【赤裸々エピソード】追い詰められた結果、自己重要感が埋まった話
こんにちは。
身長193cmマーケターの川畑です。
川畑は学生時代、ある口癖を持っていました。
それは、
「どうせ俺なんて…。」
です。
そう、川畑はとてもネガティブでした。
どうネガティブだったかというと、自分の意見や考えに対して自信がなかったんですね。
だから、仮に川畑が「A」と主張した時に、別の人が「B」と主張した場合、
「あ、Bの方が正しいんだ。」
と思って、一瞬で自分の主張を引っ込めていました。
だから自分の意見を主張することなんてほぼなかったし、俺には存在価値があるんだろうかと思っていたんですね。
そのため、僕は高校も大学も、本格的な部活でバスケをしていましたが、自分がこうしたいと仲間に意見を発信することは全くありませんでした。
普通プレイヤーとして、もっとこうしよう、ああしようと発信しなければならないのに、です。
だから仲間からは、「お前が何を考えてるか分からない」と、よく言われてたんですね。
要は、昔の川畑は、自己肯定感も、自己重要感も欠けていたのです。
そんな川畑の、根本的な自信のなさが消えた出来事が、1つありました。
時価総額1千億円を目指すIT経営者との出会い
それは2017年のこと。
川畑はその年、あるバスケチームに入りました。
そのチームは、ALPHA DOGと言います。
このチームに入ったことが、僕の人生を大きく変えました。
そのチームのボスが、なんとITの会社の経営者で、とんでもなくすごい人だったのです。
その会社はHP制作会社としてポジションを取っていたのですが、
その会社で作ったウェブサイトが、立ち上げて半年で月間160万PVを達成
某大手予備校から、広告運用の依頼を受け、生徒が増えすぎて広告をストップする
などなど、当時ですでに凄い実績を持っていたのです。
ちなみにその経営者はマコトさんと言います。
左上が慎人さんで、右下が川畑ですね。
彼は今、時価総額1千億円?だっけ?1兆円だっけ?を目指しており、ITの世界でトップを取ると本気で目指している人物です。
3年ぐらい前ですが、実際にこうして経営者の世界で非常に注目されており、こんなふうにゲストとしてイベントで登壇するなどもされていました。
たまに2人になった時に仕事の話を聞くと、
「最近タイの財閥と提携したんだよね。そこの財閥は東南アジアのセブンイレブンを牛耳ってて、伊藤忠の筆頭株主なんだよね。」
「うちの役員に、ピーターティール(PayPalの創業者)のもとで働いていたエンジニアがいるんだけどさ、本当は金融にめちゃくちゃ強くて…云々。」
とかとか、ちょっと次元の違う話を、いつもしてくれます🤣笑
さて、そんな彼が、僕がALPHA DOGに入ってすぐぐらいの時に、チームの人たちにある提案をしたんですね。
それが、
「自分たちの飲み代を、自分だちで稼ぐチームにできたら面白くない?」
ということ。
慎人さん曰く、ALPHA DOGというチームを、ただバスケが強いチームにしたいのではなく、
ぶっ飛んだ面白いバスケチームにしたいんだよね、ということでした。
確かに、ただの社会人チームでそんなことをやっているところ、見たことないですよね🤣
じゃあ具体的に何をやるの?
というと、それが「メディア」でした。
メディアにアクセスを集めて、そこでキャッシュを得るというシンプルなモデルです。
(本当は他にもいろいろ構想があったんですけど、今回は割愛します。)
僕を含め、ALPHA DOGのメンバー3人が、
「慎人さん面白そうですね!やりましょう!」
と、乗っかることにしたのです。
偶然にも、その3人のメンバーは川畑と同い年でした🤭
3人の同級生+慎人さんで、チームのメディア運営をスタート。
さて、このメディア運営のスタートが、川畑の自己重要感とどう繋がっていったのか…?
学生みたいなノリで、月間1万アクセスのブログを作りました
さて、異次元にすごい経営者、マコトさんの発案により、
「自分たちバスケチームの飲み代を、チーム内で稼ぐ」
を実現するために、僕たち3人でメディアを立ち上げました。
そのメディアがこちら。
HOOPS JAPAN。
これは、バスケットボール関係の
プレーが上手くなるコツや練習方法
NBAやBリーグの最新情報
を扱った、バスケブログみたいなものです。
お金を生み出すモデルも、非常にシンプル。
このメディアには、Googleアドセンスの広告を貼り付けています。
例えば、↓この画像の赤枠で囲っている2箇所。
これは、Googleアドセンスという機能を使って表示させているんですね。
この広告が表示されている回数が多ければ多いほど、HOOPS JAPANに入ってくる広告収入も増えてくる。
というものなんですね。
しかし、記事の執筆をすることになった、川畑含め3人は、ブログ集客記事の書き方は全くの素人。
余談ですが、ちょっと専門的な話をすると、このアクセス集めはSEOという手法を使いました。
※SEOとは、Google検索からアクセスを集める方法のこと。
川畑はこの時点で、コピーライティンは習得しており、文章1つで商品を販売することができてたんですね。
ただ、コピーライティングとSEOは全くの別物なので、川畑はSEOをゼロから学ぶ必要があったのです。
で、前回も触れましたが、マコトさんの会社は、月間のアクセス数をゼロから160万まで持っていった実績とノウハウを持っていました。
実際にマコトさんの会社の副社長さんが、それを実現したという事だったんですね。
そこで川畑は、その副社長さんにお会いさせていただき、やり方を色々と勉強させていただきました。
その結果、なんと!
HOOPS JAPANの立ち上げ後、
初月で月間5000アクセス、
2ヶ月目には、月間1万2000アクセスまで伸びたのです😳
この結果に、マコトさんと川畑はビックリ笑
マコトさんと川畑は、いつまで経っても月間1000アクセスを超えないサイトが山ほどあることを知っていました。
そう、アクセス集めは簡単ではないんですね。
しかし、一緒にメディアを始めた2人は全くの素人だったので、
「え?これってそんなにすごい事なの?」
と、自分のことなのに「ふーん」ぐらいにしか思っていなかったようです笑
そんなことで、好調な滑り出しでHOOPS JAPANの運用がスタート。
当時はみんなこの活動に熱量があり、毎週のように川畑の家に集まり、みんなでどうやって伸ばしていくかミーティングであれこれ話し合いました。
またね、このミーティングが楽しかったんですよ。
大体みんなで集まるのが、夜10時ぐらいなんですよ。(すでに時間が遅い)
で、夜中の1時ぐらいまでミーティングしたら、今度はそこからみんなで桃鉄をやるんですよw
で、朝方の4時ぐらいになったら解散するっていう🤣
ちなみにミーティングの時、マコトさんがコンビニで全部奢ってくれてたんですが、
その時にいつも、川畑の家の近くにあるファミマに行くんですよね。
で、そのファミマでいつも、
「マコトさん、こんなにいらないって!」
って言いながら、棚にある『スーパーBIGチョコ』を全部カゴにぶち込んでました笑
↑これが『スーパーBIGチョコ』ですw
そしてミーティングでは食べきれず、お菓子が余るっていう笑
大人になっても学生みたいに関われるって、本当幸せですよねー🥹
このように、順風満帆に始まったHOOPS JAPANの活動。
ところが、始まって数ヶ月ぐらいに、ある事件が起きたのです。
同級生の善意の行動が、川畑の心を追い詰めました
バスケメディアの記事を作っていたのは、全部で3人。
川畑と、もう2人は会社員。
そのもう2人は、うさぎとサルというペンネームで記事を書き始めました。
2人はそれぞれ、想いがあってHOOPS JAPANの運営に加わりました。
特にうさぎは、僕に対して「もっと稼げるようになってほしい」という想いがあったそうです。
というのも、当時の川畑は家族がいました。
相手と、その連れ子が2人。4人家族です。
HOOPS JAPANを立ち上げた頃は、だいたい7〜8年と結構前になるので、川畑はまだあまり稼げていませんでした。
川畑が起業家として成長するためにも、僕をHOOPS JAPANの運営に加えてくれたんですね。
読者さんなら
「なんだ、うさぎくんっていい人じゃん」
って思いますよね。
そう、確かにいいヤツだと思います。それは全く否定しません。
否定しませんが、ちょっと口調がキツいんですよねw
同級生ですが、彼は長男として生まれてきているし、当時24〜25歳ぐらいだったうさぎは、すでに結婚して子供も2人いました。
さらに加えて、中学校3年間はアメリカに在住していた帰国子女でもあったのです。
なので、うさぎの性格は
責任感がとても強い
頭の回転がとても早く、仕事が出来る(某大手企業に転職してから、最速で昇進しているらしいです🤔)
論理的に話すのが得意で、口喧嘩もとても強い(この辺は多分アメリカ仕込み)
とまぁ、「うさぎ」という可愛らしいペンネームからは想像もつかないような、バリバリなエリートサラリーマンという感じです。
そのうさぎは、彼の思いがあって、川畑に
「お前、なんで結論から話さないんだよ。話が回りくどい。」
「それはお前、考えが甘いんじゃないの?」
という感じで、よく詰められていました🤣笑
HOOPS JAPANは結構密に関わって活動していたので、毎週会うたびに色々言われていた気がしますw
という時の川畑は、うさぎの思いをなんとなく分かっていながらも、
(なんで俺がここまで言われなきゃいけないの?)
というフラストレーションが、どんどん溜まっていきました。
そしてある時、事件が起きたのです。
その日の川畑は、金子さんの講座のサポートをする日でした。
当時はまだ、ウチが完全にオンラインに移行する前で、金子さんは代々木で会場を借りて、リアルでセミナーをやっていたんですよね。
金子さんにもHOOPS JAPANの話をしていたので、
「おお〜、それだけ伸びてるのはすごいね^^」
と言っていただいてました。
そして金子さんが、川畑のHOOPS JAPANの実績を活用して
『ブログ開設3ヶ月で月間1万PVを達成するブログコンサルティング』
というものを考えてくれたのです。
その時川畑は、金子さんがコンセプトを考えてくれた、というのが嬉しかったんですよね。
だから、その日の夜にあったHOOPS JAPANのミーティングで、みんなに
「金子さんがこんなコンセプトを考えてくれた〜。」
と、報告をしました。
すると、うさぎが
「そういうのを、お前自身が考えられないのが、根本的にうまくいってない原因なんじゃないの?」
「なんで自分で、そういう事を考えようとしないの?」
と、強く問い詰められたんですよね。
いや、今なら彼の言っていることはとてもよくわかりますw
ただ当時の川畑は、
(ただ嬉しくて報告しただけなのに、なんでこんなに詰められないといけないの?)
と、もう不満が爆発しそうでした。
その時一緒にいた他の人も、あの時の川畑の様子はちょっと変だった、と言ってましたね🤔
ここ数ヶ月間、毎週1〜2日のペースで会うたびに
「なんでお前は、こうなんだ」
と、問い詰められ続けた結果、とうとう川畑はキャパオーバーになりました。
限界を超えた川畑がとった行動とは…。
不満が爆発し、グループLINEを抜け、電話も拒否しました。すると…
度重なる、想いあっての「うさぎ」の厳しい指摘で、ついに川畑の心は限界に達しました…。
限界に達した川畑は、HOOPS JAPANのグループLINEに、長文で
「HOOPS JAPANの活動を抜けます。」
という趣旨のメッセージを入れて、グループを退会したんですね。
当時のメモを一生懸命探していたら、
「なぜ俺は、HOOPS JAPANの代表という立場でいながら、こんなに出来ない子の扱いをされ続けなければならないんだ。
ここにいると、かえって自分の可能性を潰される。」
という文章が見つかりました。
もう、当時の時の感情は、すっかり消し飛んでいるので覚えていないのですが笑
きっと、相当プライドが傷ついたんだと思います。
「なんでお前は結論から話せないんだ。」
「どうしてお前は、そういうことを自分から考えようとしないんだ。」
という、いろんな形で「なんでやらないんだ」という言葉を、僕は「お前は何も出来てないね」と言われているように感じたんでしょうね。
今なら、頑張って欲しいという想いがあって、そういう言葉をかけてくれていたと理解できます。
しかし、根本的に自己重要感が欠如していた川畑に、そう受け取る度量がありませんでした。
「お前たちから見たら、俺は出来ないヤツなんだろう。」
「俺はどうせ、誰の役にも立っていない。」
そういう気持ちばかりが、膨らんでいったんですね。
だから川畑は、
「もうHOOPS JAPANを抜けます。」
という決断に至ったのです。
その1時間後あたりに、「うさぎ」とマコトさんの2人から、電話がかかってきました。
ただ、もうHOOPS JAPANと関わりたくないと思っていた川畑は、2人からの電話を無視して、布団にうずくまってたのです。
程なくして、当時一緒にいた連れの女性から、電話がかかってきました。
その女性は、HOOPS JAPANの活動も応援してくれていたし、メンバーの人たちとも仲良くしてたんですね。
その女性曰く、
「どうやらマコトさんが、川畑のことが心配で、その日予定していた打ち合わせを全てキャンセルしてくれたみたいだよ。だから、マコトさんだけにでも、会ってあげたら?」
ということでした。
そりゃもう、会わないわけにはいかないと思い、その女性と、マコトさんの3人で会うことに。
マコトさんが、
「とりあえずHOOPSのことは忘れて、一緒に俺の山梨に行こうぜ」
と提案してくれたんですね。
マコトさんは高校3年間を山梨で過ごしており、彼にとって大切な第2の故郷。
連れの女性と、マコトさんの3人でウチの車に乗り、東京から高速道路で向かうことに。
ほったらかしの湯という音声に入り、一緒にいろんなことを話しました。
その中で、マコトさんが言ってくれた言葉を、今でも覚えています。
「誰も、お前が出来ないヤツだなんて思ってない。お前は、俺らにとって必要だ。」
と、力強く言ってくれたんですね。
それは、僕を励ますためにとかではなく、マコトさんが心から言ってくれた言葉だと僕は受け取りました。
川畑の過去を少し遡ると、高校時代のバスケ部だった頃、同級生のキャプテンと上手くやっていけなかったのです。
キャプテンは、身長が高い僕に期待していたけど、川畑のあまりの闘争心のなさに
「なんでお前、そんなプレーもできないんだよ。もっとやれよ」
と、いつもブチ切れられ、ボコボコに殴られていました。
不器用なキャプテンは、身長が高い川畑に対して、もっと積極的にプレーをして力を発揮して欲しかったからこそ、
「出来るのに、なんでやらないんだよ。」
という想いが、そういう言動に出ていたんですね。
実際に川畑は、公式戦になると毎回大活躍していました。
(アベレージで、毎試合20得点20リバウンド取ってましたしね🤔)
しかし川畑は、ただただ毎日怒られるのが嫌だったし辛かったので、
「俺はダメなヤツなんだ。だから毎日こんなに辛いんだ。」
という受け取り方をしていたのです。
そういった経緯から、川畑の自己重要感が大きく欠如していたんですね。
だから、マコトさんのストレートな言葉によって、
「あ、俺って誰かに必要とされる存在なんだ。」
と、初めて心の底から素直に思うことができたのです。
これが、川畑の中に欠けていた自己重要感が、初めて埋まった瞬間でした。
それ以降、出会う人全員から、「なんか雰囲気が変わったね」と言われるようになったんですよね。
高校の頃からの友達からは、
「キャイ、なんか落ち着いたね。」
と言われました。
(川畑の下の名前は「快(かい)」と言うので、ニックネームがキャイだったんですよね🤭)
他にも、仕事関係の方にも同じようなことを言われました。
ある時、スピリチュアルの感性が強い、Tさんという不思議な方とお茶をすることになったんですね。
そのTさんに、HOOPS JAPANのことは1ミリも話していなかったのですが、
「なんだか、「私今ココにいて良いんだ。」っていう感じになりましたね。」
と言われたり。
他にも
「前はただの若造って感じだったのに、今はすっかり落ち着いた感じがするよ。」
というふうにも言っていただきました。
会う人、会う人、みんな川畑の変化に気付くのですから、それがどれだけ川畑にとって大きな変化をもたらしたのか、あなたにもなんとなく伝わると思います。
いや本当に、仲間って大事ですよね。
人との関わりが増えると、トラブルが起きたり、煩わしい部分も増えてきます。
でも、仲間がいなければ、中々得られない気づきや成長だってあるんですよね。
HOOPS JAPANがあるからこそ、今の川畑がいるのです。
というわけで、4部作にわたって、川畑のエピソードをお話しましたが、いかがでしたか?🙋♂️
少しでも「面白かった」とか「良い話が聞けたな〜」って思ってくれたら、嬉しい限りです😊
また次回のメルマガでお会いしましょう!
ではではー!
身長193cmマーケター
川畑
◆おまけ
ちなみに「うさぎ」とは、今でもすごく仲がいいです🙋♂️
お互いのことをよく理解しているし、お互いに遠慮をしません笑
なので一緒にバスケの試合に出た時、ウサギがミスをすれば「はい、いつも通り〜」と川畑もイジりますし、
うさぎの方も、川畑のことを遠慮なく煽ってきますw
マコトさんにも、「ブタゴリラ!」「ちび!」といじってますw
学生のノリで関われる仲間がいるおかげで、いつも楽しく生きていますw
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