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望んだ孤独と虚無の先には

物理的にも気持ち的にも勝手に孤独にならない。
それがハッピーに生きる上では一番大切な気がする。
今はなかなか難しいが。

最近、俗にいう病んだときには、友人を撮った写真や動画を見返すことを積極的に自分に課している。
それらを見ていると楽しいしワクワクする。
人の力っていうのはとてもすごい。が、そのワクワクも一瞬である・・・

勝手に孤独になって虚無になり感傷に浸る行為、
私はこれを自慰行為、
小馬鹿にして「大(だい)オナニー」と呼んでいる。

この大オナニーがなかなか辞められない。
一時的なものならまだ許せるが、常にそんな感じである。

他のみんなはどんな感じで、どんな周期で病むんですか?気になるなあ。

私は、
1人で自室にこもって煙草吸って昼から酒飲んで窓の外を眺める。
外の匂いを確かめるように、風の音を聞き耳を澄ます。
BGMには、倉橋ヨエコ、Lyu:Lyu、クリープハイプ、椎名林檎、東京事変、中村佳穂、初期のあいみょん etc
そして、チルで鬱な曲全般だーい好き。
もはや、酒に酔っているのか、または自分に酔っているのかわからない。
(両方じゃない?)

考えるのは、過ぎ去ってしまったこと、過去にできなかったこと、もう元には戻らない関係、将来の漠然とした不安などについて。

そうそう、私は、やっていることが中2のころから何も進歩していない気がする。(さすがに飲酒喫煙は二十歳からです)
中学生の時、窓際で黄昏ているヤツいたよね、それが私です。

こんなバカげたことは、一刻も早くやめるべきなのだ。
過ぎ去ってしまったこと、
できなかったこと、
もう元には戻らない関係に後悔の念を抱くことに
精神的な快楽を感じるのはもうやめるべきなのだ。

だがしかし、
この、しようもない行為を辞められないというか、
辞めようともしていない自分がいるのがなんとなくわかってきた。
こんな文章を書いている時点でお察しである。

私は、希望を謳うより、絶望に近しいものにある種のエクスタシーを感じるキモイやつだ、自覚アリ。

それゆえ、最近はそのキモさを何かに昇華できないだろうかと考えている。

「大オナニーを人様に晒すなんて!!」
とか変なプライドなんか捨てて、
このみっともなさを晒せばいいじゃないかとも考える。

神様、仏様、ご先祖様、そして世間様、
自分の惨めでみっともないところを
大事に抱えて生きていってもいいでしょうか。

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