帝政ローマ期のアス銅貨

アンティークコインの世界 〜帝政ローマ期のアス銅貨〜

今回は、当時のローマで市民が利用する機会が多かったアス銅貨について探求する。直径18mm前後のデナリウス銀貨と異なり、アス銅貨は25mm前後の大きさがあるため、図像を細かく美しく表すことができた。また、初代ローマ皇帝アウグストゥスによって貨幣の発行権を奪われた元老院だったが、銅貨の発行権だけは継続して残された。そのため、帝政期の銅貨には「SC」という彼らを象徴するラテン文字が刻印されている。元老院は弱まりつつあった自分たちの存在感をコインによって強調しようとしていた。


元老院が85年にローマ市内の造幣所で発行したアス銅貨。アス銅貨はローマ市民が頻繁に利用していた少額貨幣で、日本円に換算すると約80〜100円に相当する。ポンペイの遺跡から発見されたローマ人の帳簿を見ると、この銅貨でパンが買えたと記されている。本貨は銘文まで鮮明に残る良好な状態である。銅貨は頻繁に利用されたものだったため、ここまで状態が良いものは珍しい。発見後に洗浄されたのか、当時に近い色を呈している。当初、アス貨は青銅(銅と錫の合金)でつくられていたが、初代ローマ皇帝アウグストゥスが貨幣改鋳を行い、銅の含有率が高くなって赤みを強く帯びた色合いに変わった。だが、通常は錆によって黒ずんでしまい、現在では当時の色は失われている。本貨は薬品による洗浄でコインの周囲を覆っていた錆のパティナを除去したため、下に隠れていた本来の色が露出したのだろう。こうしたコインの洗浄処理はドイツ人が好んでよく行うが、原則アンティークコイン市場では洗浄してパティナを落とすと価値は大幅に下がる。
図像に注目すると、フラウィウス朝最後の皇帝ドミティアヌスと金銭の女神モネタが表されている。表面の銘文は「IMP CAESAS DOMITIAN AVG GERM COS XI(最高軍司令官、カエサル・ドミティアヌス・アウグストゥス、ゲルマニア征服者、執政官11回経験者)」、裏面の銘文は「MONETA AVGVSTI SC(皇帝のモネタ、元老院決議の許可の下で発行)」と記されている。モネタは英語の「Money(マネー)」の由来になっている女神である。モネタを祀る神殿内には造幣所があり、ローマコインはそこで生産されていた。神殿に造幣所があるというのは何だか不思議な感じだが、女神モネタのそばでコインをつくることでその恩恵を受け、ローマの経済的繁栄を期待したのかもしれない。


元老院が98〜99年にローマ市内の造幣所で発行したアス銅貨。アス銅貨、ローマ市民が頻繁に利用していた少額貨幣で、日本円に換算すると約80〜100円に相当する。ポンペイの遺跡から発見されたローマ人の帳簿を見ると、この銅貨でパンが買えたと記されている。本貨は銘文まで鮮明に残る良好な状態。銅貨は頻繁に利用されたものだったため、ここまで状態が良いものは珍しい。色は錆により黒ずんで変色しているが、この錆によって形成されたパティナがコインを守る保護膜の役割を果たしているので、無理に磨くことはしない方が良い。以前、同じアス銅貨で錆を落として当時の色合いを復元する実験を見せてもらったことがあるが、薬品によって錆のコーティングを剥がすとコインの表面がボロボロになって粉をふきはじめる。金属が薬品によって破壊されている証拠で、コインは綺麗になるどころか表面が削れ落ち、さらに酷い状態になった。薬品によってはそうしたアクシデントも起こるため、やらないことが一番だが、どうしても必要なら事前の確認を重ねた方が良いだろう。
図像に注目してみると、ローマの領域を史上最大に拡げた皇帝トラヤヌスと敬虔の女神ピエタスを表している。表面の銘文は「IMP CAES NERVA TRAIAN AVG GERM PM(最高軍司令官、カエサル・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス、ゲルマニア征服者、最高神祇官)」、裏面の銘文は「TR POT COS II SC(護民官特権保持者、執政官2回経験者、元老院決議の許可の下で発行)」と記されている。この称号の並びなどから本貨の発行年が98〜99年とピンポイントで絞ることができる。執政官を務めた回数が増えればその数字が変わり、何か政治的なことを成し遂げれば、その称号が新たに加わるからだ。このコインはトラヤヌスの治世初期のものだが、時代が下るとダキア遠征成功に関した称号が加わるようになる。

noteでは著書『アンティークコインマニアックス〜コインで辿る古代オリエント史〜』よりも踏み込んだ内容を紹介している。特に銘文の読解に力を入れてたい。解釈が複数になり得る抽象的な図像と異なり、文字は伝えたい内容をダイレクトに表している。それゆえ、文字の読解は彼らの文化を読み解く上で、非常に重要と言える。言うなれば、「歴史は文字が生んだ」。文字がなければ、私たちは先祖たちの過去をここまで多く知り得なかっただろう。図像や宗教・文化の解釈だけでなく、この場では銘文の読解や現在のアンティークコイン市場の動向などに焦点を当てていくつもりでいる。

To Be Continued...

Shelk 詩瑠久


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