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「人の役に立つと嬉しい」が真の場合、その裏「人の役に立たないと嬉しくない」は真か?

そもそもこれは主観的な内容なので命題として成立しないし対偶も成立しない話なんですけど、それを一旦全部忘れて形式だけ貸してくれ!真じゃないです!!!!!!!!!!って話です。話したいこと終わったな……論理学や数学の人に怒られたらどうしよう……ごめんなさい……。

論理学はさわったことないので、これは数Aの範囲だった話なんですけど、ていうかもう早速脱線するけどわたし数学の中で数Aの図形が関わらない範囲がかなり好きなんですよね、集合とか命題とか……。これ普段なにか考えるときにめっちゃ使いやすい、あと場合分けも好きです。

クソリプとかもそうなんですけど、基本「ん?????」て思うようなときや、自分の意図と違う理解をされてるんだろうな〜それゆえにこれなんだろうな〜っていうリアクションを受けるときは、そもそもこの命題の理解や解釈が異なってたり、命題が真のとき逆も裏も真だと思われてることがある、そこは必ずしもそうならないのに。対偶だけなんですよね真になるのは(合ってるよね……)?

わたしはわりと「人の役に立つと嬉しい」性格で、まあいろいろ条件がほんとはあるけどこれを真としましょう。ていうか無理がありますかね命題の考え方使うの?ダメか……。じゃあ、単に「AならばB」のときに「AでないならばBでない」と言えるかどうか、の話をここからします。えーでも人の気持ちは論理じゃないって言われちゃったら終わりだな〜。まあいいか。

話の基本となる「AならばB」を、「人の役に立つならば嬉しい」にしましょう、あーなんか日本語のあの……ニュアンスの問題が出てきちゃってますね、中黒いれましょうか。「人の役に立つ・ならば・嬉しい」。こういう考え方の人について、「他人の役に立つことだけが目的になってしまうのではないか」「自分の人生がんばれ」みたいな話ってありますよね、実際そういうことはある、あるんですけど、それら発言って「Aでない・ならば・Bでない」すなわち「人の役に立たない・ならば・嬉しくない」、言い換えると嬉しさのすべての発生源が人の役に立つこと、という前提にいつの間にか立ってるんじゃないか?って思うんですよ。

たしかに人の役に立つと嬉しいし、なんかいろんな気持ちが満たされたりしてるんだろうなーとは思います。でも、それが喜びのすべてでは、まったくない。

逆に人が自分になんかしてくれて嬉しいなとか、ああ、いい漫画読めて嬉しいなとか、この人と会えて嬉しいなとか、もっともっとたくさんある、あるわけじゃないですか。だからなんか、論理で言ったら裏にあたるような、そもそも命題が真だからといってそこが真とはかぎらないよね、みたいな部分でのすれ違いが、結構あるんじゃないかなーって思ったよ、といった話です。

わたしは結構働くのが好きで、仕事ができる・ならば・楽しいんだけど、仕事ができない・ならば・楽しくない、というわけではないんですよね。そんな単純ではなく、もっと関係しているものがたくさんあるわけですが……。

そもそもAならばBというのは因果関係とも違うし。そのへん、説明するときに結構意識的にしないと伝わりにくいなーって思ったのと、自分も人の話を聞くときに読み間違える……というか、解釈し損じないように気をつけたいなって思いました。ていうかコミュニケーションって、そもそも言葉の定義がだいたい一緒のはず、みたいな前提に立って行われることが多くてやばいですよね。

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