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渋谷をさまよう行き場のない女の子たちを救うBONDプロジェクト

『渋谷若者部』2016年4月12日(火)18:00~19:00放送

ゲスト/橘 ジュンさん(NPO法人 BONDプロジェクト 代表)

―― 今日お越しいただいたのは、来月から第2火曜日を担当していただくNPO法人BOND(ボンド)プロジェクト代表の橘ジュンさんです。

渋谷の若者というテーマで、BONDプロジェクトさんに来ていただかないことには、成り立たないなというぐらいの活動をしていらっしゃいます。まずこのBONDプロジェクトというのがどういう活動なのか、教えていただきたいと思います。

橘)10代20代の生きづらい女の子たちの支援を2009年からやっています。消えたいとか死にたいとか、そういう居場所がないという女の子たちの支援です。その背景というのは、親からの虐待だったり、学校でのいじめ、あとは性被害とか。

そういった人間関係で傷ついてしまった女の子たちの声を聞いて、それを伝えて、一緒に考えていく。そして、必要ならば支援者の方に繋いで保護するということをやっています。

もともと私は、ライターで、19歳ぐらいの時からアウトロー的な生き方をしている女の子たちの話を聞いてきたんです。

―― 橘さんは、もともとはライターなんですか。

橘)10代の頃に自分も取材を受けたのがきっかけなんです。

生きづらさという言葉は私の中で、そのとき感じていなかったんです。

でも大人になるっていうことが……、どうやってなっていけばいいのかっていうか、その実感がなかったっていうのは確かにあったなと思っていて。

18歳のときに、レディースのチームをつくっていて、その取材を受けたんですよ。

取材で、こうやって話を聞いてくれる大人がいるんだなと思ったんですね。その取材をしてくださった方というのは、レディースとか暴走族を何百人もインタビューしている方だったんです。その方は慣れていらっしゃるから、結構わかったように私の話を聞いていたんです。それがすごく嫌で、すごく細かく説明したんです。

そして、その方はニッポン放送のオールナイトニッポンという番組の構成作家をされていて、私の話を聞いた時におもしろいなと思ってくれたみたいで、番組に出てみないかって言われて。それでオールナイトニッポンに出たんです。

1回目に出た時に、『自分が、私よりもヤンキーだと思う人は電話ちょうだい』みたいなコーナーを作っちゃって。生放送で電話がガンガンかかってきました。

どうヤンキーなのって聞くと、ある女の子が売春してるって言ったの。私は「売春ってかっこ悪いじゃん。好きでもない男にそういうことされて、そういうことして何がいいの? そういうのカッコ悪いからやめなよ」みたいなことを言いました。

とにかく言いたいこと喋っていいよって言われたので。そして、その時のディレクターから面白いからまた来てって言われて、半年ぐらいオールナイトニッポンに出たんです。

―― そういう時の服装は、特攻ですか?

橘)いや、捕まるから!(笑)。普通の格好です。

それで、そういうことがきっかけで、いろんな大人たち出会って、今まで知らなかった世界の人たちと会うようになりました。

その話を聞いてくれたライターの人がよく行ってたのが歌舞伎町のゴールデン街や2丁目でした。そこにいる大人たちの楽しそうなことに、もうビックリしちゃって。今まで、大人といえば、学校の先生と警察官しか知らないじゃないですか。それなのに、すごい楽しそうに夢を語っていたり、人の悪口を言わないで、愚痴ることもなく楽しそうにお酒を飲んでいる。その大人たちを見て、こういうのいいなと思ったんです。

それで、こういう人になるには、どうしたらいいのかなと思って。そうだ、会いたい人に会って話を聞いていこうと思ったの。知らないこといっぱい教えてもらおうと思って。今まで経験しなかったことをいろいろ見させてもらったり、紹介してもらったり、連れて行ってもらったりして。ああ、面白いなと思って、いろんな人たちの生き方に興味を持つようになったんです。

それがきっかけで、19歳から取材する側になって、雑誌の連載を始めました。

エッセーから始まって、次は取材という感じで、ずっとアウトロー的な生き方の女の子を取材しています。

今の子たちは、アウトローとはちょっと違うんですけど。道を外れてるとか、そういうふうにはちょっと思えない。自分で選んでいないような気がするから。もうちょっと受身で自己肯定感が低くて……、なんか、生きてていいのかなとか、生まれてこなきゃよかったなとか、そう思っている。

私が10代の頃は、友達もいろいろな子がいました。16歳から家族と離れて一人暮らししている子とか、彼氏と同棲している子とか。でもなんかそれが普通だったんです。

そのころは、友達同士でなんとかやってこれちゃったみたいな。そのかわり、親とか家族関係は悪くなかった。

私、たまり場がすごく苦手で、家に帰りたいっていう気持ちがすごい強かったから、家出というのは時々だったんです。

だから今、私が話聞いている子っていうのは自分の経験していない話も多いです。

19歳になって、ライターの仕事を始めてから、しばらくはそういう、いわゆるアウトローの子とか、全国の暴走族の男の子とかレディースの女の子の話を聞きまくっていたんです。北海道は行かなかったけど、その手前から、大分まで行きました。その当時は、大分にいっぱいいたんです。

―― ライターの活動している最中は、ご自身はレディースをやめていたんですか?

橘)18で引退なんですよ。卒業! これは暗黙のルールです。

だから、多分そこは焦ってたっていうか、これからどうしていこう、どうしようっていうのはみんなの中でもあったと思う。友達同士でもね。

普通だったら、学校を卒業して、これからどうしていこうかという頃。やっぱり18歳ってなんか本当に特別な年齢で、子どもだけど大人と見られるっていうか、何か考えていかなきゃいけないみたいな、そういう状況じゃないですか。

それで、私が渋谷で活動するようなったきっかけというのは、そういう居場所の無い10代の子たちってどこにいるかなと思ったときに、やっぱり繁華街だなと思ったんです。それで渋谷に出て、気になる子に声をかけるということをやっているんです。所在なさげな子っていうか、なんかね、街の雰囲気とテンポが合ってない子。

―― 見ただけでわかるんですか。

橘)それはね、感じてるだけなんですよ。わかるかどうかは話を聞かないとわからない。居場所がないのか、帰る場所を見つけようとしているのか、というのはやっぱり話を聞かせてもらわないと、わからないんです。なんとなく気になるっていう子を見つける、そういう気持ちで街に出て声をかけるということをやっています。

それは取材で、出会いたくてやっていましたね。

今の活動だとパトロールというんですが、パトロールして、居場所がない子とか、被害とか犯罪に遭う手前で、私たちが声かけて保護するということができればいいなと思って活動してます。

―― 夜中に行くんですか?

橘)夜中に行くときもあるし、夕方でも昼間でもいいんです。行けるときに行って、気になる子がいれば声をかける。「VOICE」マガジンというのを持ち歩いているので、こういう本を作ってるんだけど、よかったら話を聞かせてくれない? と私の身分を言います。

―― 取材という形で話を聞くんですか?

橘)私が一番できればいいなと思ってることが、“聞かせてもらう”ということなので。女の子が「いいですよ」と言ってくれたら話を聞かせてもらうし、「嫌です」と言ったら、わかった、気をつけてねって言って別れて。それを繰り返すだけ。

こないだ話を聞かせてくれた子は、雨の日に、夜中の1時を過ぎていて電車がない時間にTSUTAYAの中にずっといたの。1回、女の子いるな……と思って、もう1回見に行ったら、まだいて。この子帰らないんだなと思って声かけたら、友達が来ないんですよって言って。いくつって聞いたら、19歳でした。

よかったら、友達が来るまでお茶しない? 危ないじゃんって言って。喫茶店で話を聞かせてくれました。

美容学校に行っていて、美容師さん目指している、おシャレな感じでしたよ。

見た目とかで、生きづらさの判断はできないし、本当に私が、ずっと居続けないと、こういった勘は、身につかないと思っているんです。

声をかけて、出会えてよかったって思う子もいるし、ありがとうという気持ちで聞かせてもらっています。

どうして私が渋谷のパトロールを続けているかというと、街の中が明るいんですよね。誰に何をされてるかとかもそうだし、見たらわかる。

パトロールのポイントは、メイン通りと、あとはやっぱり路地。路地に入って、すみっこのほうとか、あとちょっと人が入れそうな段差があるところとか。そこだと座れたりするし。あと、ロッカー。そういったところを回って来るんです。メイン通りは、やっぱりいろんな人がいて、いろんな人が行きかって、その人の多さに逆に淋しくなるときもあるみたいなんですけど、私が話を聞かせてもらう子というのは、紛れることでホッとするということがあるみたいで。だからやっぱり渋谷っていうのは本当に魅力ある場所いうか、街というか、惹きつける場所だなって思いますね。

メイン通りのちょっと奥に八百屋さんがあるんです。そこにグレーの猫ちゃんがいるの。お店が開いているときは、果物の段ボールの上に寝かせてもらって、すごくかわいがられてるコなんですけど、私はそのコに会いたいから、行ってバナナ買っています。

そのお店は夜中まで開いてるときもあるので、電気がついてると路地が明るくなって、ホントにいいですね。

八百屋のおじさんおばさんには、がんばってほしいし、できるのなら私たちが引き継ぎたいです。そういうやり方でも街の子たちを見守りたい。八百屋っていいじゃないですか。地域猫も、ちゃんと大事にして。

―― 保護というのは、どこまでのことをいうんですか。

橘)宿泊させるんですよ。ご飯を食べて朝までいる子もいるし、夜中までいる子もいる。やっぱり帰れないんです。帰る場所がない子たちだから。うちにいざるを得ない。

―― パトロールは、橘さん1人で回られるんですか?

橘)いいえ。しかし、2015年に保護件数が278件あったんです。うちは5ベッドあるんですが、必ずスタッフがふたり、ついていないといけないんです。だからみんなで街に出るというのが難しくなってきていて。今、スタッフ7人でやっているんですけど、全員でそろって同じことをするというのが難しいです。

そして、こういう、死にたい、消えたいという子は、誰かに相談するというのが、なかなかできない子たちで、相談窓口があるよと言っても、自分から行く事ができないんです。慣れていないというのもあるし、今までずっと押さえつけられてきたってこともあって。

相談できる子というのは、相談して解決のお手伝いをされたことがある子だと思うんです。でも、相談できない子というのは、声を上げることができない。

そういう子のための相談室を荒川区の日暮里で、週3回やっています。荒川区の日暮里は相談室なので、住所も公開していて、開いている日にお茶しにきてね、お話しようね、と言って面談の出来る場所にして、電話相談もしています。渋谷はシェルターなので、住所は非公開です。

―― 荒川区の話は、渋谷などでこういう実績を積まれてらっしゃるBONDプロジェクトさんだから、荒川区役所の障害福祉課の方がお仕事として相談したということですか?

橘)そうです。やっぱりお役所で待っていても誰も相談に来ないので。役所に窓口があっても、女の子たちはなかなか相談に行かないので。

荒川区は自殺対策などをしっかりやりたいということです。今、若年女性の自殺率が高くなっていることもあるので、その一歩手前、死にたい気持ちで未遂を繰り返しているような女の子たちの支援をきちんとしていこうということで、うちにやらせていただいています。渋谷も相談室があればいいのに。

―― BONDプロジェクトさんの行政とのかかわりは、荒川区以外はないですか?

橘)ありますけど、やっぱり難しいです。保護している子と渋谷で出会ったとしても、全国から来るじゃないですか。いろいろ相談や手続きをするとなると、住所があるところと、となるし、18歳未満の子は、児童相談所などを経由していくのがとくに面倒なんです。

18歳の子が、何歳まででも対応してくれる、そういう施設に入れるかっていうと、なかなか入れないし。私たちが保護した278件というのは、いわゆる制度のはざまの子たちだと思います。どこにもつながらないんですよ。つなげる努力はするんですが。

―― ドメスティックバイオレンスとか……?

橘)そういうのも絡んでいますね。でも配偶者じゃないとDVにならない。家族間の暴力も対応しなきゃいけないってことなってるのに。地方から相談に来て、お父さんは配偶者じゃないから対応してもらえなかったという子がいました。それはどこで相談したのか聞いて、わかったら、女性支援の先輩に相談して、こういうところにこう言われたらしいんですけどって言って。そうすると対処しくれてますね。だから、もう本当に自分たちだけで何とかするということができないんです。様々な背景を持っているから。

だから全国で、ちゃんとした支援者につなぐというのが、私たちのこれからの目標だなと思っています。そういう支援者の方との連携というのがとっても大事になります。なんとかしようという気持ちを100%持ってる方たちなので、そういう方たちに相談できれば、本当に間違いないんです。

でも反対に、役所の素晴らしいところというのは断らないところです。グイグイ押して、保護して預けられた、という子もいるんです。それは同行支援というんですが、力技でつなげます。そういう意味で渋谷区には、だいぶお世話なっています。

―― この辺がやっぱり渋谷らしいところだと思うんですけど、地元の子たちが集まるというよりは、もう本当に日本全国から集まりますよね。

橘)パトロールは、渋谷と歌舞伎町です。歌舞伎町にいる子たちは大変ですね。背負っている人ものがちょっとちがう。もうちょっと深いですね。

でも、私はいろいろとあの子たちに教わった。これは大人がしっかりしなきゃいけないって思ったし、話を聞ける大人がいないと、この子たちは、どんどん大変になってくよ、深刻だよと思った。

悩んでいることすら気づけない。お腹に子どもがいる子が、どこにも相談行かない気? という感じで、それは私も放っておけないじゃないですか。聞いて伝えてバイバーイってわけにはいかないから。

―― 最初は取材だった?

橘)そうです。お腹に赤ちゃんのいる子に、話を聞いて、え、どうするの? となって。聞いてしまったし、ほっとけないしと思って、一緒に病院行って、相談できる人のところに行こうということになったけど、次に会うと違う子がもっと大変なことになってて。

笑い話にしちゃうとアレなんですけど、その子も、もう8ヶ月ぐらいで、もうすぐ生まれるという状態なんですけど、病院も行ってなかったんですね。

病院には行きます。でも、私と同じような子がいて、その子のほうがもうすぐ生まれそうなんですって言って自分よりもっとお腹の大き子を連れて来たり。そっちの方が駆け込み出産しちゃって。

―― その2人はつながっていたんですか?

橘)街で出会ったんですね。

やっぱり、そういう場所に、話せる子の側に、そういう子って来るんじゃないかなと思って。私はそういう子が、キーパーソンになって、私たちが話を聞きたい子や手伝いたいたい子との出会いの場を一緒に作っていってもらえたらいいなと思っています。

―― 橘さんが保護された件数が年間で278件。これは渋谷にいる女の子たちのごく一部という感覚なんでしょうか。

橘)もちろん一部ですよね。私たちの活動を何かで知ってくれて、メール相談をしてくれて、面談で話を聞いて保護するというケースもたくさんあります。

しかし、あの子たちのほうから声かけてくるということはないので、気付けない、出会えてない子がいっぱいいるんじゃないかなと思います。

でも、こちらから気付いて声をかけるということがアウトリーチ活動だと思ってるので。

あの街の感覚っていうのはやっぱり、行かないとアンテナが立たないっていうか、感じられないじゃないですか。

例えば、待つ支援と、出て声をかけてく支援というのはちょっと違いますよね。パトロールという言葉にしていますけど、お話聞きたくて声をかけてるって感じです。

―― なんか今の子たち、なんかやりたいことがないとか夢がないとか言いますけど、それとはまたちょっと次元の違うお話じゃないですか。出会う子っていうのは。その子たちが何か解決する、ゴールっていうのはどこなんですか。

橘)私が一番困る話が、ゴールとか、立ち直ったり更生したっていうケースを教えてくれといわれることなんです。これって、私のエゴなんです。期待して彼女に当てはめているだけで。こうなって欲しいって思ってるときから、関係性って歪んでいくんです。

私は面白いから話を聞いているはずなのに、困ったなに、なるんです。保護して、その子が部屋の中をぐちゃぐちゃにしたりね。そういうのもわかってたはずだけど、やっぱり生活となると、困ったなとか思ってしまって。

だからゴールっていうと、キレイな言葉でいえば自立支援なんです。本人が自分で生きていく、生きていきたいと思う生き方をすればいいだけで、誰のためにでもなく、自分のために生きてもらいたいからそれを応援したいだけなんです。

まだ10代だと、それは誰かの力が必要だし、大人の力が必要でしょうというだけで。

その子たちの周りにいた大人というのは、彼女たちを利用したり、ちょっと危ないことさせたりとか。家族との関係性も何かあったら頼れるということでもなかったので。

彼女たちはまだ子どもだから、自立なんてできないんです。だから手伝っているというぐらいで。

彼女たちだって私たちと一緒にいて、一緒に生活していて、すごいラクチンで居心地がいいかっていったら、そうじゃないと思うんです。

めんどくさいルールはありますし。門限10時ですからね。帰ってこない時は連絡しろとか、家族で暮らしていたら当たり前のことを、今あの子たちにしなきゃいけなくて。

朝になっても昼になっも夕方になっても部屋から出てこなかったら気になるから、ドアを開けるじゃないですか。起きてる? とか大丈夫? とか言って。そういうのも、本人からすれば、めんどくさかったりね。

開けられて部屋が汚いのがバレたりするから、すごい出方をしてくるんですよ。見せないように背中で部屋を隠すように。

だけどやっぱり、そういうのは全部教えてもらわないと、どうしたいか、どういう支援が必要なのかということもわからないし。

みなさんは、保護したらなんかそれで彼女たちが良くなっていくようなイメージでいると思うんです。そこから結構大変なんです。いろんな傷が出てきて、治療も必要になったりとか。あと自立支援するにはやっぱり社会性を身につけなきゃいけないから、仕事を探すんですけど、なかなか。

でも放っておかれたからこうなったんだなと思うから、なんとかしたいと思うんです。

―― そういう保護施設というかシェルターがあって、規律正しい生活を実践させたりするんですね。ただやっぱり、5つしかベッドがないということはどこかで出て行って、自立する時期が来るわけですが、それはどういうタイミングですか。

橘)いま、1人は就職ができてるので。2月から。

―― 仕事探しを手伝ったりもするんですね。

橘)それが一番です。やっぱりちゃんと自分が選んだ仕事に間に合うように起きて、準備して行く、休みは休む。仕事には必ず行くっていうことがちゃんとできるといいんですけどね。

―― 家も探してあげたりするんですか。

橘)手伝います。本人も、そろそろ一人暮らしをしたいと言っていたので。

―― 家を借りたりするのに初期費用がかかったり、信用の問題とか結構難しいところがありますか。

橘)保証人は本当に大変で、自立援助ホームとかで寮母やってた先輩がいるので、そういう方たちにいろいろとアドバイスもらいながら、支援をしていかなければと思いますね。出て行っちゃう子もいるんです。

―― ここからさらに家出!みたいな。

橘)私は戻ってくればいいのにと思うけど、相手はやっぱり後ろめたさを感じてしまっているみたいで。

荷物を全部置いていなくなっちゃった子がいて、関係性が多分どこに行ってもぶつ切りになっちゃってるんじゃないかなと思うんですね。

私がその子と出会ったのは、ネットカフェだったんです。彼女は不用品サイトのネットに助けてくださいって、そういう書き込みをしていました。

それを知った人がうちに連絡して来て、助けてあげてほしいって言われて、やりとりして迎えに行って。面談して、保護して、翌日ぐらいからうちで過ごしていたんですけど。

彼女は、すごい元気な子だったので、お金がないとか、住む場所がないとか、そういう悩みぐらいだったんです。食事もできて、朝も起きれて、仕事もすぐ探せたんです。

しばらくして、仕事先の人のところに泊まるということが増えてきて、恋人でもできたかなと思っていたんです。でも、連絡しても返事が来ないというのが続いて、帰ってこなくなっちゃったんです。

3ヶ月ぐらいたってから、彼女が働いている場所に行きました。そうしたら働いていて。元気でやっているならよかった、また連絡しておいでって言って。

でも、最近になって彼女の携帯の請求書がうちに来るんです。多分止められちゃったのかな、まだ大変なんだなと思っている。また来ればいいのになと思いながら。

―― 橘さんは、日々いろんな人と出会って、放っておけないという気持ちでいろいろサポートして、手から離れたと思ったけど、結構心配が絶えない。

橘)そうですね。でも、生きてりゃいいかなと思って、ぶっちゃけ(笑)。

ゴールはね、ほんと自分らしく生きてて良かったと思えればいいんじゃないかなと思っています。私たちがこうなって欲しいって、あんまりも思いたくないです。それは、うまくいかなかった。

―― そういう時期もあったんですか?

橘)すごいありました。

やっぱり、他のシェルターなどとつなぐ時は、けっこう大変なんです。1人部屋じゃなかったりするから。共同部屋でちゃんとルールを守れないとか。

シェルターはどこも携帯はダメなんです。それはちゃんとした理由があって、DV とか、家族間で殺されかけたような女の子たちが入る場所だから、追跡があるじゃないですか。

彼女たちは加害者あっての保護だから、被害者の彼女たちの身を守るというのと、同じような状況の女性たちを守るということで、携帯を持っちゃいけないんです。

でも、女の子たちは、やだってなる。携帯くらい我慢しろよとかって、こっちは思うんですけど。携帯は命の次に大事、携帯が持てないんだったら行かないということになって。それが現実。

―― そういうことがあったからBONDプロジェクトがシェルターを持つようになったということですよね。昔はシェルターはなかった?

橘)持っていたんですけど、ワンルームのマンションに。

それこそ、ちょっとしたスペースを作って、布団ひいて女の子を保護していたんです。渋谷区に一軒家ないですか(笑)。あったら引っ越したいです。

今のシェルターは共同生活で、みんなの場所だし、綺麗に使うというのがわかっていてもできない子がいます。スタッフがいろいろフォローしていくのが役割でもあるんですけど。結構びっくりする。

失敗とか怒られたことって、いい経験になるじゃないですか。私が何とかしていきたいなと思うのは、あの子たちは失敗とか、他の人に叱られたりとか、注意を受けるようなことがあったら、出て行って、となるってことなんです。

「ダメって言ったじゃない」「でもやっちゃったじゃない」「じゃ出てって」と。それは、できないですよね。どこ行くのかと思う。でも規則やルールが守れなくて、それで転々としてる子もいて。でもそれは必要なルールだから、社会性を身に付けさせたいという思いもすごく強くて、それが悩みなんです。

だからちゃんと受け入れてくれる人たちというのを作っていかなくてはいけないので、私はこうやって伝えていく活動を続けてかなければいけないと思っています。

―― 実際シェルターはどうやって運営されてるんですか。

橘)自分たちでです。援助の制度でお金がいただけるようなことではないので。さっきも言ったように制度の狭間で。

自立援助ホームだったらちゃんとそういう制度があって、お金も1人いくらっていうのは国から出ると思うんですけど。私たちは全部自力で。でも、女の子たちから取れないじゃないですか。反対に貸さなくてはいけないでしょう。何もないから。

―― 寄付とかですか。

橘)NPO なので寄付が活動資金になりますね。だから、私たちのこういった活動を応援してくれる方というのを増やしていかないと、継続が難しいです。どうしたらいいか、いつも考えています。お金が払えないということは、結構身近な悩みなんですよ。

本当に残金ない!みたいな。これがNPOの構造なのかと思うぐらい。

―― シェルターを持たれてさらにスタッフがいらっしゃる。

橘)彼女たちがいなかったら活動できないので。彼女たちこそ生きていてほしい、彼女たちこそ生きていかなきゃいけないので、人件費は出さないと生活できないですよね。

ボランティアっていうのは限界があります。私たち、心意気という言い方で、やれるだけやっていこうって言っていますけど。それじゃもたないというのは、ありますよね。

―― 常駐してケアをしている人は、ボランティアの域を超えていますよね。やはり専従で常駐しないと一貫したサポートはできないと思いますし。

橘)悪さするんです。だから見守らないと。

消灯時間を決めて、いる場所もチェックして、部屋も確認して、あと屋上も鍵を締めないと危ない。

―― 抜け出しちゃう?

橘)抜け出すというか、わざと私の前で「ねえねえ、ここからだった飛び降りられるかなー」とか「逃げようよ」みたいなことを言っていたりするんです。でも私たちは別に強制的に保護しているわけじゃなくて、本人が来たい、必要だと言ったので、ここにいるわけだから、「飛び降りなくても平気だよ」「どうぞ鍵を開けて出て行ってください」「そのかわり行く場所あるの」って聞いて。

そうすると、「ないからいるよ」って。それは15歳の中学生でした。

やはりちゃんと話を聞くということですね。それに一番時間をかけているんじゃないですか、うちのスタッフは。

―― 保護されている子どもたちや女の子たちというのは、話を聞いてくれる人が、今までほとんどいなかったという可能性がありますよね。

橘)話を聞いてくれるのは、人としてというよりは、かわいいい女の子だから、彼女のそういう若さと、体を利用しようと思う人たち。そういう子も多かったんじゃないかなと思います。保護した今の子たちがそうだっていうんではなく。

このあいだ、電話相談を受けて、その子に会って話を聞きたいなと思ったので出張面談に行ったんです。

2時間ぐらいずっと喋っていて。「今日は久しぶりに、生きててよかったって思いました」って言ってくれて。自分の話を聞いて欲しかったんだなと思って。よかったなーと思いました。

なんかそれぐらいなんですよね、できることって。出会いっていうのは私の生きがいみたいなものなんです。ライフワークですよね。

―― 橘さんは、そういう女の子の声をしっかりと受けとめる力と、それから街を歩いているちょっと危ないなという子を発見する眼力をお持ちです。これは橘さんだけが持っているスキルなんですか。

橘)そんなことないです。うちのスタッフもできます。私が気付かない子に気がつく。

あれはよく気づいたねって言ったら、大きいカバン持ってたからとか、すごいきれいな洋服着ているのに、靴がクロックスだったからとか。いろんな子がいていいんですよ。そうすると気づく子も増えてくるんじゃないかと思って。

パトロール中、結構バラバラになっちゃいますよ。どこ行っていたのっていうと、ちょっと気になった子がいて、ついて行ったら待ち合わせでしたとか。

だから一緒にスタートするけど、はぐれちゃって電話で連絡取り合って合流してみたいなことがあります。

―― 橘さんやスタッフの皆さんが蓄積されているノウハウは、すごいに力なりそうな感じがします。

橘)データ化が苦手だったんですけど、行政の方たちと一緒に仕事をするようになって、毎年、メール相談、電話相談、面談、保護件数のデータを出しています。

―― 荒川区の仕事を通じてやることが、この渋谷でのパトロールや今の保護活動などにも活かせそうですね。

橘)データ作成は、私じゃなくスタッフがやってくれています。

そういう仲間というかスタッフ、彼女たちがいてくれるから、安心して私もいろんなところに行って女の子の話を聞くことができると思うんです。

多分、私が一番BONDプロジェクトを必要としていたんですね。私が1人でやっていたら、絶対無理だったから、本当に作ってよかったと思います。

次回からは、うちのスタッフや、保護している女の子や、私が夕方、渋谷でパトロールして声をかけて、話ができるよという子がいたら、ここでインタビューさせてもらってもいいかなとも思っています。

聞き手/嵯峨 生馬・香内真理子

テキストライター/加藤レイコ

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