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親の期待を裏切るということについて。

僕はお腹が弱い。

金曜日の夜、久しぶりにお酒を飲んだ。滅多なことではお酒を飲まないのに、オレンジジュースが注がれたジョッキがジョッキとしての本分を果たせていないような気がしてしまい、ジョッキに申し訳なくなり、お酒を頼んでしまった。楽しくて舞い上がって飲みたくなってしまった、というのもある。

ビールは僕の体にはあわず、ジョッキで2~3杯飲んだだけで、体が赤くなったり、頭が痛くなったりする。日本酒も近い。なぜか、焼酎はあまりそうならない。

お酒を飲むのはしばらく振りだけど、焼酎なら大丈夫だろう。寒くなってきたし、そろそろお湯割りの季節だよね。

この判断が後々尾を引くことになるにもかかわらず、頻繁には合わないけど仲は悪くない知人に声を掛けるときの「お久しぶりです!」くらいの軽さで、赤兎馬のお湯割りを注文した。

チームOPP、オナカヨワイ族の御歴々はわかってくれると信じているが、「お湯」というのはNANBEN気質の我々にとっては毒である。寝る前と起きた後に白湯を飲む、という健康法があるらしいが、朝のストロークが怖くて試せない。

「お湯はお腹の大敵である」、そして大前提として「お酒はお腹の大敵である」という紛うことなきこの世の真理を完全に失念して、注文してしまった。そして、熱が残るうちに飲み干してしまった。
その後、暑いからといってソーダ割りでおかわりしてしまった。赤兎馬の美味しさは罪深い。


明くる朝、といっても夜が明けきる前、覚醒の瀬戸際にいる時、僕の体をひとしきり駆け巡った赤兎馬は、早くここから出してくれ!!と言わんばかりの、尋常ではない勢いで消化器官をアタックしていた。

そのアタックで、とうの昔に長期記憶に定着していたはずの「お湯はお腹の大敵である」「お酒はお腹の大敵である」というこの世の大真理が、実は記憶の海の深くて暗いところに沈んでいたことを思い出した。軽はずみな行動で、その真理は水揚げされた。予断を許さない状況だった。


今週末は、母の居所の近くで開かれる朝市に出店し、僕もその手伝いに向かうことを予定していた。父が2年前に他界してから母は一人で暮らしている。他界した当初は毎週母を訪ねていたが、徐々に間隔が空いていき、今は1ヶ月に一度くらいの頻度になっている。

父が他界してから、母は地区の顔役のような方に特に気を遣っていただいて、地域の催しなどによく声を掛けていただいている。朝市の出店もその一環で、故郷の紹介をしながら、東京では手に入りづらい名産品を販売している小さなブースを、朝市の広場に数ヶ月に一度構えている。

その朝市が今週末開かれるというので、土曜日(昨日)の昼過ぎから3時間くらいの旅程で、母の居所に向かう予定だった。夜は、母の居所の近くの、お魚料理が絶品の、史上最高に美味しいかき揚げを食べられるお店の予定だった。


正午を回っても赤兎馬は駆逐できなかった。まだ残党がいる。一ミリも目出度くない、お腹を蹴られる感覚があった。これは長い戦いになる―――。

僕は平常心を失うことはなかった。この腹と共に生き、数多の修羅場を潜ってきた。事を穏やかに進め、終わらせることができる。赤兎馬よ、お前たちを好きにさせるわけにはいかない。

早めに自宅を出た。時間の余裕から生まれる心の余裕こそ、勝つ(OPP状態で無事に定刻に目的地に到着する)ための、秘訣である。


戦いに夢中で喉が渇いていた。しかし、水分が腸に到達すると、赤兎馬は水を浴びた魚のように、また強烈なストロークを消化器官に浴びせてくる。生まれてしまう。

水分は喉まで。水分は喉まで。
ここまでの緊張感を伴う飲水はいつ振りだろう。


早く到着しすぎてしまった。45分も前に到着した。
目的地の駅前にはミニストップしかない。反対側の駅前にはセブンイレブンしかない。
夕焼けがやけに綺麗だったので、フジファブリックをBGMに、持っていたエッセイを読みながら母を待っていた。日の入りとともに、外は徐々に冷えてくる。
まずい。鳴りを潜めた赤兎馬たちが来やしないか、戦々恐々としていた。


赤兎馬より先に母が来た。


「焼酎のお湯割り頼もうと思うけど、あんたはどうする?」

最初に頼んだウーロン茶を飲み干して、母は僕に尋ねる。

「母さん、僕が今どんな状態かわかって言っているのかい?」

心の中で呟きながら、「僕はまだウーロン茶が残ってるから」と答えた。

しかし、特に母に話さないといけないこともなかったので、赤兎馬との戦いの様子をつぶさに母に伝えた。僕がお腹の弱い成人男性であることを、母がすでに知っている前提で。


「あんたはお腹の強い人間と思っとったとに(思っていたのに)」

大した失望も落胆もなく、若干の驚きをもって母はその言葉を口にしていた。母は、僕がお腹の弱い人間であることを知らなかった。

親の期待を裏切る、という出来事は子として生まれたすべての人に定められた宿命だと思うが、「人類史に発生した、親からの期待の子による裏切り」の中で、「自分の子はお腹が強いと思っていたのに、実はとっても弱かった件」はくだらない上位0.3%に入ると思う。


ずっと言えなかった(言う機会もなかった)オナカヨワイ族の悲しいルーティン、あるあるを吐露した。

新しい土地に行けばすぐにお手洗いの場所を調べること、スーパーよりも百貨店に行きたがっていたのはお手洗いが綺麗であるからということ、古いスーパーの階段のところにあるトイレにはいつも警戒すること、電車や自動車に乗車する前後でできる限りお手洗いに行きたいこと(行けなかった場合の緊張感は筆舌に尽くしがたいこと)、休憩時間なし120分入学試験を心の底から恨んだこと、映画館やコンサート会場や公共交通機関では(体験価値をどんなに損ねても)必ず通路側を選ぶこと、そして、正露丸はいざというときに本当に頼りになること。


平々凡々とした僕の人生においてさえも、母や父の期待をたくさん裏切って生きてきたと思う。母にはまだ許せていないものもたくさんあるだろうし、父には許せないままだったものもたくさんあると思う。

今の僕にできることは、期待を裏切らざるを得なかった理由を、想像していたものとは違った未来を目の前に見せることによって、納得してもらうことだと思っている。


今日また一つ、親の期待を裏切ってしまった。裏切ってしまったというか、裏切ってしまっていた。僕はお腹がずっと弱かったんだよ。

けれど、今、くだらない裏切りを楽しめる親子関係でいられる幸せを、新鮮な魚や絶品のかき揚げたちともに噛みしめることができて、お互いに都合良く水に流せることばかりじゃないだろうけれど、少し清々しく、スッキリした。

焼酎のお湯割りはしばらく飲まない。

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