【毎日投稿】11日目・初心に帰ってVtuberとかの偏見ネタ

リアルで「これはコミュニケーションとるの大変や…」と思った時、相手のコミュ力に難があるのか、自分の側に原因があるのかはわからない。

話しててもなんかうまく噛み合わない、しっくりこない。
そんな経験は誰にでもあると思う。

「要するに」って言った後全然要せてない人とか。
特定の人に対してだけ何を言っても「違う」って否定する人とか。
すぐに「俺の立場だからわかる事でお前にはわからん」てポジショントークする人とか。
俺の場合、うまく噛み合わないなって思うのはそんな感じ。
まあでも、これは俺の方の受信のアンテナにも問題がある可能性もあるわけで。難しいね。

「コミュ力高い」を自称できる人ってスゲーなと思う。
個人的には「そんなもん人から言われる事じゃろ」って思ってるので。

良くも悪くも人の目が気になる中年のたわごとでしたとさ。

・ええ!?無料でコメント読んでもらえてる!

最近、REALITYという配信アプリにまたちょこちょこログインしている。
結構Youtube視聴の方に偏ってしまっていたので、アカウントが消えない様に定期的に利用することにした。

そこで思ったのが今回のタイトル。
Youtubeとかで投げ銭してるわけじゃないんだけど、やっぱりVtuberの配信て「観る」が目的なのでコミュニケーションを相互で取るという認識はない。
スパチャ以外のメッセージなんてラジオのハガキみたいなもんで「読まれたらラッキー、読まれなくて当たり前」だと思っている。

でも長い事ツイッタランドで呼吸をしていると「Vtuberだって客商売だろうが!」「コメント無視するなんて天狗になってる」「同接1000とか1万でもない限りコメントは全レスが基本」みたいな意見も目に付く。
賛同してはいないんだけど、日常的にそういう意見を目にすると「一理ある部分もある…のか?」くらいの事は真理に刻まれてしまうようで。

久々にREALITYに入って、好きな声のライバーさんの配信にお邪魔して何気なくコメントしてみる。
するとライバーさんは何でもないかのように俺のコメントを読み上げ、
「しばにぃさんもそう思うよね!」
と返事までしてくれる。
(うお、コメントで会話しちゃったよ…)
とびっくりしてしまって、その後コメントはそこそこに潜ってリスナーしていた。

以前まではREALITYでも普通にコメントを読んでもらっていたし、コメントを読む人もいれば読まない人もいるくらいの認識だったのに、今となっては「コメントに返事くれるのか、サービス精神旺盛なライバーさんだ」って思ってしまう自分がいる。

この考えの変化はいい事なのか悪い事なのか。
「コメント読んでもらって当然」という考え方は良くない。
読まれなかった時「何だよ、お高くとまっちゃってさ、フンだ」みたいな気持ちになる可能性がある。
けど「コメント読み」「全レス」というものに価値を置きすぎるのもどうかと思う。
シンプルに大変な作業だから、ライバーさんへの負担がデカい。
もうひとつ、コメント読みを重視しすぎるとコメント読みをしないスタイルのライバーさんに対して「あの人はあなたより同接あるのにコメント読んでるよ、もうちょっと考えた方がいいんじゃないかしら?」みたいな意見の人が出てきたりする危険がある。

だから、ライバーさんの方針としては「コメントは読んでも読まなくてもいい」が最適解だと思う。あと、そういうスタイルですよと周知することも大事かもしれない。
リスナーからすると読んでもらう事はシンプルに嬉しい事なので、心身への負担とのバランスを考えてそれぞれが決めたらいい。
メンタルがオリハルコンなライバーさんならガーっと全レスするのも一つの手だと思うし。

一方、リスナーサイドの考えとしては「読まれないのが普通」くらいに思っといて、読まれたら「おっ!ラッキー!」くらいの心持ちでいた方が楽でいい。
有料コメント、いわゆるスパチャに対しても過度な期待はしないほうがいいのでは。俺はスパチャを送ったことといえば、カマたくさんが所属する3人勘女の生配信でくだらないコメントを送ったくらいしか記憶にないので偉そうなことは言えないけど。

「赤スパだから読んで当然」「五千円未満のスパチャ読まないなんて図に乗ってる」とかの意見は「?」ってなる。
もちろんライバー側のスパチャ読み文化はファンサービスとして素晴らしいもんだと思ってるけど、サービスって強要するものじゃないのでサービス受ける側が「お前は何でこのサービスしないんだよ!○○ちゃんはしてくれてるぞ!」って言うのはちょいズレてるなと。

ホテル業で働いてた時、新型感染症が拡大の一途をたどっていた。
それが原因で過度な接触を避けるために「お荷物を部屋へ運ぶサービス」を休止したことがあった。エレベーターに一緒に乗ったりは密なので。
(あらかじめフロントに預けた荷物を部屋に運び込んでおく、というサービスはしていた。チェックインが立て込む時間は混むので断っていた)
そこで言われるのは「なんで運ばないんだよ!ホテルなら運ぶのが当たり前だろ!○○ホテルはもっとサービス良かったぞ!」だ。

これ、スパチャにも言える事なんだけど。
「じゃあ、そのサービスをしてくれる所へどうぞ」っていう話よね。
サービス提供側だって色々考えてする、しないを決めているので、一人のお客様に言われたところで「じゃあ直ちに変えます!」とは出来ない。

スパチャ読みは提供側の個々がお客様(リスナー)のためにすると決めたサービスであって「ライバーなら必ずしなきゃいけないサービス」ではない。
配信プラットフォームによっては「しないと生き残れない、人気になれない」とかはあると思うけど。

「あなたのために言うけど、そのスタイルだと人気になれませんよ、今トップの○○さんも○○くんもみんなしてますよ」はけっこう余計なお世話だと思う。「要はキミが気に入らないんでしょ?」ってなる。
自分の思い通りにならない事を「常識」「ルール」「マナー」とかって言葉で一般化したように見せかけて押し付けるのはあんまり美しくない。

今日の偏見
「俺はいいんだけど周りがさ~」って言う奴は9割方「俺もよくない」と思ってる。というか周りの意見を聞いたわけではなく「自分が気に入らない」を一般論として正当化させようとしている。

しばにぃの偏見シリーズより

規約違反とか公序良俗に反する内容みたいなものに対しての批判意見を「個人の自由だろ」と反論するのはぜんぜん違う。
けど、スパチャ読む読まないとかゲーム実況やるやらないとか、そういう「活動スタイル」の範疇に入るものに関して第三者が(求められてもいないのに)意見するのは見てて気持ちが良くはないよね。

・自由を主張する一部のせいで全体が不自由になる

さっきの話でちょいと出したけど、自由をはき違えておかしな活動をしておいて、批判されたら「お前に関係ないだろ!」「いやなら見るな!」「どういう活動したって個人の自由だ!」っていう人が一定数いる。
けど「それは違うと思うなあ」という意見をこれから書いていく。
ルールとかじゃなくて、組織・集団の中での生き方みたいな話になる。

前職の頃の話。
その職場には従業員食堂があって、メインとなるおかずは事前予約制、その他の細かいおかずを食堂のおばちゃんが作ってくれていた。
メインおかずは有料で、ごはん味噌汁おかわりし放題。
ただ、予約忘れた人や「小腹すいたけどガッツリはいいや」くらいの人が細かいおかずをちょいとつまむくらいの事は黙認されていた。
俺もそれに甘えさせてもらって、宴会前のちょっとした時間にちょこちょこつまませてもらったりしていた。
しかしある日、大皿におかずを山の様に乗せてごはん大盛り、味噌汁付きで食べる社員が現れた。当然、有料のメインおかずはオーダーしていない。
当然、食堂管理担当の総務から注意が入る。
「すいませーん、気をつけます」で終わらせればいいのに、その社員は激怒して「皆食べてるだろう!量については何も言われてない!そもそも食べちゃダメなんてルールはない!」と噛みついてしまった。
そもそも違うのは、元々「食べていい」というルールなんてないのだ。
それを食堂のおばちゃんのやさしさで「お腹空いてる子もいるからね」と多めに作ってもらい、こっそりつまみ食いを「黙認」してもらっていたにすぎない。
ルールとして「食べていい」「食べちゃダメ」ではなく、みんなで少しずつ食べるという暗黙の了解の元、あえてあいまいにしてもらっていたやさしさなのである。
結果、食堂に新しいルールが追加された。
「有料メニュー予約者以外のおかずつまみ食いを禁止する」
これにより、おばちゃんに感謝しつつおいしいおかずをちょいとつまませてもらっていたこの世の春は終わりを告げた。
善意でしてもらっている事だからと気遣い合ってつまみ食いを楽しんでいた人達が、たった一人の暴走で新しいルールを作られて食べられなくなった。
おばちゃんも寂しそうだった。

このたとえはすごい小さな話だけど、まあこういう事だ。
みんなが譲り合い気遣い合って楽しんでいれば、そこにルールは必要ない。独占しようとしたり、ルールがないのをいいことに勝手をする人が出てくるからルールが必要になるのだ。
周りの迷惑を考えずに公園のど真ん中で硬球を使ってキャッチボールをするから、公園全体が球技一切禁止になるのだ。

「自分は自分、どこにも所属してないしどの界隈でもない」
という気持ちで活動している人は多い事だろう。
気持ちとしては間違ってはいない。
けれど、Vtuberやストリーマーは人の目を引いて大きくなる活動者。
他人からの評価を得て、人気が上がり、大きくなっていく。
それはすなわち「他者からの評価」を多少なり気にしなくてはいけないという事と同義だと思う。

活動する以上、大きくなる過程で必ずどこかに所属する。
それは本人が望んだ望まないに関わらず、他者の目があなたをどこかにカテゴライズするのだ。
「Vtuberの誰それ」「ゲーム実況者の誰それ」と。

気を付けなはれや。

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