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ゆるやかな回復

最近の僕は少し変だ。

☑ 誰かに、「会いたい」と自分から連絡してみたり
☑ 突然、後輩に電話をしてみたり

昔の自分では考えられない。

自分のことを知ってもらいたい。
誰かと話をしたい。誰かの話を聞きたい。

そういう思いが強くなっている。

多分、自己肯定感がゆるやかに回復してきているんだと思う。
こんな日が来るなんて想像したこともなかった。

◇◇◇

先日、僕が所属するSHIPというコミュニティでこんなワークをやってみた。

自分がどの位置に当てはまるかをマッピングする。

縦軸に「自己肯定感がある・なし」
横軸に「やりたいことがある・なし」

更に、他者(自分を知る他の参加者)にも他者から見る僕の位置をマッピングをしてもらう


要は、自己評価と他者評価のズレを知ろうというもの。

これが結構面白い。

僕は迷いながら、「自己肯定感が高い、やりたいことがない」にマッピングをした。

次に他者評価の番だ。

他者評価も、「自己肯定感が高い、やりたいことがない」にマッピングをされた。

つまり、自分の認識と他者の評価が相違ない状態だ。
これは結構嬉しい。

自分でもそんなところにマッピングされるなんて、びっくりだ。

昔の自分なら迷わず、「自己肯定感が低い、やりたいことがない」にマッピングをしていたと思う。

これが今の自分に起き始めている小さな変化だ。

◇◇◇
僕はずっと自分のことが嫌いだった。
中途半端な自分、何もできない自分、大事な時に逃げ出す自分が大嫌いだった。

見えない誰かと比べ、自分を攻め続けていた。
自分の感情を他者評価に預けていた。

そんな自分を変えたくて、1年前から自分を知る作業を始めた。

自分探しのワークに参加したり、自分史を作成したり、自分のことを書いてみたり。。。。

あれから早いものでもう1年。。。

自分の中で、ゆるやかに自己肯定感が回復しているのに気づく。

自分のことが少しづつ好きになれている気がする。

要因はなんだろうか。

単純に能力としてができることが多くなったこと、仲間が増えたこと、心地よいと思える場所ができたこと。

いっぱいある。

振り返れば、ここ1年間で色んなことが変わった。

でも、1番変わったことは、「過度な期待」を捨てたこと思う。
これは「自分」へも「他人」へもだ。

自分への過度な期待は、自分を苦しめる。
自分が理想とする自分像との差が大きいと、僕は自分自身を攻めてしまう。

☑ なんで自分はできないんだろう
☑ ○○さんみたいになりたいなれればよいのにな

そして、僕は他人に嫉妬をする。
別にそれ自体は決して悪いことではないんだけど。

結果、闇雲に色々と手を出して、自分を見失い、疲弊した。
心にも余裕がなかった。

僕が自分への過度な期待を捨てられた理由は、
「こんな自分でも良い」と受け止めてくれる人が増えたからだと思う。

別に偉い人になりたいわけでもない。
イノベーションを起こしたいわけでもない。

大切な人の「特別」であればそれで良い。

そう思えた時から、自分ができないことを無理に頑張るのはやめるようにした。


だって、苦しいから。


他者への「過度な期待」も少しづつ捨てつつある。
これはいい意味でも、悪い意味でも言える。

当たり前だけど、僕らは別の人間だし
そう簡単に解り合うことができるはずもない。

過度な他者への期待は、相手を攻めてしまう。
相手に自分の感情を押し付けてしまう。

☑ なんでわかってくれないの
☑ なんでやってくれないの

これは完全に自分のエゴだ。

解ってもらえなくて当然。

じゃあ、その上でどうやったら分かり合えるか?

これが本当の意味での「対話のスタート」だと僕は思う。

この方がずっと楽しい。
だってすぐに分かり合える関係なんてつまらないから。


◇◇◇
今の僕は、ある人から見たら向上心が消えて見えるのかもしれない。
ある人から見たら、自分のやりたいことだけやっている、めんどくさいやつだと思われているかもしれない

でも、それでいい。
しょせん僕はこんなもんだ。ゆっくりと歩いていく。

皆に解ってもらえるのは無理だ。

今の僕の方がずっと好きだし、人にも優しくできているから、OKでしょう。

今年で30歳。来年には31歳になる。

ここからは、「自分だけの武器」を身につけることに時間を割きたい。
それが、大切な誰かを守れる武器になるんだと思う


僕自身がやる意味を見つけたい。

自分ができないことはきっと仲間がやってくれるだろう。

人生って楽しいな

(ばいばい)

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