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「僕はイエス様が嫌い」という祈り

祈って祈って祈りまくって何かが叶ったこと、思い返せばそうですね、あったような気もするし、なかったような気もする。何かに期待する時、多少なりの"お祈り”は入り込むもので。売れかけのバンドのライブチケットの先攻抽選の時とか、PayPayが全額キャッシュバックやってた時とか。去年の今頃は救急センター勤務だったので、とにかく救急車が来ないことを祈りまくってました。福岡の人々よ、無事に過ごせ!と。でも事が過ぎれば、祈ってたことも忘れて、その結果をすっと受け入れてる。小さいことが叶っても、"祈り"の実感は薄いなぁと思う。どちらかと言えば叶わなかった時のほうが、あぁ僕めっちゃ祈ってたのになぁ、、と、"祈り"の実感が濃い気がする。

奥山大史監督作品「僕はイエス様が嫌い」、繊細で胸を打つ映画だった。東京から地方のミッション系小学校に転校した少年ユラの前に、小さなイエス様が現れて次々と願いを叶えていく、、、なんという寓話的な導入!実際、話はすごく分かりやすいし、雪国の静かなムードがぐっと作品に入り込ませてくれる。中盤訪れるある出来事、それ以降に伴うメッセージ、というより問いかけこそが、この作品を鋭く、そして我々のすぐ傍に在るものにしている。誰もが抱きうる、その"届かなさ”に対しての揺さぶり。少年の純真で無垢な"傷”は我々の当たり前をそっと揺らす。いつから信じていたものも、まぁそういうものだよ、と受け入れはじめたんだろうか、と思ってしまう。

最後にこの映画が誰に送られたものかが明らかにされるのだけど、とても大きな意思を持って監督が届けようとしたことが分かる。彼は、自分自身の止まってた時間を動かすためにこの映画を作ったのだろう。あの日の自分自身を救った、とは言わないまでも、少なくとも優しく見つめた。つまりはこの映画そのものが、一つの祈りなのだ。何かに心から想いをよせる。過去だろうと未来だろうと関係はなく、そういう想いは等しく祈りなのだ、という。

私立恵比寿中学の傑作『エビクラシー』も、想えばそれに近い祈りを持った作品だったように思える。去った貴方への、心からの祈り。松野莉奈さん、今月で21歳だったんだな、と思いを寄せ続けるための光、そういうような。

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