マハーバーラタ/6-8.バガヴァッドギーター⑥~瞑想~

6-8.バガヴァッドギーター⑥~瞑想~

シュリーバガヴァーン(クリシュナ)は言った。
「カルマパラ(行いの結果)に執着することなく、すべきことをする人がサンニャーシーであり、ヨーギーでもある。単なるニラグニ(火の儀式を手放すこと)やアクリヤ(行いをしないこと)でのことではない。

パーンドゥの息子(アルジュナ)よ。それがサンニャーサ(手放すこと)と呼ばれるものであり、それがカルマヨーガであると知りなさい。限られた結果に対する欲望を手放していない人は全くカルマヨーギーではない。

アールルクシュ(瞑想という”ヨーガの馬”に乗りたいと望む人)である賢者の為の手段はカルマヨーガで、ヨーガアールーダ(このヨーガを達成した人)の為の手段はシャマ(知識によって全ての行いから引き下がること)のみだ。

感覚の対象物に対しても、行いに対しても執着しなくなった時、その人はサルヴァサンカルパサンニャーシー(全ての欲望の原因を手放した人)であり、ヨーガアールーダであると言われる。

自分自身によって自分自身を向上させられますように。自分自身を破壊しませんように。自分自身のみが自分に恩恵を与える者であり、自分の敵にもなる。

自分自身によって自分を制御した人にとっては自分のみが友人となる。自分を制御していない人にとっては自分のみが敵として対立し続ける。

自分を制御している人にとっては、シータ・ウシュナ(寒さや暑さ)、スカ・ドゥッカ(心地よいことや心地悪いこと)、マーナ・アパマーナ(称賛や非難)に対する考えは穏やかで、考えはいつも落ち着いている。

自分自身の知識によって考えが満足していて、変化することがなく、感覚器官と行動器官を統括し、土の塊も石も金も同じに見ている人、そんな整った考えを持っている落ち着いた人をヨーギーと呼ぶ。

スフルド(見返りを求めずに手を差し伸べてくれる人)、ミットラ(友情を分かち合っている人)、アリ(敵)、ウダーシーナ(知人)、マッデャスタ(仲裁者)、ドヴェーシャ(嫌いな人)、バンドゥ(親戚)、サードゥ(善人)やパーピー(罪人)に対してでさえ見方が変わらないという人。それが最も優れた人なのだ。

瞑想するヨーギーは、静かな場所に一人で留まり、執着や所有から自由であり、その肉体と考えはくつろいでいて、常に考えを瞑想の対象物につなげていられますように。

高すぎることもなく、低すぎることもない清浄な場所で、クシャ(草)、アジナ(鹿や虎の皮)、チャイラ(柔らかい布)の順に重ねて敷いて席を整えて座り、考えと感覚を制御して、考えをエーカグラ(瞑想の対象物に集中)とした人が、考えをヴィシュッディ(純粋)にする為に瞑想しますように。

体と頭と首を一直線にして動かずにしっかりと保ち、まるで鼻の先を見るようにして他の方向は見ず、考えが鎮まった状態で、恐れがなく、ブラフマチャーリー(聖典の学びに専心する人)を確立したヨーギーが究極のゴールとしての『私』を思って座りますように。

このように、いつも考えと繋がりながら考えを統括しているヨーギーは、シャーンティ(平和)を、究極のニルヴァーナ(自由)である不変の『私』を手に入れる。

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