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当たり前にあると思っていた日常は、奇跡の上に成り立つ幸せだった。

コロナウイルスが猛威を振るっている。

きょう、東京都では新たに200人近い感染者が確認された。

わたしが住んでいる都道府県にも数十名の陽性患者がいる。

少し前までは賑やかだった繁華街も、「当分の間休業します」の張り紙が目立つようになってきた。


わたしには夫がいて、夫婦2人で暮らしている。

ここ数週間は、毎日必ずコロナウイルスの話題になる。

隣町で感染者が出たとか。

都会では緊急事態宣言が出たとか。

お花見はやめておこうね、とか。

仕事で不特定多数の人と接する夫と、そこまでではないけど買い物などに行けば感染のリスクがゼロではないわたし。

事態が深刻になっていくにつれて、自分たちはもちろん親のことが心配になってきた。

わたしの両親は、うちのすぐ近くに住んでいる。その近さ、徒歩5分。

還暦過ぎの両親と、犬一匹。

そして少し離れたところに90歳になる祖父が住んでいる。

彼らの感染を防ぐために、3月の中頃から実家に行くのをやめた。

同様に夫のお母さんや、祖父母にも会っていない。


仮にわたしたちがウイルスに感染しても、軽傷ですむ可能性が高い。

(今は若い人でも重篤になる人が増えているようなので、甘く見るつもりはないのだけど。)

でも彼らがかかったらどうだろう?

持病のある父。

同じく持病があって、しかも片方の肺が半分しかない祖父。

重症化するのが目に見えている。

もしも自分たちがウイルスを持っていることに気づかないで、親にうつしてしまったら?

万が一のことがあったら?

志村けんさんみたいに、誰にも会えずにさよならをしないといけなくなったら?

仮に親が許してくれても、自分が後悔してこの先うまく生きられる自信がない。


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それまで週1回は実家に顔を出していたのに、急にそうしなくなるのはとてもさみしいものだ。

親と数ヶ月離れるなんて、当たり前という人の方が多いかもしれない。

わたしも一時期は別の場所で働いていたので、そうだった。

お正月、ゴールデンウィーク、お盆。

年に3回帰省できれば十分だと思っていた。

ふとしたときに「なんだかさみしいな、帰りたいな」と思ったことはあったけど、GWまであと2ヶ月!とか、仕事頑張ろう!とか、プラスのエネルギーに変換していた気がする。

だって時が来れば、帰れるのがわかっていたから。

でも今はどうだろう。

しばらくは帰らない方がいいなと思って、もうすぐ1ヶ月。

まだまだ収束の気配は見えなくて、終わりがいつかもわからない。

次にお母さんとお父さんとお茶を飲んで、犬を撫でながらソファでのんびりできるのは、いつなんだろう。


近くにいるのに会えない。

いままで気軽に訪ねて行けたのが、どんなに幸せだったかを思い知ることになった。

ウイルスのことを気にしなくてよくて。

親が元気で。

自分も元気で。

治安がよくて。

なんとか自立して生きていけてて。

ほかにも安心して暮らしていける要素がたくさんあって。

いろんな小さなことの積み重ねで、わたしたちの日常は守られていたんだと気づく。

そしてちょっとしたことで、日常はすぐに壊れてしまうものでもあると気づく。


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元の日常に戻るまで、わたしができることはとても限られている。

人が集まるところに行かない。

うがい手洗いをしっかりする。

外出は必要最低限。

小さなことばかりだ。

でもこれを積み重ねるしかない。

自分は体調をととのえて、本当に必要な人へ医療が行き届くようにする。

人混みを避けて、ウイルスを運ぶ存在にならない。

あとは自分の大切な人にも同じことを守ってもらって、元気でいてもらうだけだ。

終わりはまだ見えないけど一生続くわけじゃないから。

コロナが落ち着いたそのときに、笑顔で会いたい。


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