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こんなゴチャゴチャな話がどうしてこんなに面白いんだ/東大教授が語り合う10の未来予測

その日、都内某所にあるさびれた夜道を俺は一人で歩いていた。
コロナ禍以来、一度も足を踏み入れたことのない場所。
コロナ中にも身分証だけもらっていたが、いつのまにか忘れられて更新されなかったとある大学。

薄暗い夜道をとぼとぼと歩き、ふと見上げると見慣れた建物があった。

「こんなに小さかったっけ?」

まるで昔はとてつもなく大きく見えた親父が、ある時を境に急速に衰えたように見えた。この学校を象徴する建物は、儚くか弱い存在であるかのように錯覚する。これが歳をとるということなのか。

そのとき腹がぐうと鳴った。

昔はよくここの地下に何度となく飯を食いに来ていたのだが、歳をとると若者向けのカロリー全開定食は想像するだにきつい。

踵を返し、工学部11号館に向かう。
本当なら、松本楼のハヤシライスでも食べたいところだが、たぶんとっくに閉店してる。

しかし暗い。まだ時刻は六時を少し回っただけなのに、こんなにも暗い。
その暗さがいみじくも表現できないのは、iPhoneのカメラが高性能すぎるからだ。もっと暗いのである。

落ち葉が見えるほど明るくなかった

思えば、20年前、ここの大学院のよくわからない試験の合格発表を一人で見に来た時もまさにこんな暗い夜空の肌寒い日だった。

それから僕は学部でも大学院生でもない、履修生という謎の身分でここに通うことになった。最後まで頑張れば修了証みたいなのがもらえたらしいが、本業が忙しくてやめてしまった。しかしここで学んだことはその後の人生で大きく役立っている。そのことにはずっと感謝している。

その後、離れたりまた縁があって客員になったりして気がつけば合計在職期間は一番長いかもしれない。恐るべきことに、在籍しているだけで何ひとつ学術的な貢献はしていないのだが。

子供の頃は、ここにくれば全ての知識が、叡智が手に入ると思っていた。
でも知れば知るほど、叡智は遠のいていくのだ。わかるのは、叡智とは遥か高みにあることだけで、その高さが、ここに来る前は富士山くらいだろうと思っていたら、実際に来たらおそらく海王星軌道よりさらに先だろうということだった。

高尾山と富士山なら比較もできるが、海王星への距離と比べれば誤差にすらならない。歳を重ね、それを知ってしまったことが、僕の認識を変えてしまったのか。研究というのはそれが最先端のものであれ、予算がいくらつけられたとしても、常に自信満々というわけにはいかない。もしもやる前に確実に結果がわかっているのならば、それは研究とは呼べないからだ。

この学校の先生方にただ共通するのは、他大学の先生にはあまり見られない、極端な楽観主義、能天気さだと思う。

というのも、他の惑星からの痕跡をキャッチするのに地球と同じ大きさのネットを張って捕まれば砂つぶひとつくらいはつかまるだろうとか、人間は能力をダウンロードできるようになるから勉強しなくていいとか。およそ教育ママが聞いたら自我崩壊を引き起こしそうなことを平気で言う人々が集まっている。

正直言うと、今回ここに来るのはあまり気が進まなかった。

なぜ来ることになったのかと言うと、月に一度のレギュラー番組「LuckyFM ダイバーシティーニュース」でキャスターをしている瀧口友里奈がここの教授を集めて言いたい放題言わせてそれをぶん回すというウルトラCみたいな番組をやっていて、それをベースに本を作ったという話で、その出版記念でパーティをやるから是非来い絶対来いと言われたからである。

絶対来いと言われたので「まあ行けたら行く」くらいに生返事をしていたのだが、果たして当日までに「もっと重要な予定」が入ることもなく、行かなきゃ行かないで角が立ちそうだったので重い足取りで向かったのだ。学内で飲み会に参加するなんていつぶりだろうか。

そもそも知ってる人がそんなにたくさんいるわけでもなし。まあ率直に言うと場違いだなと思い足が重かった。寒いし。

しかし腹が減った。

普段は立食パーティの飯など当てにしないようにしているのだが、この日ばかりは事情が違った。飯だ。飯をくれ。

そうこうしているうちに目的地についてしまった。

タイトルが長くて覚えられない

とりあえず挨拶して、飯だけ食ってとっとと帰ろう、と思って瀧口友里奈を見つけて記念写真だけ撮った。

瀧口さんがもってる包は俺があげたものではなく他の先生のお土産

さて帰ろうかなと思ったら、暦本純一先生とばったりでくわした。

「あれ、今日は京都のはずでは?」

「いや、京都から新幹線で戻ってきましたよ」

「このために!?」

「このために」

これはすぐトンズラするわけにもいかなくなった。
なにしろ今年の三月までは僕は暦本研に所属していたのである。

それからずいぶん忙しくて疲れ切った様子の松尾先生も居たので三人で記念撮影した。なんか昔は学会のたびに先生方が記念撮影をするのが理解できなかったのだが、たぶんこうして記録しておかないといつ誰と会ったか忘れてしまうからだろう。

というわけで、他にもグロービスの堀さんやいろんな人と話をして、その後、先生方を集めたトークを見て、僕はピンときた。

「ああ、これからの人工知能に必要なのはこれだな」

ちょうどこの頃、僕は自宅で一ヶ月近くプログラムをまわして、10万件の「マルチターン会話データ」を制作していた。

マルチターン会話データとは、「あるテーマについて先生と生徒に分かれて複数回のやりとりをする」というタスクに基づく会話データで、日本語では圧倒的に不足しているデータだ。

僕はWikipediaのデータセットをGPTに読ませ、ある程度高品質なマルチターン会話データを生成することはできていたが、このアプローチにも限界がある。

それはそもそもWikipediaに書いてあるようなことしかわからないことだったり、Wikipediaが必ずしも正しい知識とはなってなかったり、仮に正しくても誰にでもわかるようには書かれていなかったりという問題があるからだ。

もっとデータの質を高めるには、会話データそのものをオーガニックに、つまり人間当人から引き出す能力が必要になってくるのである。

その意味で、瀧口友里奈の才能は極めて稀有なものだと改めて感じた。

専門分野も違う、興味分野もバラバラな教授陣を並べて本来なら絶対噛み合わないマッチメークを知のエンターテインメントに昇華させる手腕はもっと評価されていい。

そういうわけで、これまで一度も開いてなかった本書を改めて読むと、人工知能と拡張現実感と宇宙工学と生命工学とまあとにかくいろんなネタのごった煮のはずなのだが、なんだか全体としてはいい感じに進行し続けるというものになっている。しかも「なるほどわからん」という感じではなく「そうなのか」という腹落ち感がありつつ次に続いていく。絶妙な人選とトーク回しで色々な分野の面白そうなところを垣間見ることができる。

僕が中学生や高校生の頃にこの本を読んでいたら人生がまた少し変わっていただろうなと思う。もちろんその頃には瀧口友里奈は生まれてもいないわけだが。

というわけで、読むのはもちろん、思春期くらいの子供にプレゼントするのもおすすめです。