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世界の人々はたいてい英語がヘタなんだ。俺も人のことは言えないが、それを知ってるだけで随分気楽になる

久しぶりに世界を放浪している。そもそも俺はさすらいのプログラマー。ここ数年、放浪してなかった方がむしろ不自然なのである。

今は世界中の主要都市はまあまあWiFIが通じるので、Ngrokとかあれば自宅のマシンにログインしてA6000マシンで学習走らせたりしながら学習してる間は地元料理を食べたり、世界に散らばった友達に会ったりして情報を収集できる。結局どこまで行っても自分で見たもの感じたものを超える情報源はない。これからのAI時代、ますます「自分だけのデータ」を持っていることが大事になる。AIにとっても、多分人間にとっても。

非英語圏に行くと、とにかくみんな英語が下手で安心する。安心するというかまあイライラするんだけど、まあいいか俺も人のこと言えないし、と思ったりする。通じてこない英語に通じない英語で返す。お互い様だ。まあ頭に来たら母国語(日本語)で文句を言えば大体通じる。

レストランで注文する時も、もはや相手の国の言葉や英語で伝えるよりも、「これくれ」と言った方が伝わる。結局、コミュニケーションとは怨念であり念力みたいなものなので、言葉など補助的なものにすぎない。いくら頑張って教科書通りの英語を喋ったとしても、向こうはbとpが入れ替わって発音したりしてるんだから通じるわけがない。真の(かどうかはわからんが)発音を無視して、airportを「エアボート」、personを「バーソン」と発音する人たちに対して頑張って正統リーガルな発音をするよう努力しても無駄である。よく言われる、「LとRの発音の区別がつかない」ことなんかどうでもいい。「お前のpとbをまず何とかしろ」と言っても始まらないのと同じように、LとRの発音を区別したところで何も変わらない。

例えば韓国語には「は行」の発音がないらしくて、全部半濁音になる。要は「福岡」が「プクオカ」、「羽田」が「パネダ」になるのだが、それで困る人を見たことがない。むしろちょっとカタコトに聞こえるくらいの方が韓流アイドルは愛嬌があるではないか。韓国語は日本語の熟語は発音が共通しているので、実は共通点の多い言語だ。でも聞くと全然違う。

反対に、日本語には韓国語の二重母音がないし、二重母音を発音する方法は僕もよく知らないのでどれだけ表面をなぞっても決して本場の韓国語のようには喋れない。デーブ・スペクターを見ればわかる。僕が生まれる前から日本に住んでるのにいまだに訛りがある。そして別にそれでいい。それはそれで個性なのだ。

ある意味で、海外では「俺がルールだ」と言い張り、「図太いバカ」として振る舞う能力が必要になる。日本人の友人と海外に行くと、意外とこの「図太いバカ」をやるのが苦手な印象がある。どうしても頭の中で「ちゃんとした英語を話せば通じるはず」という思い込みがある。断言してもいいが、相手がたとえアメリカ人だろうとイギリス人だろうと、「ちゃんとした英語」が通じる保証はない。

日本人に対して日本語で喋りかける時も同じぐらい誤読・誤発音してるのだが、それに気が付かないのは、日本で生まれ育った人が日本語を喋る時には間違えるはずがないという絶対的な自信があるからだ。

諸外国では多くの人たちがこのような自信を英語に対して持っている。国によっては「お前の英語何言ってるかわかんねーよ」と言うとひどく侮辱されたと思って激ギレされる場合がある。同じように訛っている特定の方言英語コミュニティの中で閉じているので、「これが正しい」と思い込んでいるのだ。

たとえ文章でもちゃんと通じるとは限らない。その意味ではChatGPTの方がずっとマシだし、僕が自分の乏しい英語力に頼らずに常に機械翻訳に頼る(特に読み物の時は)のはこう言う理由がある。下手な人間、AIに及ばずである。

周囲を見渡すと、英語ネイティブのバイリンガルほど、よくDeepLを使ってるように見える。やればできるけど脳の無駄な部分を使うのが面倒だから機械にアウトソースするのである。我慢して英語を勉強しても何の意味もない。

先日、放浪の旅で英国に立ち寄った際、現地で買った簡単な書籍を電車の中で読んでいたら、思いの外スラスラと読めることに気づいた。普段機械翻訳しか使ってないのに。実際には、文学作品でもなければ別にそんなに難しい言葉は使われていないのである。国内にいるとこうはいかない。どうも国内で英字の本を読んでいると、何だかソワソワしてしまうのだ。多分、英語が全くできなかった時に、格好をつけて読めもしない英字新聞を買っていた頃の後ろめたさが今になってフラッシュバックするのだろう。

まあでも英語はまだいいけど、最近のAI関連のアレでは中国語がわかんないとどうにもないないこともあり、流石に中国語とかロシア語(StableDiffusion以前は画像生成AIはロシアでの研究が活発だった)とか出てくるともう自動翻訳先生に出てきてもらうしかないのである。

海外にいるとUberの運転手さんとかが普通にGoogle翻訳で会話してくる。別にそれで困らないのだ。

VIVANTのドラムみたいな感じだ。CVは林原めぐみではないが。

しかしあれだ。
久しぶりに案内もなく未知の場所を連続で訪れて、「今日こそ死ぬかもしれない」と言う予感をビシバシ感じている。これがある意味でさすらいの醍醐味だよなあ。まあ生きてるだけで儲け物だよな。

映画とかにもあんまり出てこないような場所に行くと、なぜ映画にあんまり出てこないのかわかる。やばすぎるからだ。こんなところでロケするとかマジやばい。やるにしても相当なお金がかかるに違いない。

昔の映画はスクリーンプロセスと言って、背景だけ海外で撮影して俳優の背景に映写して合成するパターンもよく使われていた。実は今でもよく使われているのだが、スクリーンプロセスではなくて普通のグリーンバック合成になっているのでもはや気づく人はいない。スクリーンプロセスの時は色味が違うのでバレバレだったがそんなこと誰も気にしてなかった。

でもまあ結局、普段と違う環境に身を置くと、意外なアイデアが湧いてくるんだよなあ。これがあるからさすらいはやめられない。

今日は結局、外に出たのは3時間ほど(そのうち2時間はタクシーで往復)で、あとはずっとホテルにこもってプログラムを書いていた。やっぱりプログラム書くのが最高の時間よ。

最近は機内WiFiも日系の航空会社以外はすごく良くなっていて、sshとか余裕でできる。テキストだし。800Kbpsくらいでる。昔のtelnetよりずっと速い。

つまりどこにいてもリモートでGPUマシンに命じてプログラムを実行できると言うこと。

最近はさらにggufをダウンロードしておけばローカルでもLLMを使ったプログラム書けるし最高としか言いようがない。