『マチネの終わりに』

大切な人が自分にはいるという現実がありつつも、それを超えてしまうような、なんのいやらしさもなくただお互いがお互いを気遣い合い、真に相手を思いやるからこその純粋な、とても綺麗な愛を蒔野と洋子との間に感じた。

途中の2人の運命というか境遇には、私の心も落ち込んでしまい、この2人になんとも言えないやり切れなさというか、うまくいかない現実に切なくなってしまった。
その発端となる人物に対しても、共感とまでは行かずともその気持ちを理解できないことはなかったがゆえに、これが人間の運命なのかなと諦めの気持ちとともに寂しい気持ちもあった。

人間臭くてドロドロした気持ちを抱えながらも自分の愛を進めて行くことは、それが人間本来の姿であるような気もするし、本来の人間らしさを体現しているようで、美しく感じる時もあるけど、今回は蒔野と洋子の愛が付け入る隙がないほどに完成しきっていて、2人の世界が作られていただけに、そこに入り込もうとする別の感情が、どうしても不純物のように見えてしまった。

時々、自分の人生や運命は最初から決まり切っていて、それを現在の自分はなぞっているだけなのではないかという気持ちになることがある。
だから、初めから結び付けられていた自分の定めや運命を力づくで変えてしまうことは、何かの摂理に背いているような感じがして、違和感を感じるし不吉なものをどうしてもそこに見出そうとしてしまう。
でも、そうやって変えた運命も、存在し得なかった事実として現実に存在していることも事実であるから、運命のようなものは幻想なのかもしれないなと思う。だけど、マチネの終わりにを読んで見て、2人の間には確かに愛が存在しているはずだし、この2人の境遇を思えば、運命的な何かで2人は結びついているとしか思われないような気もする。

兎にも角にも、この小説の登場人物たちには、自分の中の信じられるものを見つけて、特別なことはなくとも、自分だけの幸せを感じ、享受できていたらいいなと思う。
大人になると複雑な事情が絡み合って、その事情を言い訳にしながら自分の意思や気持ちを最優先に考えられないとおもいこんでるから、大人は嫌いだ!!と思っていたけど、美しいまでに心の底からお互いがお互いを想い合い、幸せを願っている蒔野と洋子の姿を見ると、それがまた俄然美しく見えてきて、それぞれがそれなりに経験を経てきた成熟した大人だからこそできることだよなと思って、早くかっこいい大人になりたいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?