から噂話やゴシップで誰よりも盛り上がるのはオバサンであり、旅行先のホテルでビュッフェに行けば朝早くからずーっと居座って優雅に談笑するのもオバサンです。

つまりオバサンは楽しいということです。
もちろん色恋沙汰とは縁遠くなるかもしれませんが、ある意味そう言った世俗のしがらみから解放され、本当の意味で人生を謳歌することができるのはオバサンからなのです。

オバサンから、全てが始まると言っても過言ではない。


一方でオジサンは厳しいものがあります。あんまり楽しそうなオジサンを見たことがありません。
ここについては考えれば考えるほど凹んでいく予感がするので差し控えさせていただきます。

女性の皆さん、オバサンを肯定しましょう。
そして「オバサン」と言われた日には赤飯を炊いて祝いましょう。


というわけで、本日のことわざはこちら。

老いも若きも人の口から

【意味】
老いているか否かは自分ではなく他人が決めるものだということ。

【例文】
老いも若きも人の口からって言いますが、奥さん全然オバサンには見えませんよ。最初、オジサンかと思いました。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。