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「ブレードランナー 2049」について

「ブレードランナー2049」視聴直後の感想ツイートは下のとおりです。

”「ブレードランナー2049」IMAX3Dで観た。開始一分程度でロジャー・ディーキンスの撮影とハンス・ジマーの音楽であちら側へと持ってかれる。ハードボイルドな語り口のプロットは個人的かつ神話的スケールも孕み、尺も必然。あの続編としても申し分なく、SF好きで良かったと心底思えた。”

何書いてもネタバレになりそうなんで、内容のことは全く触れずにツイートしたけど、内容に関しても色々と思うことが湧き上がってくる映画なので、こちらで書くことにしました。

-以下思いっきり「ブレードランナー」及び「(ブレードランナー)2049」のネタバレしてますので注意-

「2049」の冒頭、「ブレードランナー」と同様に瞳のアップ、スピナーが滑空するシーンから始まる。ただし、「ブレードランナー」のように夜ではなく、昼間。そこで描かれる風景は、全体的に白が強調された円状に建つ何らかの建築物(ソーラーパネル?)や水分が干上がった後の汚泥のような地面が一面に広がる荒涼としたもの。生命感は全く感じられず、特に木々が無いというのが後に出てくる木製の玩具の貴重さも物語ってる(そして、それゆえに、中盤のアナ・ステリン博士により想像された森林の鮮烈なこと)。それと空気も霧なのか霞なのか常に白濁として、寒々しく、また、異常気象のせいか、海面は上昇しているようで、海岸には巨大な堰が建築され、激しい波が常に打ちつけられている。

そこからスピナーを降りた主人公「K」が目にする農場で生産されているのは食用の幼虫。大気も大地も汚染され、木々は枯れ、農作物の栽培もままならない状況の中で、ウォレス社の技術開発により食用虫の育成が可能となり、人類は何とか糊口を凌いでるようだ。

「ブレードランナー」では、活気や猥雑さが感じられた夜のシーンでも「2049」では、巨大なビルから漏れる灯りも少なく、「ブレードランナー」の象徴とも言える存在であった巨大な広告と電飾が付いた飛行船も飛んではいない。

このように、あまりに過酷な環境となった地球から逃れるため、既に9つの惑星はテラフォーミングされ、多くの人類が移住を果たしている(こういった世界観には原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」への配慮も感じられる)。

大停電以降、一度は製造することが禁じられたレプリカントであっても、テラフォーミング時の苛烈な作業には不可分な存在であり、ウォレスの尽力により、ただ従うだけのネクサス9型としてレプリカントは再度生産されることとなったわけだが、ウォレスの欲望は留まることを知らず、全宇宙を開拓、支配する=新時代の神になることを目論む。ただし、ウォレス社における技術というものは、基本的にタイレルが開発したものであり、タイレルが成功させたレプリカントによる生殖能力に関して、遂にウォレスは手中にできなかったことを鑑みれば、神を担うには些かの役不足感は否めない(そして、そのことはウォレス本人が一番分かっていることだろう)。

一方で、人類から逃れ、レジスタンスとなったレプリカント達が求めるもの、これもレプリカントの生殖行為により生まれた、彼らにとっての新時代の神。いつか人類が住めなくなる地球は、言い換えればレプリカントだけが住む楽園となり得る。楽園を楽園たらしめるためには、どうしてもレプリカントにとっての神が必要となる。これがレプリカントの共通にして最大の大義。

このように「2049」は多分に神話的構造を持ちながら、終盤はK個人の物語へとなっていく。

大義のために死ぬことを仄めかされ、Kも一度は逡巡する。しかし、Kが人生を振り返った際、思い出と言えるものは、量産されたプログラムでしかないジョイとのママゴトのような日々。そして、人為的に植えつけられた、ステリン博士を守るカモフラージュとして機能することが目的の偽の記憶。しかし、それだけで良いのだ。残りの人生を費やすなら、一度は自分が父と思ったデッカードと自分と記憶を共有するステリン博士のために行動するKは圧倒的に正しい。例え傍から見たら「そんなもの偽物だ」と揶揄されるような記憶(そういった記憶も時と共に消える。雨(ここでは雪)の中の涙のように)であっても。何故ならKにとってはそれこそが全てであり、本物なのだから。

終盤に至り、よく言われる「ブレードランナー」のテーマ=「人間とは何か」「人間と人工物との境界はどこか」「何が本物で何が偽物か」がKの極めてパーソナルな視点を通じて色濃く浮かび上がってくる。自分はここで涙が止まらなくなった。映画でもドラマでもゲームでもアニメでも何でもいいんだけど、リアルな人間との触れ合い以外で、狂おしいほどに感情をかき乱されたことがある人にとっては分かっていただけるのではないだろうか?

正直「2049」には粗も有るし、(製作された時代上、それは当然であるのだが)「ブレードランナー」のような影響力を持つ映画にはならないとは思う。しかし、そういうこととは全く関係なく、どこまでも広がっていきそうな風呂敷を孤独な男の魂(と言い切る)を救済するように収束し、着地することで、自分にとっては、とても大切な映画になった。

ヴィルヌーヴの次作は何と「DUNE」を予定しているらしい。「DUNE」と言えばホドロフスキーが映画化しようとするも頓挫。リドリー・スコットも映画化しようとするも頓挫。デヴィッド・リンチによりようやく映画化されるも失敗作扱い、という曰く付きの案件。しかし、「あなたの人生の物語」、「ブレードランナー」の続編という、これ以上は無い程のSF難物を映画化して、両作ともその期待に応えたのだから、必ずやってくれると思っている。