男は首が据わっていなかった

 憧れの男性と会うことになった。男性はまさに自分にとって目指すべき人物であって、心の底から尊敬していた。そんな憧れの男性と、とうとう会えるのだ。前日はあまりの嬉しさと、粗相があったらどうしようという不安で眠れなかった。
 そんな憧れの男性の首が据わっていなかった。

 男は背広を着ていた。とてもエレガントな風貌であった。背も高く、鼻筋も通っていた。でも、首が据わっていなかった。
 男は別段、病気ではなかった。ただ、幼少期から、首を据わらせる、という努力を怠ったがために、首が据わっていなかったのだ。
 私自身、首が据わるのに苦労した方で、ガムテープでぐるぐる巻きにしたり、首筋にホチキスをして、天井についている紐で吊りさげてもらったりしたものである。あれは、痛くてつらかった。
 男は首が据わっていなかった。親は首が据わっていない男を見てどう思ったのであろうか。矯正とかしなかったのだろうか。いや、別に首が据わっていなくっても、生活にさほどの支障はない。首が据わっていないだけなのだから。
 しかしながら、会う前の、私が憧れていた男の、決して自分ではすることのできない言動とかそういったものは、男の首が据わっていない、この1点だけで説明できてしまうような気がしなくもなかった。もちろん、そうした認識は乱暴で、ステレオタイプを助長させるような、恥ずべき考えだということは理解していたが、しかし、それでも、あまりにも自分の中で腑に落ちてしまったのだ。

 私は背骨に鉄パイプが埋まっている。この鉄パイプを抜けば、私も首の座っていない人間になることができる。世の中の80%が何の補助もなしに首が据わっている世の中で、私は首が据わっているように見せているのだ。
 しかし、私が背骨の鉄パイプを抜いたところで、私はこの男になれないことは明らかだった。ただの首の据わっていない腑抜けが生まれることは明らかだったのだ。

 男は首が据わっていないから輝いて見えた。この因果関係は自分の中ではっきりしていた。しかし、私の首が据わっていなかったとしても、同じ輝きを放てないのも自明だった。

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