ありのまま

こんにちは。今日はあなたもたぶん知っている歌につながる話をします。
この歌詞、ご存知ですよね:

ありのままの 姿見せるのよ
ありのままの自分になるの

映画「アナと雪の女王」の劇中歌「レット・イット・ゴー」(クリステン・アンダーソン・ロペス、ロバート・ロペス作)です。May J.がリリースしたテーマソングとは別に、松たか子が歌った劇中バージョンの率直な歌い方と舞台俳優特有の地声が、歌に不思議なスピリットを吹き込み、大ヒットとなりました。
そして誰もが思います:「ありのままの自分でいいんだ」って。
そうなんです。でもその「ありのまま」は、あなたの本当の「ありのまま」とは違うかもしれない、って考えたことありますか?

これから「瞑想」についてお話します。瞑想は私たちが、本当の「ありのまま」の自分に出会える場所です。

私の体験から話していきます。

2008年、私はちょっと自分を見直してみたいと思って宝泉寺禅センターで「禅修行」に参加しました。このプログラムは2006年に開設され、その後認知度が上がり、2017年にはNHKの「ドキュメント72時間」という番組で紹介されています。
「ちょっと休日の朝に座禅してみた」というライトな座禅体験と、「ほとんど雲水と同じ・特に厳格である為、興味本位で上山すると挫折します」というダイハードな永平寺の体験参禅の中間くらいのメニューです。朝5時起きで体操・座禅・粥座(朝食)、午前は作務、昼食から夕方までは自由、薬石(夕食)後に座禅、22時に就寝。粥座と薬石は修行僧の食器「応量器」を用い、正座・無言の作法でいただきます。それが3泊4日。

参加してみて、私はいくつかのものを得ました:
やってみたらできた!という達成感:「あまりコミュニケーションの上手ではない自分がうまく集団生活できるだろうか」と少し気後れしながら参加しましたが、3泊4日を無事クリアでき、「できた!」という達成感がありました。
研ぎ澄まされる感覚:朝・夜に座禅し、静かな環境で意識を浮かせていると、音や気配に敏感になります。日常ではあまり感じない感覚です。
知らない世界を知った感覚:体験した人でなければわからない感覚があって「自分は普通の人が知らない世界を知っているんだ」という気がしました。
他人と切れた自分:自分と対峙する。なによりこれが重要なのですが、そのことに気付くのはあとになってからでした。

その後、ジョン・カバット=ジンの名著「マインドフルネス ストレス低減法」に出会い、マインドフルネス・トレーニングで実践的な瞑想のエクササイズを自習できるようになりました。こういうものは何人かのグループで一緒にやったりするとモチベーションが上がるのかも知れませんが、コミュ障気味の自分にはそんなことはできず、ただ一人で本と向かい合いました。でも、結局のところ瞑想は実践としては自分一人の行為なんです。

マインドフルネス・トレーニングでは、瞑想を宗教的要素を取り除いた禅的実践と定義しています。「宗教的な難しいことは置いといて、まず瞑想してみよう」という感じです。瞑想の方法にはいくつかバリエーションがあり、結跏趺坐で足を組むいわゆる「座禅」の外に、椅子に座ってやったり、「ボディスキャン」といって横になって自分の体の感覚と対話するような方法もあります。詳しくは関連サイトや本をみてください。
その中で、考え方として学んだのが「手放す」ということでした。頭に雑念が浮かぶ。それは人間だから自然なこと。ポイントは自分が雑念を抱いていることに気付いてそれを「手放し」、呼吸を手がかりに雑念のない世界・「盤石な自分」のイメージに戻ってくることです。
この「雑念に気づき、そこから戻ってくる」というトレーニングを重ねるうちに、徐々に雑念に流されにくく、雑念から戻って来やすくなって行くのです。
とはいえ結局は流されていって、その日の状態によってはなかなか「境地」にはいられない。でもそれでいいんです。人間だもの。ベストではないがベターではある。
「盤石な自分」に戻ってくるトレーニングを続ける過程で、自信を持った自分にたどり着く確率と、その状態にいられる時間が増える。そこがいいところなんです。

カバット=ジンの本の次は「サーチ・インサイド・ユアセルフ」に出会いました。チャディー・メン・タンが書いた本。この本はグーグルのテッキーが書いた本らしく、さらにメソッドよりで、メン・タンの前向きな精神と表現が、瞑想をとても身近でやりやすくしています。さまざまな局面での瞑想方法やそのメリットも紹介してくれています。

そして、今朝、瞑想していて気づいたことがありました。それは瞑想の実践自体があなたをオフラインにするので、現代人にとってはそのメリットがとても大きいのだ、ということです。体験修行からぐるっと回って、今ようやく「他人と切れる」ことの実際的な意味を、体感的に発見しました。
日常、私たちは殆どスマホを手放すことなく、息をするようにスマホを見ているという生活をしているのではないでしょうか。自分と世界が一体化したような錯覚に落ちいり、そこでSNSの誰かと繋がり、自慢したりうらやんだり、自分以外の「情報」や他人との「かかわり」に一喜一憂している。
瞑想はそういった現代的なつながりを全て断ち切って自分自身に戻るベストのツールです。だってあなたがどんな自分であっても、あらゆるコネクションを断って自分とだけ対峙するのだから。そこには文字通り「ありのままの自分」しかいません。
それを苦痛に思う人もいるでしょうか? 私は思いませんでした。その瞬間、ほっとしました。ああ自分に戻れる。自分と対話できる(瞑想の究極ではそんな対話はしないのですが)。
修行僧・達成者の世界とはまったくかけ離れた「俗世領域」にいる私ですが、それでも、瞑想することで、ちょっとはベターな世界に居られます。

瞑想は、おすすめです。

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