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生者と死者のあいだに

ラジオに盆踊り研究家(!!)がゲスト出演されていて面白い話をしていました。

戦国時代の盆踊りは、夜、仮装して(顔を隠して)行っていたらしい。

戦国時代、死ぬ人が多かった。その死者を弔うために(また、祟られないように)盆踊りが流行したそうなんです。
で、なぜ仮装していたのか?
仮装していれば、そこに死者が紛れていても、気づかないから…と…。
(あと男女の出会いの場としての機能もあったようです)

面白いですね。
これを聞いて、昔のほうが生者と死者の境界線があいまいだったのかな…?と思いました。

そういえば、若松英輔さんの講演会に行った際、リルケのこんな文章が紹介されました。

しかしあまりにも際立って区別することは
生けるものたちのつねにおかすあやまちだ。
天使たちは(言いつたえによれば)しばしば生者たちのあいだにあると死者たちのあいだにあるとの区別を気づかぬという
永劫の流れは生と死の両界をつらぬいて、あらゆる世界を拉(らつ)し、それらすべてをその轟音(ごうおん)のうちに呑みこむのだ。
リルケ『ドゥイノの悲歌』より

わたしたち生きている人間は、当たり前のように生者と死者を区別します。
でも、天使からみると、生きている人も、亡くなった人も同じなんですって。

生きている(とされる)私たちの横で、死んでいる(とされる)人の魂が寄り添っている。
一緒に笑っている、泣いている、導いている、踊っている。
わたしたちの目には見えなくても、深いところで一つの世界として繋がっている。

あぁ、なんだかため息がでます。これは良い意味でのため息ですよ。
ここ最近、<死>について考えることが多かった方も多いですよね…。
わたしもそうでした。
でも、この文章を読んで、重々しく張りつめていたものから救われたような気がしたんです。そんなため息でした。

わたし、最近書くことが忙しいのですが(でも、それで良いらしいというのも若松さんが仰っていて、それにも救われたのですが)
リルケはちゃんと読んでみようと思います。

最後まで読んでくれてありがとう!
では、また!

P.S
若松英輔さんのお話はいつもとても心に響きます。文章を書くことについても襟を正す機会になります。

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