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ファーウェイへの禁輸措置はAndroidに何をもたらすのか

既報の通り、アメリカの商務省が 5月15日、ファーウェイにいわゆる「禁輸規制」を設けました。これに伴い「ファーウェイのAndroidはアップデートがされなくなる」「Googleが使えなくなる、ARMも取引停止だ」など多くのニュースが飛び交っていますが、Androidとひとまとめに報じられていて、正確な報道にたどり着くことはできません
「ファーウェイのAndroidスマートフォン」といっても、その構造はハードウェア、ソフトウェアともに多くの当事者が存在し、輸出管理規制の範囲は非常に複雑です。当事者を含め、まだ誰も全容をわかっていないという段階です。今回の記事ではAndroidスマートフォンの構造から禁輸規制の範囲を考え、その影響シナリオを考えてみます。

多数のモジュールの組み合わせで成り立つ最終製品のAndroid OS

Android はオープンソースで公開されていて、Apache License というルールに沿って利用条件を明示すれば誰でも自由に使うことができますAOSP (Android Open Source Project) と呼ばれるプロジェクトで管理されているため、このソースコードをもとに動かしているAndroidのことを AOSP と呼ぶことがあります。

図: Android Open Source Project (AOSP) は Google だけでなく端末メーカーやキャリア、有志のエンジニアなど多くの人で開発されるオープンのプロジェクトです。
https://source.android.com

一方、HUAWEI Pシリーズ/Mateシリーズや Xperia、AQUOSなど市販されている最終製品のAndroid搭載スマートフォンは各社がカスタマイズしたものが搭載されています。カスタマイズは画面の色や文字の大きさだけでなく、各社が選択したハードウェア(カメラや無線チップなど)を制御するためのソフトウェアや、その設定も含まれています。つまりAOSPだけでスマートフォンを動作させることは不可能で、必ず端末にあわせたカスタマイズが必要になるのです。
このカスタマイズに使っているファイルはAOSP と異なる利用条件で提供されています。例えばPixel シリーズ (Googleが販売するAndroidスマートフォン)の動作に必要なファイルは Google の開発者サポートサイトからダウンロードできますが、これらのファイルは基本的には製造元のプロプライエタリ (クローズドソース)なライブラリです。
HUAWEI や Xperia などの最終製品ではさらに利用条件の異なるソフトウェアが利用されることもあります。例えば独自の音声認識エンジンを積んだり、低遅延のBluetoothドライバや画質向上ソフトウェアなどを含んだりすることがあります。

Android と Google の関係

Android は Google が主導して開発しているプロダクトですが、Gmail や Google Play など、Google に関する機能は AOSP には含まれていません。Google Mobile Suite (GMS) と呼ばれるソフトウェアセットを別途スマートフォンに組み込む必要があります。Gmail や Play ストアなど目に見えるアプリケーションはもちろんのこと、プッシュ通知やGoogleログイン、UBERやPokémon GO に地図が表示できるようにするシステム(Google Play 開発者サービスという名前のアプリケーションです)など他社製アプリを支援する裏方の役割もGMSが担っています。

図: GMS の紹介ページ。Android と Google サービスは別建てです。
https://www.android.com/intl/ja_jp/gms/

GMS の導入には Google との契約が必要です。契約内容の詳細は公開されていませんが、Google のプラットフォームとしての様々なルールが課されます。Amazon が販売するKindle Fire はGMSが導入されていないためGmail やマップなどのアプリケーションは入っていませんが、代わりにAmazon App Storeがインストールされており、Amazon 独自のアプリストアプラットフォームが存在しています。

何が禁輸措置の対象で何が使えなくなるのか

これは、今の時点では誰もわかっていません。なぜならば、組み込まれているソフトウェア一つ一つに対し、非常に複雑な判定作業を行わないといけないからです。

米国商務省安全保障局(BIS)が定める輸出管理規定(Export Administration Regulation)の対象となっている物品が今回の輸出制限の対象となっているのですが、ソフトウェアがこのルールに適用されるかを判断するルールは非常に複雑です。プロセスの詳細は省きますが
- 一般に入手可能な技術およびソフトウェアである
- 既に公開されているか公開されようとしているもの。公開とは無償または流通コストを超えない価額で、一般流通より入手可能なもの。
- 暗号化機能を備えないもの
という判断が必要です。暗号化機能については、さらに鍵長や利用目的、ソースコードの公開形態などの条件もあります。
また、アメリカで開発された製品、またはアメリカが開発した製品が25%以上含まれる製品が対象であることから、アメリカ以外の国で主に開発されたソフトウェアは今回の規制対象外です。

図: EARの判断につかうフローチャート。ブロックにある青字にはまた別のドキュメントがあり、判定作業は極めて複雑です。
https://www.bis.doc.gov/index.php/documents/new-encryption/1655-flowchart-2-1/file

こうした制限はこれまでもありましたが、特に安全保障に関わらない製品は EAR-99 という分類 ("その他"という位置づけ) になり、多くの機能は詳細なチェックをせずに海外に輸出できました。しかし、今回のファーウェイに対してはEAR-99が適用できず、ネジ1本、プログラム1行から制限の対象となりえるため精査が必要となりました。

さて、Androidにはいくつのライブラリが存在するのでしょうか。例えばHUAWEI P20 Proでは 2,000 個以上のライブラリが用いられています。これら1つ1つに対して「暗号化機能を含まないか」「含んでいた場合はアメリカ由来の部分が何割含まれているか」「輸出制限の対象であれば他国のベンダーから差し替えが可能であるか」を検討する必要があるのです。これはGMSを提供するGoogleにとっても同じように確認作業があります。

写真: HUAWEI P20 Pro に含まれるオープンソースライセンス。青字1行が1つのライブラリで、とてつもない量のライブラリが使われています。

手元のソフトウェアが輸出制限の対象かどうかが明確でない以上、それらがわかるまでの間、取引を停止するのは当たり前の行為です。大変面倒くさい作業ではありますが、輸出制限の範囲がわかってきたところで、新たな動きがあるでしょう。それは「Googleマップのとある機能が使えない」レベルの話かもしれませんし、もしかしたら「GMSはもちろんAndroid全部ダメだった」という話になるかもしれません。続報を待ちましょう。

ところでイギリス企業であるARMがファーウェイとの事業を一時停止したというBBCの報道も同じく影響範囲を見極めるためでしょう。

ARMはスマートフォン用のチップの設計図を売る会社です。これをラーメンに例えると、ラーメンそのものの作り方だけでなく周辺の材料も必要な会社に対して「麺の作り方」「スープの作り方」「叉焼の作り方」なども販売しています。周辺のレシピは海外の会社から取り寄せていることもあり、その中にはアメリカの会社も含まれています。ARMとファーウェイの間でどの設計図を販売し、設計図にどの国の技術が何割含まれているかを確認し、それが輸出制限の対象であるかを見極めるには、やはり一定の時間がかかるでしょう。ARMもコンプライアンス(法令準拠)の観点から影響範囲が明確になるまでファーウェイとの事業を一時中断しているものと思われます。

ファーウェイが独自OSを開発するとどうなる?

影響範囲が見えてない以上、推測を多分に含みますがファーウェイによる内製が最も進むケースを想定してみます。ファーウェイは既存のAndroidとの互換性を保つとコメントしている以上、AOSPをベースにOSを設計するものと思われます。イメージとしてはKindle Fireと同等の「自社アプリストアで動くAndroid端末」ができるでしょう。現在中国で販売されている、GMS非搭載のAndroid端末に近いものができそうです。
一方、多くの既存のアプリはGoogleが提供しているライブラリに依存しています。前述の通り、プッシュ通知や地図の表示、Googleログインなどがそれに該当します。アプリ開発者がGoogleに依存した処理を書き換える(例えばGoogleマップの代わりにOpenStreetMapを使う)ことが必要になるのか、それともGoogleがファーウェイを介さずエンドユーザに直接GMSを配布するのかはわかりませんが、何らかの対応が必要になります。(Googleが直接エンドユーザにサービスを提供する分には米国輸出制限への該当はありません) それ以外の、Google に関わらない大多数の実装には影響しません。
結論、独自OSであってもAndroidとの違いを大きく意識することはなく使い続けることができるでしょう。ファーウェイに海外での事業を維持するだけのメリットがあり、Googleがそれをサポートするに足りるだけの事業継続性があると判断された場合の話ではありますが……。

独自OS、独自チップの開発がエコシステムの断絶に至らないかが心配

このように輸出制限の対象が明確でない以上、今回の措置によるファーウェイへの直接的な影響はまだよくわかりません。時間が経つにつれて回避策も見えてくると思うので今から慌てて何かをする必要はないと思います。しかしアメリカ当局の判断如何でソフトウェアのエコシステムに大きな影響を与えるということが判明したことは、今後のソフトウェア産業を萎縮するに十分なインパクトです。

本来ソフトウェア工学は技術さえわかれば国籍も出身も問わずにプロジェクトに貢献できるグローバルなものです。Chromium(Chromeブラウザのエンジン)やLinux、Androidなど著名なプロジェクトのメーリングリストでは世界各国のエンジニアが手を取りながら開発を進めています。ハードウェアの領域でも世界各国の特徴を生かした調達が行われており、例えば日本のネジは精度の高さが認められてファーウェイのスマートフォンで採用されています。貿易戦争の名の下でエンジニアやモノ作りのエコシステムが分断されることが人類の未来にとってマイナスであることは間違いありません。アメリカ人が25%以上関わったプロジェクトを排除する、といったことが現実的に行われてはなりません。

図: AOSP ではファーウェイ社員も貢献しています。(コミッターのメールアドレスがhuawei.comになっています)
https://android.googlesource.com/platform/system/vold/+/9aec7a2fb6f368922dc9b332ca11fc9d58fcc956

当局においては一刻も早く状況の沈静化を図って頂きたいですし、皆さんにおかれましては製品が属する国のことを気にするのではなく、製品そのものを好きになってほしいと思っています。

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追記1 (2019-05-23 18:45)
GMS の契約内容について指摘を受けて修正しました。

追記2 (2019-05-24 00:45)
ファーウェイのエンティティリスト入りによりEAR-99 分類が適用されない旨を記載しました。

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