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ONARA RECORD #25「虹/福山雅治」

今回ご紹介するオナラレコードは「虹/福山雅治」です。

福山雅治さんはシンガーソングライターであり、俳優であり、タレント、写真家、音楽プロデューサーとまさに現代のレオナルドダヴィンチとも言える多才な方です。1987年に歌手になるため18歳で上京し、まずは俳優としてブレイクします。
特に1993年の「ひとつ屋根の下」は社会現象にもなりました。その後94年にはシングル「IT'S ONLY LOVE/SORRY BABY」で初のオリコンシングルチャート 1位(4週連続)、ミリオンセラーを獲得するなど、歌手としても頭角を現します。現在は日本のシンガーソングライターで歴代1位となるシングル首位獲得作品数記録を持っています。

そんな福山さんの代表曲の中に「虹」があります。ドラマ「ウォーターボーイズ」の主題歌としても有名ですね。

▼PV

▼歌詞


さて、まずはこの曲を簡単に3行でまとめてみたいと思います。

今答えが見えているわけじゃない。
でも、ただそれを信じて待っている。
そんな勇気をくれたのは君なんだ。

これは何とも深い歌詞ですね。
「待つ」と言う行為は、何かを信じていなければ出来ません。

友達にせよ、釣りにせよ。
「待ちぼうけ」のリスクを孕んだまま、信じ抜くからこそ待てる。そんな「愛の歌」なのではないでしょうか。

そしてこれは「オナラレコード」なのです。
一体どんな屁理屈を歌っているのでしょうか。

それは、家でダラダラするアニヲタ小学生の屁理屈を歌ったオナラレコードです。
これまたニッチですね。でもYouTubeやらが発展して、かなり増えているんじゃないでしょうか、こう言う小学生。

まずはアニヲタ小学生の様子を思い浮かべてみましょう。

・小学校6年生の男の子
・周りは部活に励んでいるが、何もしていない
・家ですることといえば「アニメ鑑賞」「ゲーム」だけ
・テストの勉強もロクにせず、家でダラダラしている

母親の心情としては辛いでしょうね。
他の子供たちと比較してしまって、「どうしてうちの子は…」となるでしょう。

では本当に「虹」がこの子の屁理屈を歌っているのか、実際に見ていきましょう。

Let’s ONARA RECORD!!!


今日の母さんは、いつにも増してご機嫌斜めだ。
事あるごとに腹を立て、見るもの全てが敵といった感じ。

「アスカだったら許せるのに」
目の前の中年東洋人に少し落胆する。

部屋に戻ろうと席を立った途端、矛先はついに僕に向かった。
この言葉を聞くのは何度目か。

「あなたいつまでアニメ見てるの、子供なんだから外で遊びなさい」

僕には僕の想いがある。それを今こそ言わなきゃ。
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。


聞いて欲しい歌があるよ
いつか言いたかった言葉があるよ
それは特別なことなんかじゃないんだ
そう それは難しいことなんかじゃないんだ

僕は真っ直ぐお母さんの目を見てこう言った。

お母さん、聞いてほしいことがあるんだ。
僕がなぜアニメを見ているかってこと。

いつか言わなきゃと思ってたんだ。
お母さんは「アニメ」や「ゲーム」って聞くだけで目の敵にするからね。

でも別にめんどくさいヲタク論理を聞かせようってんじゃないよ。
そんな難しい話じゃない、単純なことなんだ。

僕はね…。


ただ 地図を広げて
ただ 風を待ってたんだ 答えもなく
いま僕は行くのさ イメージの向こう側へ
僕の向こうへと
さぁ 飛び立とう

将来ラノベの作家になりたいんだ。
だからその準備期間なんだよ。

だから今は素敵なアニメに触れるんだ。ただひたすらに。
でもそれは勉強じゃない、感性の赴くがままに観るんだ

これは旅に似ている。

旅人が明確な目的なく、ただ地図を広げ、ただ風を待つ。
そこに「答え」があるんじゃない、風に身を任せて流浪することに意味があるんだ。

そして僕は行くのさ、自分がイメージできる、その先へ。
僕自身の限界を超えた向こう側へ。

じゃあ、部屋に戻るね。



お母さんはさらに機嫌を損ねたらしい。
部屋に入ろうとする僕の襟元を掴んで離さない。

どうやら僕が屁理屈を言っていると思っているんだ。
じゃあ、彼女にも分かる説明をしなくちゃ。


君が 君だけが 教えてくれたよ
いつまでも色褪せない憧れがあるよ
だから行かなくちゃ
サヨナラのかわりに 君がくれたんだ
この勇気をくれたんだ

僕にアニメの素晴らしさを教えてくれたのは、お母さんなんだよ。
お母さんが観せてくれた「千と千尋の神隠し」がいつまでも忘れられないんだ。

毎回トンネルを見るたびに「油屋へ行けるかも」って思うし。
豚の角煮を父さんが食べていると、ヒヤヒヤする。

そんな、記憶に残るアニメを作った宮崎駿と言う男に憧れているんだ
何年経っても色褪せない、憧れがあるんだ。

彼(宮崎駿)は相当なヲタクだったらしい。
映画を観すぎて、ありもしないシーンを妄想して鈴木プロデューサーにオススメしたなんて逸話もあるぐらいにね。

だから僕もアニメを見なくちゃいけない。

お母さんはアニメと別れさせようとしている。
でもこの勇気をくれたのは、そもそもお母さんなんだよ。

ありがとう。



お母さんはすんなり僕を通してくれた。
でもそれは「許す」なんてことじゃなく、「呆れ」と言う言葉が正しいようだ。


ただ 雨に打たれ
ただ 虹を待ってたんだ 疑いもせずに
いま僕は行くのさ
イメージの向こう側へ 空の向こうへと
この翼で

僕はただアニメを観た。
ひたすらにアニメを観たんだ、「何にもならないかもしれない」なんて疑いは一切持たず。

そうすることが必要なんだ。
イメージの向こう側へ行くために。

この空の向こう側に。
僕の翼で。


(もしも)僕が いつか風を
(風を)追い越せるその時
(もしも)僕が いつか虹を
(虹を)手にいれるその時
(きっと)君は笑って
(笑って)くれるのかな
(きっと)また逢えるかな(君に)

もし、僕がイメージの向こう側へたどり着いたとして。
僕が新たな二次元の扉を開いたとして。

その時お母さんは笑ってくれるだろうか。
またその笑顔を見せて、抱きしめてくれるだろうか。


(中略)
ただ 雨に打たれ
ただ 虹を待ってたんだ 疑いもせずに
いま僕は行くのさ
イメージの向こう側へ 君の空へ
僕の虹へ 飛び立つのさ

毎日のように母からの「ため息」と「叱責」を浴びている。
でも僕はじっと耐える。待つんだ。

雨の後には綺麗な虹がかかることを知っているから。
疑いもせずに、ただ待つんだ。

今こそ僕は行くんだ、イメージの向こう側へ。
宮崎駿が見ているその世界へ。そしてその先へ。

お母さんにとってはただの「空」かもしれない。
でもそれは僕には「虹」が見えている。

二次元の世界に、飛び立つのさ。



いかがでしょうか。
なぜか妙に説得力がありますね、おそらく宮崎駿の例えがあったからかもしれませんが。

母親の反応は正常なものでしょう。
だってそもそも「表現したい」なんて事がそもそも異常なことですから。

異常なことは、どこまで異常であり続けられるかが大事。
そう言う意味で、彼の取った「待つ」と言う行為も、あながち間違っていないのかもしれません。

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。