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くるり「There is(always light) 」/『THE PIER』の語られ方


くるりのニューアルバム『THE PIER』のラストを飾る一曲。noteでやってるのはあくまで曲単位の紹介なんですけど、これはアルバム一枚で聴いたときにすごく意味を感じる曲。ストレートなロックンロールの「いい曲」が、50分強の多国籍な音楽の旅を経てきた最後の地点に待ち受けている、という。なので、アルバム『THE PIER』について、僕なりのやり方で書いておこうと思います。

ほうぼうで言われてるから、もう僕が付け加えることもないんだけど、『THE PIER』、ほんとに名盤ですね。既存の枠組みには収まってなくて、でも本能的なチャームがあって、新しい発明に満ちてて、聴いた人に何らかの「?」→「!」をうながすようなアルバム。そういう一枚だと思います。

そして、このアルバムに関しては、いろんな人がいろんな風に受け取っていて、それを書いている。僕としては、それを読むのがすごく楽しいのです。特にこのアルバムは、100人いたら100通りの受け取り方があるような気がするし。というわけで、ネットで読める記事を備忘録がてらまとめておきます。

まず面白かったのは、宇野維正さんのリアルサウンドのインタビュー。

くるりの傑作『THE PIER』はいかにして誕生したか?「曲そのものが自分たちを引っ張っていってくれる」 - Real Sound|リアルサウンド

http://realsound.jp/2014/09/post-1309.html

あの「Liberty&Gravity」という曲、そしてこの『THE PIER』というアルバムは、くるりにとってここから先はもう後戻りできないくらいの、これまでとは違うフェイズに入った記念碑的な作品だと思うんですよ。ちょっと突飛な例かもしれないけど、マーヴィン・ゲイの『What’s Going On』的な意味で。

それはくるりというバンドにとってもそうだし、リスナーにとってもそうだと思うんです。今でこそ完全なソウル・クラシックですけど、最初に「What’s Going On」を聴いた当時の黒人のリスナーって相当驚いたと思うんですよね。音作りもこれまでのソウルミュージックとは全然違ったし、これまでラブソングばかり歌ってた人が、いきなり「マザー」「ファーザー」「ブラザー」って直接呼びかけてくるし。

もちろん「Liberty&Gravity」は「What’s Going On」のような明確な反戦歌ではないけれど、マーヴィン・ゲイがあの曲でブラザーの側にいることを示したように、くるりはこの曲で自分たちは民衆の側にいるということを歌の中で明確に示したように思うんですよね。

CINRAの金子厚武さんのインタビューも面白かった。

くるりインタビュー 「ロックバンドはみんな真面目すぎる」 - 音楽インタビュー : CINRA.NET
http://www.cinra.net/interview/201409-quruli

いろんな地域や年代、ジャンルの音楽が含まれているというのは、今の社会状況や音楽を取り巻く状況とも関係があるように思ったんです。震災以降の地域社会の見直しと、その一方での東京オリンピックに向けた都市部の再開発、あとは今の若い人が洋楽とかルーツ的な音楽を聴かなくなってると言われてることとか、いろんな状況を反映しているようにも思えて。

金子さんはWHAT’S IN WEBにレビューも書いてる。アルバムのあり方に社会的な意義を見出していくスタンス。

「僕らはパラレルワールドを生きている」ALBUM REVIEW | THE PIER | くるり | WHAT's IN? WEB
http://www.whatsin.jp/review/73764

パラレル・ワールドを生きる僕らはどこにだって行けるし、どんな生き方を選ぶのも自分次第。アルバムを通して描かれているのは、まさにこの感覚だと言えよう。

岡村詩野さんもこんな風に書いている。マルチカルチュラルで、批評的で、そのうえで大衆性も備えているポップ多面体のような音楽。それを今の時代にこんなに鮮やかに作れるのはくるりだけだよね、という。

タコツボ化時代に生まれた奇跡の生命体――くるり新作の音楽的背景を岡村詩野が分析 - Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2014/09/post-1321.html

タコツボ化してバラバラになっているならちょうどいいじゃないか。そもそも、世界中のあちこちには何の遮断もなく魅力的な音楽がたくさん転がっている。その新旧バラバラな音楽を自在にピックアップして同一線上に並べてごらん。勿論、相当な想像力、撹拌力、創出力は必要だろう。でも、ほら、そうしたらこんなに新しい音楽が生まれるじゃないか。ここに届いたくるりの『THE PIER』というアルバムは、まさに分離分散の極致にある時代だからこそ誕生した奇跡の生命体のような作品だ。


今週の一枚 くるり - 山崎洋一郎の「トリプル編集長日記」 (2014/09/15) | ブログ | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイトhttp://ro69.jp/blog/yamazaki/109775

一方、山崎洋一郎さんの捉え方もさすがだなあ、鋭いなあと思います。

簡単に言うと、これまでどおり「どういう音楽を作るか」というプロデュースの視点を持った上で、さらに、「この音楽をどう機能させるか」というもう一つの視点を持って作られたのがこのアルバムなのだ。

実はくるりはそういう視点はこれまでほとんど持ってこなかった。

そうした「客観性」−−−−—「社会性」と言ってもいいかもしれない−−−−−という意味ではくるりはこれまで(あえて)原始人だった。

ウィーンでクラシックを導入してRECしたのも、突然ロックンロール回帰したのも、メンバーが抜けたり、新しいメンバーでバンドを組んだりしたのも、はたから見ると「なんでやねん!」と思うことの連続で、その連続とリンクした作品ごとの大胆な変化こそがくるりの「(サブ)・カルチャー」としての様態だった。

今作は、そうしたくるりのあり方を俯瞰で見たもう一つの視点によってプロデュースされている。それは、『主観的で気まぐれで大胆なくるりの「あり方」そのものを音楽としてアルバムに的確に落としこむには?』という客観的なプロデュースの視点だ。

結果としての「なんでやねん!」を、あらかじめアルバムの中に音楽としてちゃんと落としこむには? というプロデュースの視点である。

面白いことに、そうした客観と俯瞰の視点で作られたことによって、このアルバムはものすごく「くるり」のアルバムになった。

ここ数作の中で最も「これがくるりだ」というアルバムが生まれたのである。


僕もこの「プロデュース力」には実はかなり感服しているところで。

作品それ自体だけでなく、その届け方に関しても、くるりの音楽が持つ価値をちゃんと伝えようという意志をすごく感じるのです。たとえば「Liberty & Gravity」をツアーやフェスの場で演奏して、SNSを通じて「変な曲」というキーワードを定着させていったこと。さらに映像作家・田向潤氏の映像による奇妙だけど超ポップなミュージックビデオで話題にしたこと。

ユーモラスでチャーミングな「この音楽」をどう機能させるかという視点は、アルバムの中身も勿論だけど、そこへの導線としても丹念に計算されると思います。松浦達さんも、そのへんのことを書いていた。

くるり『The Pier』巡礼 Pt.1 - Rays Of Gravity
http://d.hatena.ne.jp/satoru79/20140915/1410762908

Note (https://note.mu/quruli)の使い方、曲の有料配信といい、くるりとしてワン・アンド・オンリーな在り方をより強めてきた気配があった。ゆえに、今作『The Pier』においては、十二分な導線がいくつも敷かれていたともいえる。決して、一筋縄でいかない作品になっているだろう、いや、今作こそがくるりの本懐だ、様々な意見が行き交おうが、桟橋なのだ。そこから旅立つ勇気(想像力)もあれば、引き返す勇気もある。

というわけで、さっそく、買いました。

限定盤は7インチEPサイズのパッケージに、アルバムとこのライナーノーツ、そして300ページ超にわたる全曲の楽譜が収まっている。あと、ハイレゾ音源のダウンロードコードも付属している。

うちのPCのオーディオインターフェイスが24bit/192hzに対応してたので、ハイレゾでも聴いてみた。やっぱり、これだけ音が詰め込まれて絶妙なバランスで成り立ってる音楽は、「ハイレゾで聴く」ということの意義もすごく感じる。

ハイレゾでの配信元はビクターのサイトとOTOTOYなんですが、そのOTOTOYに載ってるのインタビューも面白かったです。取材してるのがLimited Express (has gone)でボロフェスタ主催の飯田さん。近い関係ならではのトークになってる。

くるり、11作目のオリジナル・アルバム『THE PIER』をハイレゾ配信!! メンバー・インタヴュー掲載!! - OTOTOY
http://ototoy.jp/feature/2014091700

子供のときのほうが可聴領域が広いし、はじめてヘッドフォンをしたときに得た感動って、今の僕らとは比にならないくらい敏感に察知するから、単純に音のいいほうにいくと思うんですよね。アナログ、カセットの時代からCDに移行したのって、アーティスト主導でメーカーが動いたからで、(ヘルベルト・フォン・)カラヤンがクラシックのアーカイブをってソニーに働きかけたんですよね。日本だと大瀧詠一さんとかもそう。人が動いて新しいメディアにって動きがでてくればいいと思っているし、僕らもそのきっかけになればとも思うんだけど、もう少し時間がかかるかなとも思ってる。実際に僕はハイレゾ環境でも聴いてて、イヤフォンでCDとハイレゾを聞き比べるとすごい差なんです。
映像だったらわかりやすいことなんですけどね。DVDからブルーレイに変わったのも、技術革新でTVのサイズがどんどん大きくなって、映像の荒が明確にわかるようになったから、画質の向上を求める人も多かったわけで。でも、CDの音に不満がある人はまだそんなにいないですよね。そんな中でこっちができることといったら、環境を用意すること、それに合う音楽を作ることしかない。それをなるべく多くの人がチョイスしてくれるんだったら、これからそれが主流になっていくだろうし。フィジカルでもデジタルでも、音質のいいものが手に入るにようになればいいと思っています。

ともかく。

音楽の届け方を巡る状況はいろいろだけど、この『THE PIER』に関しては、作品を手にとった時の喜びというか、充実感というか、そういうものは抜群だなあと思います。これも「この音楽をどう機能させるか」という視点のなせることなのかも。

そして、そして、今回のアルバム『THE PIER』について、最も批評的で、濃く、トリッピィな名文を寄せているのが、このCDに封入された田中宗一郎さんのライナーノーツ。長い! 何文字あるんだこれ。でも、もっと唾を飛ばすような熱い文章かと思ったら、ちょっと今まで読んだことのないタイプのライナーノーツでした。「音楽がすでに環境化した未来」の視点から20世紀と21世紀のポピュラー音楽と、そこでのくるりのあり方を戯画的に語る文章。SF的というか、伊藤計劃っぽいところもある。予定の文字数を大きく超えたらしい文章は、いろいろ示唆的な読後感でした。

田中宗一郎さんの文章はくるりのオフィシャルnoteにも乗ってますね。「くるりの一回転」についての話。この指摘は慧眼だと思いました。

見るべき映画が見れない、読むべき本が読めないという困った事態に比べれば、音楽は遥かに恵まれている。凄まじく恵まれている。聴こうと思いさえすれば、以前よりも遥かに気軽にどんなものでも聴けるようになった。にもかかわらず、誰もが同じようなものばかり聴いている。ネットというアーキテクチュアによってバイラル化されたものばかり聴いているーー半ば自分自身で選んでいると思い込みながら。それゆえ、こう言い換えるべきかもしれません。聴きたいものしか聴かなくなっている。

「くるりの一回転」|くるり official|note
https://note.mu/quruli/n/n2c937f4c5745

僕? 僕は『MUSICA』に短いレビューを書きました。「わかりやすさ」とポップについての話。『MUSICA』表紙の有泉さんのインタビューも、すごく面白かったです。

たぶん、リスナーの人も含めて、いろんな受け手がそれぞれの語り方でこの『THE PIER』というアルバムを語る気がします。語りたくなるアルバム。

繰り返しになっちゃうけど、僕にとっては、音楽だけじゃなく、それについて書かれたものを読むのが楽しかったりもするのです。(89/100)

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