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中学生レベル以下の英語力で英語論文を読んでみる =序論=

というわけで、やっと序論までやってきた。

最初に言ったように、無料公開されている英語論文だからといって、全文翻訳したものを、たとえ素人翻訳で無料でも、ネットで不特定多数に向けて公開したら「著作権」と「翻訳権」の侵害なる。

よって、気になった文章を引用という形で原文と共に紹介する。

もしも私の翻訳に間違いがあれば、遠慮なく指摘して欲しい。

承久の乱は、失敗した後鳥羽院の「政治運動」

承久の乱の説明のまとめに、こう書かれていた。

failed campaign

「失敗した政治運動」ということだが、確かに端的に言えばそうだ。

日本でも、後鳥羽院と鎌倉幕府(北条氏)の政治摩擦の結果の末の「乱」だという認識はされている。しかし多くの死傷者を出したという「戦」の面をどうしても見てしまう。

その点、マイケルの視点はわりとドライな気がする。

それは他国民だからなのか、文化の違いなのか、マイケルの性格なのかはよくわからないが「客観的視点」ってこういうものなのかもしれない、と思った。

平将門の乱の英訳

過去の内乱の例で、平将門の乱に言及していたが、その英訳は

Masakado’s rebellion

日本語では、平将門の乱も、承久の乱も「乱」だけど、英語では乱を起こした主犯格が反体制側の場合は「rebellion(反乱)」を使うらしい。

天皇VS公家

ここの訳はあまり自信がないのだが、

The entire history of the classical Japanese state is basically one of long negotiation between a royal family that claimed semi-divine supremacy and other noble families, which often retained more practical political and economic cachet.
古代日本の歴史全体は、基本的に、半神的支配を主張した王室と他の貴族との間の長い交渉の1つであり、政治的、経済的によるより現実的なつながりを維持していることが多い。

つまり、l古代は「半神である」と主張している天皇と、「ただの人である」貴族が交渉してきた歴史だということだろうか。

その主張は、わりとしっくりくる。

古代から現代になるまで日本は「天皇一族を滅ぼして、自分が天皇になる」と言ってクーデターを企てた者は(少なくとも建前上は)いない。

研究者でもない多くの日本人が、外国人に尋ねられたら「そういえば、そうだね……なんでだろう?」と答えるだろう。

でも古代から天皇と貴族は「支配を主張する半神」と「支配に抵抗する只人」が「交渉して擦り合わせてきた歴史なのだ」と考えると、なるほど。

「只人」である貴族や、ましてや「人ではない」武士やそれ以下の身分の者が、神を殺しても神にはなれないのである。

まぁ、マイケルが言いたいのはこういう事なのかはわからんが……。

どうやらこの見解は、G・キャメロン・ハーストの「INSEI」にあるらしい。

詳細を読みたいけど……これも英語か……。

中世日本の父性愛

近代より前の日本は、あたりまえのように一夫多妻制だった。跡取りの嫡男は「一番身分の高い母から生まれた男児」であったり「一番最初に生まれた男児」だったり、時代にもよるがだいたいそんな感じだ。

しかし……論文の作者マイケルは、キリスト教の国……。いや、マイケルがキリスト教とは限らないが、アメリカは一夫一妻制の国のはずだ。

一夫一妻の歴史は欧米の方が長い。だからピンと来ないのかもしれない。

Since elite men had multiple wives, fathers could not favor a particular wife without also favoring her sons to the exclusion of the others.
エリート階級の男性は複数の妻を持っていたので、父親は特定の妻に好意を示すことはできない。そこで他の妻の息子を排除して、その妻の息子に好意を示す。

いや、その……なんだろう。違う気がするけれど……全てのパターンに当てはめられないだけで、絶対にそんなことで廃嫡する父親は存在しないと言い切れないし……。

この参考文献にはジェフリー・ポール・マス(Jeffrey P. Mass)の著作を挙げている。

鎌倉幕府の本なのに、表紙が後鳥羽院なのがイケてる。マイケルはこの本を結構引用している。マス氏はアメリカにおける鎌倉時代研究の第一人者のようだ。

でも、そんな親子関係だったから、長男には「父や兄弟と殺しあってでも家督を守る覚悟はできている」とある。

これは石井進氏の論文を参考にしたようだ。

守護と地頭の英訳

governors and stewards

直訳すると「支配者と執事」

地頭は!!!! 執事!!!!! 
(地頭職してた推しが燕尾服着こなしてる図を想像して萌えたという報告)

研究の目的

Rather than bifurcate writings into “literary” and “historical” sources, my study attempts to analyze all sources—ranging from mostly functional documents to works of highly embellished artistry—to gain insight into the multiplicity of voices that characterize the early medieval period.
私の研究では、文章を「文学的」と「歴史的」の情報源に分けるのではなく、ほとんどが歴史事実の記録記事から高度に装飾された芸術的作品に至るまで、あらゆる情報源を分析し、中世初期を特徴づける多様な声を把握しようとしている。

こ、こういう承久の乱研究を待ってたんだよ!! 私は!!!

おお、マイケル、マイケルよ……あなたはどうして米国人なの……。

日本語の論文だったら、坂井先生の承久の乱を読んだ人に、次にお勧めする論文にできたのに……。

承久の乱を扱う利点

 The Jōkyū Disturbance is the perfect opportunity to draw from such a wide range of texts—not only because of their variety but for their novelty. Unlike the Genpei War, which has been a popular topic of popular history and cultural production ever since it happened, the Jōkyū Disturbance has captured less imagination and warranted fewer scholarly studies. This lack of
coverage is actually a great benefit on two counts. For one, it means that even at the time of the Disturbance and its early aftermath, the writers who did engage with the events of 1221 were motivated less by the kind of literary imagination that fueled the popular performance genres of Genpei literature. To be sure, Jōkyū commentators used a variety of literary tropes and fictive elements in their works, but despite the various positionalities of these texts, they were all tied more closely to what we might call historical agendas: to understand, explain or argue about the events of the Disturbance themselves. The second benefit relates to the position of Jōkyū at the margins of Japanese literary and historical topics. Because Jōkyū has suffered scholarly gaze less, its details and source base can provide a fresh perspective on early medieval Japan. The fact that many of the sources I introduce in the dissertation have never been translated or studied in English bespeaks especially the benefits of a comprehensive investigation of the Jōkyū Disturbance in the English-language field.

長いから要約してみると……

承久の乱は史料が少ないし、歴史作家たちの好奇心も刺激しないのか小説も少ないけれど、それは二つの利点を生み出した。

1つは、承久の乱を扱う作家は、流行に左右されない。史料が少ないゆえに「戦」そのものを理解し、自分なりに解釈して、物語に落とし込む。その作業は歴史研究者の研究の仕方と同じなので、彼らとは歴史的な議論ができる。

もう1つの利点は、承久の乱を扱う英語資料がほとんどないこと。だから俺が先駆者だぁあああ!

ヒュー!! 言ってくれるぜ兄弟!!(拳を突き合わせる動作)

おお、マイケルよ、マイケル……私はネイティブジャパニーズで、多くの承久の乱を扱う書籍や論文を読んできたけど、君ほど承久の乱の魅力を序論で語ってる人は、日本人研究者にもいなかったぜ……

鎌倉武士の性格

In all of these sections what becomes evident is the fractured nature of authority in early medieval Japan, where people on all sides exercised loyalty based on personal, lived experiences and not abstract ideals such as honor.
ここで明らかになったのは中世初期の日本における権力の破壊的な性質であって、すべての人々が個人的で生きた経験に基づいて忠誠を行い、「名誉」のような抽象的な理想に基づいていなかった。

これね! 多分日本人でも、時代劇とか江戸時代の「武士」をイメージして鎌倉時代の武士を調べると、あまりのダーティさにドン引きすると思うんだよ。

地元大好きで、領地を守る事、領地を拡大する事に命をかけて、別に「名誉」は重んじていない。

鎌倉御家人はたいてい将軍LOVEだけど、それは「土地を保証してくれる人」だから。将軍が「この土地はお前のだよ」って言ってくれるから、御家人は将軍を守るわけなんですよ。

現代的に言えば、給料いっぱいくれるから、従っている。完全現実的な合理主義。それが御恩と奉公。

ぎゃくに御恩がなけりゃ、奉公はしない。わりとドライな将軍と御家人。(個人差はあります)

欧米人から見る日本人と天皇の関係

承久の乱で後鳥羽院が負けたんですけど、「乱に反対していた」後鳥羽院に近しい人の日記や記録って、わりとナチュラルに後鳥羽院ディスってんですよね……

These pre-modern examples of emperor-criticism have powerful implications for studies of the deification of the emperor in modern Japan.
これらの近代以前の天皇批判の例は、近代日本における天皇の神格化の研究に大きな影響を与えている

うーん。もしかしたら欧米人にとって、古代から終戦まで日本人は「天皇陛下万歳!!」ってやってたイメージだったのかしら……?

天皇が時の権力者に「ないがしろ」にされることは、日本史を見れば割とよくあって……。庶民にとって天皇は遠すぎて良く解らない存在なんじゃないかなぁ。

ここら辺ほんと、明治政府のイメージ戦略怖ぇ……となるんですが……。

六代勝事記の完全英訳

この論文を書くにあたり、マイケルは「六代勝事記」の完全英訳に成し遂げたよ! しかも巻末付録についてる!

すげぇぜマイケル!(背中を叩く動作)

ちなみに「六代勝事記」の英訳は

“Record of Surprising Events in Six Reigns”
(北条)六代の驚愕的記録

一気に家族アルバムっぽい題名になったなぁ……。


さて、つぎはやっと 本文に行くぞ~……


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