見出し画像

私たちは「何もしない」ができない

今までクタってそんなに魅力的に感じたことはあまりなかった気がするんですけど、今回ウブドに泊まって、クタもサーフィンだけで街をぶらぶら歩いたりっていうことをしなかったからか、「いつものバリ」みたいなもの感じることがなく、若干の物足りなさというかさみしさを感じたように思います。

自分ではそう思っていなくても、案外直面すると視えていなかった真実が浮き上がってきたりしますよね。バイクでAlexの後ろに乗ってクタの喧騒の中を走っている時にようやく、「あ、ここがいつものバリだ」という不思議な安心感が芽生えたので、意外と自分の中でのクタの存在感は大きなものだったのかなーなんて思ったり。

適度にクラブやネオンがあって、酒を飲みながら談笑している欧米人やインドネシア人。タイほど風紀の乱れがなく、ベトナムほどネオンの煩さがない、ほどよくコンパクトにまとまった”東南アジア”らしさを感じることができるのが、クタの魅力なんじゃないかなあと。逆にウブドだけだと静かすぎて、”バリらしさ”は感じられるけど、”東南アジア”らしさは少し希薄かもしれないです。いや、どちらかというと、”夜の東南アジアらしさ”笑。

話は変わるんですが、サーフィンを教えている彼らは、朝6時頃からお昼の14~15時くらいで仕事が終了するんだそう。だからお昼を食べてちょっとしたら、海をみながらひたすらビール。で、良い波が来たらサーフィンをする。そんな一日の流れ。

「Alexは仕事が終わった後、なにしてるの?」

「ん?何もしないよ。ここでビール飲んで、ちょっとサーフィンする、それだけ。」

なんて贅沢な一日の過ごし方なんでしょうね。

「何もしないよ。」なんて答え、私には到底できないです。私たちは「何もしない」が出来ない。

だからこそ、海みてビール飲んでサーフィンをする時間を、「何もしない」と言えてしまうことがはっきり言って衝撃でした。そんな贅沢な時間の過ごし方を何もしてないと言えてしまうなんて。これが彼らの日常だから、そういう捉え方に形成されるんですよね。私がもしバリに生まれていたら、同じことを言っているんだろうなあ。そう考えると、環境とその場所で育まれた時間て、不思議な力を持っているのだとしみじみ思います。

普段都会の喧騒に疲弊している人間は、海でただぼーっと酒を飲むことに憧れ、普段昼過ぎには仕事が終わり、海の目の前でのんびり生活をしてる人間は、都会の超高層ビルに憧れる。隣の芝は青く見えるし、何を得たって必ずないものねだりが始まるんですよね。これだから人間は強欲な生き物なんだなあ。

もうちょっと日本が東南アジアに近ければなー!

KLあたりに住んで、バリやタイ、ベトナムあたりに行き放題かつ日本にも帰りやすい生活をするのが非常に理想であります。あそこは立地が最強すぎるよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?