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「人と知の円環を描きたい」―あそび、ゆらぎ、むすぶに込めたもの

ども!Share Study代表のとしちる@ture_tiru)です。

前回の記事では、社会文化コミュニケーション論を学び身として、Share Studyを運営する上での根幹にある「批評/批判/対話」という概念をどのように捉えているのかについてまとめました。

記事:批評/批判/対話的なコミュニケーション空間を熟成させたい

さて、Share Studyのキャッチコピーとして新たに掲げているのが、「あそび、ゆらぎ、むすぶ。」です。一見、何を表現しているのか分かりにくいかもしれません。今回は、前回の記事ほど体系だった学術的な知見が必ずしも前提にあるわけではありません。ですが、基本的なスタンスとして「人と知の円環」を描いていけるように、考えていることをいったん言語化したものと思って頂ければ幸いです。

前々回の記事で、「βという未完であり続ける」ことで、「考え続ける"正しさ"」を重視したいと書きました。というのも、学問の基礎をなしている哲学においても「哲学は死んだ。」などと言われてしまうほど、何をもって正しいとするかは見方によって変わってしまうことを念頭に置いているからです。

もちろん、"科学的"なものの見方、科学で得られた知見というものが「正しくない」などと言いたいのではありません。むしろ、科学的に真理を突き詰めていく作業はとても重要です。一方で、「科学」というものを歴史的に見たり、人類学的なまなざしから見たとき、必ずしも"科学的"に明らかになったことがすべて正しいとは言えないとも捉えられます。

クーンのパラダイム論や、ポパーの反証可能性といったもの、または不確定性原理など、さまざまなものが、その時代に応じてあるまなざしから見たときの有限性が言及されてきました。

かつて「ラプラスの悪魔」という概念で「未来を予測しきることはできない」というような議論も展開されました。つまり、決定論的に物事を把握することはできないということです(そうじゃないという意見も中にはありますし、完璧な正しさではなく近似で構わないというようにも捉えられます)。

そうなってくると、何をもって「正しい」と信じるのかという、ある種の価値の問題が出てきます。これは、科学的にどうのこうのとかではなく、人間が生きる上でさまざまな選択や判断をする上での違いを生み出すものだと大きくは捉えて差し支えないものだといえるでしょう。

そうして「人と知の関係性」という観点から考えていくと、さまざまな個人・社会集団・文化の間におけるコミュニケーションがこの世界では展開され"続けている"といえるはずです。

かつて、ウィトゲンシュタインという哲学者が「これまで哲学が考えてきたことには意味がない」として論理学を駆使して反哲学を主張しました。主著『論理哲学論考』の最後にはこのように語られます。

語りえぬものは沈黙せねばならない。

こうして学術的な一線を退いたのですが、その後に自身の考えの誤りを認めて「言語ゲーム」という概念を編み出すようになりました。言語ゲームとは、人のコミュニケーションは何かしらのゲームとして成り立っており、その機能を理解することを提唱しはじめます。この哲学の展開から、前期ウィトゲンシュタイン、後期ウィトゲンシュタインと言われるようになりました。

科学はある事象における知見を積み重ねていきますが、哲学や歴史学をはじめとした人文学は一回きりのものを対象とすることで解釈を更新していきます。

学問とひとえに言っても、何を目的として、どの分野でどのような方法論でどのように分析をするのかというのは、どうしても異なってしまうというわけです。

そして、それは哲学であれ科学であれ、それを行う"研究者"自身がどうしても歴史や社会に影響を受けてしまいます。

さて、そう考えてみますと、人と知は

あそび(言うなれば、言語ゲームや科学の有限性)

ゆらぎ(知見の蓄積と更新、時に破壊)

むすび(人と知、知と知、破壊から再生へ)

といった連続性を持った営みとしてなされているはずです。

もちろん、これは社会文化コミュニケーション論を学ぶ者としての捉え方であって、「これが学問のすべてだ!」などと言いたいわけではありません。何度も言いますが、科学的知見を駆使して徹底的に真理を追究していくことはとても大切な営みだと思っています。何よりも、学問分野や研究対象は個々の嗜好性の中で選択され、研究するということ自体を「あそび」のように楽しいことだと捉えることもできます(楽問)。

「学問」を取り巻く人間の行為を長期的に捉えると、「あそび、ゆらぎ、むすぶ。」というプロセスが営まれていると言えるでしょう。

Share Studyというメディアでは、人と知を取り巻くプロセスの連関性をできる限り可視化させ、できることなら日常の中にも落とし込めるような、あり方を模索していきたいと考え、立ち上げました。

ここまでさまざまなチャレンジをしてきましたが、なかなかそう一朝一夕にできることではありません…これからも、持続的に可視化への実践に取り組むためにも、試行錯誤を繰り返していきたいと考えています。

さて、実はもう一つShare Studyで重視したいと考えていることがあります。それは「自他との出会い」というものなのですが…これはまた次の記事にて!

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—あそび、ゆらぎ、むすぶ。—
Share Study β 青山 俊之
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