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旅とバイク

かの大泉洋さんが、バイクは「風と匂いと危険を感じる」と言っていたけれど、逆に言えばこの要素がないとその土地を感じる瞬間はないのではないかと、ふと思った。

バイクに関しては完全に後部座席専用と化しているが、それでもあの疾走感と街の景色を肌で感じている瞬間はたまらない。しかしこれが不思議なもので、これにガラス一枚、塗装された鉄を一枚間に挟むだけで、バイクで感じていた高揚感は一気に消え失せてしまう。それだけあの「箱」に収まっていると、街を感じる手段から、ただの移動手段へと変わってしまうのだ。

普段車で移動している何気ない道も、旅行先でバスやレンタカーで窓の中から覗く景色も、これがバイクに替わっただけで、途端に映り方が変化する。なんというか、移動に対して「能動的」になったような感覚なのである。運転していないのに何を言ってるのか…と自分でもツッコみたくなってしまうが、自身の身体がむき出しになっている状態で、道のカーブに身を委ね、風に肌を晒していると、それが例え見慣れた街であろうと、なんだか冒険しているような気分になるのである。これが車であったらより速く過ぎ去ってしまう景色も、バイクならば追いかけられる。より自分の居場所、そして目的地に対しての距離感を感覚的に体感できるのだ。

私はトルコのカッパドキアでみた、夜闇に浮かびあがった洞窟ホテルの幻想的な暖かい光が忘れられない。寒空の下バイクで駆け抜けた。バイクがスピードを上げてカッパドキアの奇怪な道を下っていくのにつれ、私の視界からは幻想的に光る無数のオレンジの灯は遠ざかっていく。もう二度と来ないであろう土地に忘れられない景色を取り残して、身体だけは遠ざかっていく。無数に視えていた灯が次第に数を減らし、一つのぼんやりとした淡い光になった時には、周囲の道や岩で完全に視界が閉ざされていた。

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