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1年間の逃避が終わりそうです。

どうも、いわみです。
1年間の休学期間がそろそろ終わりそうです。

この1年間を過ごしてみて、どうだったか振り返りをしたいと思います。

【そもそもなぜ休学したのか】

(休学開始当初のnote)

迫る進路選択が怖くて嫌で逃げたい!!!!
就活嫌だー!!ギョウカイブンセキ?シャカイジンキソリョク?強み?弱み?あああああ、蕁麻疹が出るぅぅぅう!!
起業する?院進学する?でも、自分のしたい事わからない!
そんな勇気出ない!!
わああああああああああーー!!!!!
大 学 や す み た い 

(引用) 就活が嫌すぎて休学した20歳児の話。

私の休学は、3年次に迫る進路選択からの逃避が目的でした。
自分の将来像がイメージできず、就活のネガティブなイメージに縛られ、「将来が怖い」と漠然と感じるようになり、半ばやけくそで1年間の休学を決めました。

【逃避とは】

とうひ【逃避】
困難をさけのがれること。当面する問題などに積極的に取り組まず、さけたり意識から排除すること。
(大辞林 第三版)

約1年前、私は進路選択からの「逃避」を決めました。
でも、それは本当の意味での逃避ではなかったのですが、当時の私は全くそのことに気づいていませんでした。

1年間経ちわかったことがあります。
それは「選択からは逃れられないこと」です。
逃げと言うのは、逃げた瞬間から、どんどん逃げた対象に近づくということでした。なんと皮肉な…
私は結局1年前と同様に進路選択する時期に戻ってきました。

人生は選択の連続だということを聞いたことがあります。
極論ではあるけれど、今、ここで死ぬ以外に選択するという行為から逃げる方法は無いのだろうなと思います。

【選択が怖かったのは】

もちろん、死にません。
だから私は選択します。

なぜ、選択することを怖がっていたのか、
私は絶対に「失敗」したくなかったからだろうなと思います。

貧乏になりたくない、
孤独になりたくない、
自分のやりたいことができなかったらどうしよう、
Aを選んだらBを選べなくなるどうしよう。

特に、トレードオフの関係にビビッて、「正しい」選択ができない未来を考えると失敗が怖くて動けなくなっていました。

ですが、1年間の休学期間を経て、
選択において成功失敗という判断基準は相応しくないということに気づきました。

もっと言うと、進路選択は評価できないということです。

人生が選択の連続であるのなら、
人の生には、評価を下せない。
私の人生だって、評価できない。

というか、「評価しようとしない」が良い気がする。

だから、「正しい」選択、「正しい」人生を送ることに努めるのではなく、
楽しいなあなんかいい感じだなと思える時間を自分で作って、
自分を幸せにしていこうという気持ちを持つことが大切なのだと思います。

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結局、この1年間で私は選択するという行為を受け入れられるようになったのかなと思います。

私はどんな選択をしていくのか、自分自身少し楽しみです。






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