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ど素人のピュアオーディオ入門#33 ノイキャンヘッドフォンは異界への扉だ!

週に3回くらい、技研ベースで仕事をしている。
まあそのうち2回は技研バーの営業があるから当たり前なんだけど。
ここ数年、オフィスで仕事をするという習慣がなくなって、時折顧問先の契約しているWeWorkに行ったりすることはあれど、自分で仕事をするためのベースとしているのはあくまで技研ベースだ。

とはいえ、今は昔に比べてどのカフェも当然のように電源とWiFiがあるから仕事をする場所には困らない。

ちょうど15年くらい前、僕は車一台にプログラマーとプランナーとアントレプレナーを乗っけて移動していろいろな場所で刺激を受けながら企画しプロトタイプし、そのままAppStoreにアップロードしてしまう最小構成の会社組織、IVC(In Vehicle Company)という構想を試したことがある。

そうして作られたアプリは、どれも時流に乗ってヒットし、日本はもちろん全世界のAppleStoreの店頭を僕らの作ったアプリのアイコンが飾った。

ノマドスタイルというよりも、会社組織がまるごと遊牧民化しているわけだが、このやり方はそれほど悪くなかったと思う。

今は再び一人のノマドワーカーに戻って、喫茶店を渡り歩いて仕事をしているわけだが、気の身、気のままそうした気負わないライフスタイルはとても快適なのだが、一つだけ不満があるとすれば、それはなんといっても音楽である。

昼時の騒がしいファミレスは問題外として、喫茶店でもタイミングが悪かったり、路面に接しているような場所であればやたらと騒々しくて目の前の仕事に集中できなかったりして無闇に苛立つことも少なくない。

また、静かな喫茶店でも、流れてくる楽曲が自分の趣味と合わなかったりするだけならまだしも、時折流れるジャズが、お気に入りの名盤の時は深刻で、それが納得のいかない設定で奏でられると、安酒場で酔っ払いが好きなアーティストの曲をズレた音程で歌っている時のような苛立ちを感じてしまう。

簡単にいえば、ピュアオーディオを知ってしまったことによって耳が渇いてしまう感覚が身についてしまったのである。

ここのところ、京都へ出張する機会が増えて、新幹線で移動する時間を再び過ごすようになったのだが、その車中であっても同じことが言える。貧弱なイヤホンでいくら音を奏でても、それは自室で自分好みにセッティングしたオーディオ体験には遠く及ばないのである。

その「渇き」はいよいよ久しぶりの海外渡航を目前にして極限まで高まった。
このままでは旅先で円安も構わずろくでもないものを衝動買いしてしまうかもしれない。

そうならないように、まずは念の為、家電量販店で最近のイヤフォン、ヘッドフォン事情を納得いくまでリサーチしようではないか。

そんな軽い気持ちでふらりと出かけた某家電量販店。

特に新幹線や飛行機で気になるのは、ノイズキャンセリングの性能と、そしてもちろん、音質だ。

有名オーディオメーカーの完全ワイヤレスのハイエンドイヤフォンは視聴できないので、仕方なくネットの口コミを検索しながら眺める。

いかに有名スピーカーメーカーであろうと、イヤホンは専門外だ。たとえ同じブランドロゴが印字されていたとしても、ODMものであると考えるのが自然である。カメラの世界にも似たようなことがある。有名カメラブランドの名前だけ拝借してくるような、ちょっと使っただけでは「どこがあのレンズブランドなの?」と首を傾げてしまうようななんちゃってコラボ商品が世に蔓延ってなくもない。下手をすると、「これ、あのメーカーのあれのバッヂを変えただけですよね?」というものが平然と三倍くらいの価格で売られていたりする。油断できない世界なのである。

もちろんそれぞれがそれなりに味付けやスペックにこだわっていて、それぞれに個性があるのだと思う。完全に同じと言うことはないだろうが、バイアンプ接続のイヤホンとか聞くとそれだけでワクワクしてしまう。

しかし聴けないのではしょうがない。
でもヘッドフォンなら話は別だ。

最近の家電量販店はヘッドホンの類は自分で持ち込んだオーディオプレイヤーやスマートフォンとその場でペアリングして視聴できる。

今更かさばるヘッドフォンを持ち歩きたいとはあまり思えなかったが、物は試しととある有名オーディオアンプメーカーのヘッドフォンを視聴してみた。

なるほど、ノイズキャンセリングはなかなかだ。煩い家電量販店だからこそノイズキャンセリング性能を試すにはちょうどいい。

そこでお気に入りの名盤をかけてみると、何かが違う。
何か物足りないというか、音が奥に引っ込んでしまっているような感覚なのである。

別のやつも試してみようと思い、スピーカーで有名なメーカーのヘッドフォンも試聴してみた。このメーカーは好きなので惹かれるものはあるのだが、本体のスピーカーも非常に低価格な非マニア向けのものから、マニアしか買わないような超ハイエンドまで幅広く手がけているメーカーだけあって、バッヂだけ見て音質を判断するわけにもいかない。

結論から言うと、一般向けの製品であってピュアオーディオ製品ではないな、という感想だった。フルラインナップを揃えるメーカーのものなら、そういうものがあっても何も不思議はない。

どのヘッドフォンのレビューを見ても、「ノイズキャンセリング性能では残念ながら二大メーカーに劣る」と書いてあって、一つはBOSEだった。

BOSEのノイズキャンセリングヘッドフォンは10年くらい前に買ったことがあり、高価で確かにノイズキャンセリングは良かったのだが、いかんせん華奢で音質は今ひとつという印象だった。

BOSEと並んでもう一つ頻繁に挙げられていたメーカーが、まさかのSonyである。

今使っている安い有線のイヤホンもあるとき空港で慌てて買ったSonyのやつだし、去年、個人的に買ったLinkBudsも持っている。LinkBudsは新幹線や飛行機で静粛性を得たいという今回の用途には全く真逆の代物であって、むしろ環境音を取り込むために真ん中に穴が空いている。

ちなみにSonyの完全ワイヤレスイヤホンのWF1000XM3も持っているがこないだメルカリで売ってしまった。

今さらここでソニーに戻るものかよ、という疑問もあったのだが、ここまでレビューで意識されているとどうにも無視できない。

そこで家電量販店の一角をラスボスのように占拠しているソニーのコーナーに立ち寄ってみた。

すると、いつのまにかヘッドフォンが新型になっていて、WH1000XM5が新発売として大いに宣伝されていた。

もちろん試聴できるので、早速iPhone14 ProMaxに繋げてみると、先ほどまでとはまったく次元の違う世界が一瞬で広がった。

かけた瞬間から、驚くべき静粛性。
それでいて周囲の音ははっきりと聞こえる。

ここからノイズキャンセリングをオンにすると、今度は周囲の音がほぼ全く聞こえなくなった。まるでそこに専用のリスニングルームが出現したかのようである。大袈裟に聞こえるかもしれないが、実際に異世界転生したかのような衝撃が体を走り抜けたのだ。

おそるおそるイースト・オブ・ザ・サンを流すと、生々しいピアノの音とともに息遣いまで聞こえるようなハスキーなダイアナ・クラールの声。そして軽やかなベースの響きが広がっていき、これは紛れもなくピュアオーディオ製品だと感じた。

もちろん、全体の完成度としては、今年のOTOTENで体験したマークレビンソンのヘッドホンの方が数段上と思うのだが、あれはマニア向けの少量生産モデルで、それに比べるとその1/3くらいの価格で、しかも大量生産することを前提にこのレベルの音質を実現したことは全くもって驚愕するしかない。

マークレビンソンのヘッドセットは本格的な分、高級感があるもののかさばるし、あれをあちこち持ち歩くというのはちょっと想像できないが、ソニーのWH-1000XM5は常識的なフォームファクタの中にある。

これがあのマークレビンソンの1/3くらいの価格で買えてしまうと考えると、むしろお得なのではないかと思えてしまう。それくらい衝撃的だった。あとで、スペックを確認するとなるほどこれはOD・・・おっと誰か来たようだ

「いまさらソニーかよ」という気持ちは完全に吹き飛び、これを買わずして何を買うのだとそのままレジに並んでいた。

はやる気持ちを宥めながら急ぎ充電して、敢えて都会の喧騒の中にでかけて行くと、全く、それまで想像もしなかったようなことが起きた。

ノイズキャンセリングモードにすると、周囲の雑音がほとんど全く聞こえなくなってしまうのである。

音楽を流せば、そこがリスニングルームだ。
歩道を歩くと、あまりの静けさに少し身の危険を感じてしまうくらいだったので、とりあえず適当なところで邪魔にならないよう道の端で立ち止まって、人の流れを眺めながら音楽を聴いていると、まさに映画館で映画のワンシーンを見ているような気持ちになってくるのである。

ソニーというブランドの生みの親である故・盛田昭夫氏がウォークマンを作った時に、「日常生活にウォークマンを持ち込むことは、自分が映画の主人公になったような気分にさせてくれる」と語ったそうだが、WH-1000XM5の実現する、いわば音のオーギュメンテッドリアリテイのような世界観は、その感覚の正常なアップデートであると感じざるを得ない。

そしてノイズキャンセルをオフにすると、実に自然に周囲の環境音とBGMが溶け込むのである。これはちょっとない体験だった。

この秘密は、左右4つずつ、合計8つも贅沢に配置されたマイクによる周辺環境の完璧な把握による立体的な環境分析によるノイズキャンセリングと環境ミキシングの成果だろう。

まさに映画、というよりも完璧な立体音響を備えたバーチャル・リアリティのような感覚である。現実であって現実でないような、不思議な感覚を与えてくれる。

これだけでも驚愕するしかない性能であるにも関わらず、ひとたびノイズキャンセリングをオンにすれば、驚くほどの静粛性が広がり、現実の世界に身を置きながら、どこか周囲とは隔絶されたような、ちょっとした幽体離脱的な不思議な感覚に襲われる。

この状態でごく小さな音で音楽を聴いても、当たり前だが喧騒にかき消されることなく、ちゃんとしっかり聞こえるのである。これは本当にすごい。

AppleのAirPodsMaxのノイズキャンセリングもすごいのだが、あれもWH-1000XM5の倍の値段がすることを考えるとかなり割り引いて考えなければならない。

AirPodsMaxも試聴したが、立体サウンドの再現性はかなり高いものの、それはあくまでゲームや映画のようなものに使われるべきもので、あくまでも2chに拘って体験を作り込んでいくピュアオーディオとはねじれの位置にある。その方向性を決して否定するわけではないが、当然、Appleはピュアオーディオ向けの製品を作るつもりはないだろうし、ユーザーも異なる。

僕はピュア・オーディオを人工知能が今後実現していく、そして今実現しつつあような、人間の想像力拡張装置の一部分を成すピースと考えていて、その機構として捉えようとすると、人間の能力拡張というのは、あくまでも感覚器官に対して一つであるべきなのである。つまり耳なら二つしかないのだから、2chに落とし込んだ時にちゃんと聴こえるか、どこまで聴こえるか、どれだけ精神を高揚させ、想像力を拡張してくれるかということが大事なのだ。

これは全く僕独自の仮説に過ぎないが、それがたぶん、生演奏とピュアオーディオの本質的な違いなのではないかと思う。

たとえば僕がふらりとジャズバーにでかけていって、ウィスキー片手にジャズの生演奏を聴きながらプログラムを書いたら、それは奏者に失礼というものだろうし、そこで落ち着いてプログラムが書けるとも思ない。奏者だけでなくジャズを楽しんでいる人全てに対して失礼と見做されるかもしれない。

ただ、それ以上に生演奏は情報が多すぎる。熱のこもった演奏に奏者の表情、幕間の挨拶。奏者通しで交わす目線。そして体に直接来るバイブレーション。それはそれで魅力的なのだが、そっちを楽しんでいたら自分が思考に集中するわけにはいかない。

集中してものごとを考える時には、左右2chに落とし込まれたくらいの情報量がちょうどいいのである。

僕にとって、ピュア・オーディオとは、カメラが持つ者のの想像力を刺激し、現実に新しい解釈を加えるのと同じように、気分を高揚させ、感覚を研ぎ澄まし、思考を加速させるための補助的な装置であって、もちろん時にはリラックスしたり純粋に音楽を楽しんだりすることもあるが、基本的には僕にとっての商売道具なのである。

要は、WH-1000XM5を手に入れたことによって、僕は自宅に限らず、どこにいても最高レベルに近い思考パフォーマンスを発揮できるようになるということだ。

実際、WH-1000XM5を電車や飛行機の中で使ってみたが、これが驚くほどの静粛性を発揮していて、実に快適だった。以前、座席に付属していたノイズキャンセリングヘッドフォンに感動したことがあったが、WH-1000XM5の齎す静粛性は座席のアップグレード以上の価値がある。そう考えると、長距離の移動を前提とすれば、実質無料とさえ感じてしまう。

機内食があまりおいしく感じられない理由は飛行機に乗っている時の独特な騒音にあるという説があって、実際、WH-1000XM5をつけたまま食事をしてみたが、日系航空会社の日本発便(は、美味しいんですよ基本的に)であるということを差し引いても、魚の煮汁や米の甘みといったものがより美味しく感じられた気がする。

旅の疲れを軽減させるのに、強力なノイズキャンセリングと高音質の両立が、これほどまでに効果的とは正直思わなかった。

騒音の機内でボタン一つで嘘のように静かになる快感、そしてその静寂の中で敢えて爆音にせず静かにコルトレーンを流すのは、ある種の背徳感にも似た喜びがある。

もしかして、そんなふうにオーディオを捉えるのは、ピュアというよりかなり不純、言って仕舞えば邪道の極みなのかもしれないが、ものの捉え方によってどんな解釈も可能なのがこのジャンルの魅力ではないかと思う。

とにかくWH-1000XM5。これから手放せない相棒になりそうだ。