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えっちらこっちら鰻を買いに土浦へ

こんにちは、明日は土用の丑の日です。

私は東京都中野区生まれ、鰻の蒲焼と言えば新宿双葉の鰻で育ちました。ふわふわな鰻の蒲焼です。


新宿双葉は閉店し、町田双葉だけの今です。


ずっとこの双葉の鰻で育ちました。
母が新宿に出掛けるとたまに夕食が双葉の鰻の蒲焼弁当。兄は高校生時代、2つをペロリ。それでも足りないと言ってたほどでした。

ところがです。私の子はこの双葉の鰻を


「脂っぽ過ぎ、ふわふわで飲み込みたくない。前食べた土浦の鰻がしっかりしてて味が美味しい。」

と言うのです。子は和牛の霜降り肉も苦手。赤身の肉の味が好きな子です。硬くても肉の味が好きと言い、脂の味は楽しみません。

家族のみんな大好きなふわふわ鰻、誰もが万人が好きだと思い込んでいた私にはショックでした。

しかも新宿まで食べに行き子は残す始末。もちろん私が残さず食べました。


子の好きな鰻は、土浦ある小松屋さんという鰻と佃煮の専門店です。103年の歴史とか。


開店と同時に電話予約し、買ってきました。値段はリーズナブル。鹿児島さんの鰻を使っていると書いてありました。

土浦駅前です。特上 2,700円、上 2000円、並 1700円
河童の包み紙 わかさぎの佃煮も購入
今日は上を4枚購入 2枚は冷凍しておきます。


小網屋さんの佃煮は、母が良く父の姉達に贈ってたなぁ。父の姉達は、
「お弁当に便利で助かる。お弁当に佃煮は美味しい。」
と褒められて、褒められたらまた送ってました。


私はふわふわの双葉の鰻も食べたいなぁ。
でも子が『美味しい』と喜ぶ顔が観たいから、えっちらこっちら土浦に行ってきました。


ココには父母が昭和の終わりに越してきました。それで父は土浦で会社を始め、母はつくばの西武デパートが大好きで~


時々、母が新宿に出ると、双葉の鰻を買ってきたなぁ。

今、土浦はシャッター商店街です。以前、戦前は海軍兵学校があり、学徒出陣の学生隊の方達も土浦で軍隊教育を受けていたそうです。

私の作品『1ページ』にも出てきます。この彫像を母に下された方が土浦に居たそうです。母は面会に行かなかった後悔がありました。
「当時は常磐線を物凄く遠いと思ったけど、近くに住むようんなるとは。こんなに近いなら行けばよかった。」と後悔してました。

大岡さんの写真を母は結婚する時にこの彫像と共に写真を祖母に預けたそうです。でも祖母が亡くなる1年前に母に渡されました。

この彫像は、東京大空襲、広島原爆と祖母が持ち歩いてたそうです。母は、
「飛行機に乗って一緒に敵陣に飛び込みます。」
と言ったそうで、母の願いは、
「私が死んだら、大岡さんの写真をハガキをお棺に。」
と私が高校生時代に母から頼まれてました。


ところが父が元気だった頃、その写真とハガキが無くなったのです。私が疑われて、もう大変!


大岡さんの写真を探す為に。最後のハガキの住所の消印の地の九州まで私に付き合えと言う始末。
「どこかに大岡さんが写ってるかも知れない。」
と、母と一緒に土浦の海軍練習所まで行きました。この写真の当時は戦前のままの建物があり、中に色々な写真もありました。でもありませんでした。


母と行くと不思議なほど怖くなかったです。

大岡さんの写真はその後父が倒れ、2,3年してから見つかりました。私と子は、母のお棺にそっと、母に言われたように兄に内緒で入れました。


今思うと母は誓いを守ったのかも知れませんね。16,7歳の時に大岡さんとの誓いを。


今も土浦には戦前の建物が今もあります。

当時のままの天ぷら屋さんもあります。当時と同じ味と。


当時の料亭もあります。父が会社をしていた時に飲みに行ってた『 霞月楼』


霞月楼の歴史は面白いです。

・1929年(昭和4年)海軍機に誘導されて霞ヶ浦へ向か硬式飛行船ツェッペリン伯爵号の写真
・1931年(昭和6年)リンドバーグ・アン夫妻、霞ヶ浦に着水の写真等があります。そして戦争の悲しい思い出も。


20年前にあった喫茶店を探しましたが無かったです。


33年前は、駅前に丸井、西友が2つビル、駅ビル、少し離れてデパートの小網屋、駅から小網屋まで歩くとアーケード商店街があり、賑わっていました。

駅前開発で土浦市が高層マンションを駅前に建て、イトーヨーカ堂が入り、丸井、西友、小網屋が無くなりました。

土浦にイオンモールができ、イトーヨーカ堂に人が集まらなくなり出て行って、土浦市役所が今、駅前超高層ビルに入ってます。


20年前はビジネスホテルも沢山あり、父の会社に行くと美味しいランチが食べられたんだけど、今はどこも無かったです。

閑散とした街中にも道の脇に花がキレイに咲いていました。

美味しい鰻の蒲焼を買い、明日の朝、子と食べるのを楽しみに、昔のままの亀城公園を背に車で去りました。

今日の土浦は雲が多く、筑波山は見えませんでした。


保立の天丼と霞月楼にいつか行こうとは思い、大岡さんが食べたであろう天丼、そして料亭は、母が亡き後は怖くて食べられません。いつも「いつか誰かと」と思い食べられずにいます。


今日も保立の前を車で通り「いつか誰かと」と思い帰宅しました。

でも今は、
「この鰻は103年の歴史?この味を召し上がられたかも?」と思いつきました。これは怖く感じません(笑)


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