ラジオの思い出

 どうも舎弟のならたです。今回はラジオについて書こうと思います。私のラジオとの出会いは高校の時、友人に薦められて『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴き始めたのがきっかけでした。とくに何年か周期にふかわりょうさんがゲストに来る回が好きでした。

 それがきっかけで他のラジオ番組も聴くようになりました。とくに芸人さんがやっている深夜のお笑いラジオ番組です。TBSラジオの『バナナマンのバナナムーンGOLD』、『おぎやはぎのメガネびいき』、『山里亮太の不毛な議論』、ニッポン放送の『バカリズムのオーナイトニッポンGOLD』、『ナインティナインのオールナイトニッポン』、『オードリーのオールナイトニッポン』などを聴き始めました。

 その中でもとくに、私のラジオ熱を確信的なものにしたのが『アルコ&ピースのオールナイトニッポン0』でした。アルコ&ピースさんは、ネタ番組などで拝見していましたし、オールナイトニッポンが始まる前年のTHE MANZAIでの活躍を目の当たりにしていたので、存在は知っていました。なんとなく聴き始めたこの番組でしたが、徐々に番組の方向性が定まっていく中で、リスナーたちの熱量みたいなものの高まりが他の番組とは違うものがありました。それまでは、テレビなどでは聴けないプライベートな話、深夜ならではの少し下世話な話というのが深夜のお笑いラジオ番組の醍醐味だと思っていましたが、この番組はそういった内容もさることながら、リスナーのメールで構成されていくネタコーナーとアルコ&ピースさんの親和性が抜群で、基本全部ネタというか、お笑い純度がとても濃厚な番組となっていきました。

 いつしか私もこの番組の一員になりたいという感情が芽生え、番組途中期からメールを送るようになりました。初めは、一回の放送に2、3通送る程度で箸にも棒にも掛かりませんでしたが、徐々にメールの数を増やして、10通ぐらい送るようになって、ようやくはメールが読まれました。初めてメールが読まれた時の感動は言葉に表せない程の喜びでした。初めてこの世の中で誰かに認められたとその時は思いました。その採用を機に、毎週一通ずつ程度のペースで読まれるようになりました。

 そして、忘れもしないのがリスナーが特技を電話で披露するという企画でした。リアルタイムで聴いていた私は、メールよりも難易度が高いし、採用されないだろうと本当に軽い気持ちでその企画にメールをしました。今思えばとても軽はずみな行動でした。

 そのメールに私は「ボイパできます」と一言だけ書いて送ったのです。ボイパなんて出来もしなければ、やったこともないのに。そしたら、午前4時頃に急に知らない電話番号から電話が掛かってきてしまったのです。そんな新聞配達員があくせくしているような時間に普通電話なんてきませんから、一瞬で全てを悟りました。恐る恐る電話にでると、その相手はアルコ&ピースのオールナイトニッポン0のスタッフの方でした。 
 
 電話口で淡々と企画内容などを説明され、とりあえず今その特技をやってみて下さいと言われました。そこで本当はボイパなんてやったことありませんとは言えず、もう日が昇り始めてる午前4時頃に付け焼き刃なボイパを披露しました。やり終わった後、とくにボイパに対しての反応はなく、このあと番組中に電話掛けるかもしれないので待機してて下さいと言われ、電話は切れました。

 そして、午前5時、番組から私のところへ電話が掛かってこないまま番組は終了しました。まあ不採用という訳です。そりゃ上手くもなければ、かと言って面白味もない付け焼き刃なボイパだったわけですから、採用されないのは当たり前だったのですが…

それからその出来事がトラウマのようにメールを送ろうとする度に鮮明に蘇り、メールも送らないようになりました。そうして私は普通の聴く専門のリスナーに戻っていったわけでございます。

 そんな苦い思い出も振り返れば、とても微笑ましく思えます。そんな私も芸人になり、今自主ラジオを毎週YouTubeに上げているので是非聴いてみて下さい!

『舎弟の決起集会ラジオ』毎週土曜日20時頃配信中!!

 締め方が思いつきませんでしたので宣伝してみました。ではさようなら
#舎弟ならた #ラジオ

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