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ついに来た!バイアンプの衝撃

前回、アキュフェーズのアンプはバイワイヤリング対応だがバイアンプではないことを知った吾輩は、「ではバイアンプでは音はどう変化するのか」ということが知りたくてたまらなくなってしまった。しかしそんなにお金をかけたくない。

アキュフェーズのパワーアンプを買い足すなんてことは到底できない。
んじゃあどうすりゃいいのよ。

前々から興味のあった、安い中華真空管アンプでも試してみるか、と思っていたら、Facebookで先輩方からお叱りの声が。

まあ要はそのやり方は画竜点睛を欠く、つまり、せっかくアキュフェーズで綺麗な音を体感しているのにわざわざ安いアンプで妙な味付けをしてくれるな、ということであるのだろう。すみません。ぜんぜんピュアじゃありませんでした。

しかし吾輩にはオーディオがわからぬ。なにせど素人。昨日今日始めたような中途半端な人間である。

すると助け舟が。某技術系管理職から「この中古アンプを買いなせえ」という天の声が降ってきた。

ちなみに、この技術研管理職が最初にお薦めしてくれたのがクリプトンのKS-55Hyperで、これが今でも吾輩のメイン環境と言っても過言ではないくらいに気に入っているので、実際電源が入ってる時間は一番長い。

ちなみにアキュフェーズは、さすが80年代の徒花だけあって、省エネという概念とは無縁。待機中もほんのり暖かい。これはマランツのPM7000Nのように普段からテレビを見るときに使うみたいなやり方ではヤバそう。こまめに電源を落とす必要があると思われる。

しかし、あとで知ったんだけど、アキュフェーズのアンプは電気的な独立性を保つためにわざわざ入力を切り替えると内部でリレー回路が動くんだよね。それが、入力ダイヤルを回すと、なかで「カチャッ」「カチャッ」となんとも心地いい音がする理由だった。

今回、技術系管理職がレコメンドしてくれたのは、いまはなき国産メーカーのラステームのパワーアンプだ。

おそろしくシンプル

ラステームのパワーアンプはおそろしくシンプルだ。電源ボタン、左右のバランス、ボリューム、ミュートボタンしかない。中古で2万円ほどだった。

これをアキュフェーズのプリ出力とつなぎ、JBL4309のホーンに接続する。
すると世界は・・・激変した。

なんという澄んだ音。なんという高らかな響き。これだ、これだよ。
これがアキュフェーズの・・・本当の、姿。

お気に入りのビル・エヴァンスが、ハッキリとした臨場感と、今まで以上の立体感で聞こえてくる。「これほんとに2chしかないのか?」と我が目と耳を疑うような体験。まさに一関のベイシーで受けた洗礼を再び自室で体験できるようになるとは。

しかも、ホーンの音量だけ独立して調整できるので、楽曲にあわせてセッテイングを変えられる。これを「変えなきゃならない」と考えるか、「変える余裕がうまれる」と考えるかは大きな差だ。とりあえず真ん中くらいの位置に固定して使うことにしよう。

クリプトンのPB-100は4つも口があるのでプリメインアンプ、パワーアンプ、CDプレイヤーを接続してもまだ一つ余る。

一体ここに何を繋ぐというのか。
まあパワーアンプ二つ使う場合もあるしなあ。

オーディオというのは、ひとつ上を知ってしまえば、もう後には戻れない。
アップグレードした機材から、ダウングレードするということは基本的にはほとんどあり得ないのである。歳を取るのと同じで、オーディオ愛好家ファイルとして齢を重ねると、自然、必然的により良いオーディオを求めてしまうのだ。しかもそれは決して、ピカピカの最新鋭機だけというわけではない。これがオーディオの奥深くも面白いところだ。

ピカピカの最新鋭機が常に最高であるならば、オーディオ趣味というのは、iPhoneの新型を買うかのように退屈なものになっていただろう。昔のiPhoneやケータイを敢えて愉しむという懐古趣味もあるかもしれないが、普通に考えて実用に耐えない。

オーディオは、音楽が再生されて、ただ音が鳴る。
ただそれだけだからこそ、そこに無限の選択肢があり、その時代、時代の特性があり、時間軸があり、その時空連続体の中で、自分なら、自分の使える予算と許す環境の範囲内で、「何を敢えて選択するか」

駅弁家エキベニストの樋口真嗣ならこれを「駅弁と同様、限られたレギュレーションの中で行われるミニ四駆的セッティング勝負」と表現するだろう。与えられた制約のなかで何を選択し、何を良しとするか。

それは自分自身を試し、試されているということでもある。
アキュフェーズとバイアンプ駆動で、吾輩のオーディオシャックはほとんど完璧に近づいた。しかしただ一点、オーディオには大原則がある。

それは、アンプとスピーカーのバランスを合わせなければならないということだ。

アンプに20万円かけるなら、スピーカーにはもっとかけなくてはバランスがとれないのである。

となれば、機は熟したと考えて良いのではないだろうか。
デザイナー氏の事務所に設置された素晴らしいオーディオを聞いてすっかり感化された吾輩にとって、この旅の終着地は最初から決まっている。

全ての物語には始まりがあり、終わりがある。
足掛け三年に及んだこの連載も、ようやくエピローグへと向かうのである。
ネットのブログに書かれた連載に、そもそも終わりなどあるのか、必要なのか。でも、いつかは終わらせなければならない。どこかで区切りを一度つけなくてはならない。五反田三郎もいつまで続くのかわからない。そういうことである。

次回、ついにラスボスと対決する。