バースデーイベント【11月23日】

先日、定本楓馬さんのバースデーイベントに行きました。
私が今回のイベントの中でとても嬉しかったことは、本人がイベント内で行った演劇を通してその人が考えていることに少しだけ触れられたことが一番嬉しかった。
その内容は、運命や自分自身の選択、人生について考えさせられるようなもので、私がきついな辛いなと感じているときに、考えていたことと似ていたので、なおさら嬉しく感じました。


何が一番嬉しいかというと、定本楓馬が運命や自分自身の選択、人生について考えているという事実が嬉しかった。
私がこのことについて考えていたときは、後にも先にも進めないときで、私の中では考えに考え抜いてやっと自分を前に進めさせることができるなと思った考えだった。
私は、とにかくしんどい時期をなんとか乗り切ったという感覚があったから、並大抵の人間にこれがわかってたまるものかという謎のプライドを持っているくらいだった。
私はそんな中で見つけた一つの考えを定本楓馬という人間が、同じようなことを考えているかもしれないということを知り、彼はどれだけこれまでの人生で思い悩み、しんどい思いも辛い思いもしてきたのだろうと考えると、胸がキュッとなる気がしたし、そこまで苦しいことを知っている人間でよかったという安堵もあった。
人の痛みがわかるのは、自分が同じような経験をしたからだと私は思っているのだが、ふまたんがそのような思いをしているということは、他者に対しての思いやりや優しさを持っているということだという勝手な私の押し付け感情によって、私は嬉しさを感じたのだと思う。


本編では、運命を掴み取るか運命を司るか。
確かに私は、私自身が正しい方向に進むように天からの導きによって、軌道修正をさせられているのではないかと感じる時がある。
例えば大学受験で失敗したときに考えていたこととして、私がこのままろくに勉強をせず基礎がなっていないままに大学に入学したとして、本当に学びたいと思っていることは学べただろうかという疑問はいまでも持っている。
あの時大学入試で失敗をしなければ、私は人生イージーだと勘違いをして、ガタガタな基礎の中で法律という壮大なテーマを学ぶことになっていたと思う。
だからこそあの時の私のあの失敗は、一度人生を立ち止まらせ自分を見つめ直す機会だったのだと考えれば、あの失敗をしてよかったといまなら思うことができる。
このように、自分が間違った方向に進んでいかないように要所要所にチェックポイントがあって、そこで自分は試されているなと感じることがある。

一方で、人の生まれや才能などで自分が進む方向が勝手に決められることには、腹を立ててる人間でもある。
自分以外の人間に私の人生を決められてたまるものかという気持ちもある。

この二つの考えというか思いは、私の中で対立するものでもなんでもなくて、私の中で自然と両立しうるものになっている。
自分が足りていないこと、できていないことのために一度立ち止まることがあるけれど、それは私の人生の一部であり、それをどのように乗り越えるか、どのように進んで行くかを決めるのは私自身だから、運命を掴み取るのか司るのか二極的に提示されたときに、理解が追いつかず、頭の中にはてなをたくさん浮かべてしまった。


なんにせよ、ふまたんが己の人生について深く考えていることがこの舞台脚本からひしひしと伝わってくるようで、思わず泣いてしまった。
おそらく俳優という仕事をしていて、辛いことや苦しいことがある中で、見つけた一つの答えだったのかもしれない。
多分人間は、自分がきちんとした人間になりたいと思い、それをなし得るためにたくさんのことを考えなければ、大人になりきれないまま歳を重ねていってしまうんだろうなと思う。
だからこそ、日々の生活の中で起こる出来事から自分自身やその人生について考えているということが私にとっては嬉しかった。
考える人間であることが嬉しかった。

最後のお見送りまで、一生懸命ファンの方達を見送っていたし、かけられた声に対して、真摯受け止め一つ一つに対して、全力で対応しているような様子が声から伝わってきたり、実際に目の当たりにして、なんて素敵な人間なのだと感動した。
1部、2部、3部とある中で、歌も歌って自分でMCもやって、会場を盛り上げて、演劇もやって、だからと言ってどの回で手を抜くとかっていうこともなく、はじめから終わりまで全力という感じがして、心が温かくなりました。
もちろん人間性だけであれこれを判断するのは、俳優という仕事上失礼なのかもしれないけれど、本当にすごい人なのだなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?